1969(昭和44)年の今日(6月23日)は、「宇宙開発事業団法」公布 の日。
1969(昭和44)年と言えば、皆さんは、何を一番に思い出すだろう?私は、この年の7月20日(アメリカ時間)、アメリカの宇宙船アポロ11号が月着陸を果たし、アームストロング、オルドリンの両飛行士が、人類として、初めて月面に降り立ったことだ。この月面着陸の瞬間は、日本時間21日昼頃、テレビで生中継で放送され、日本中の人たちが、テレビの前で釘付けになった。宇宙開発でソ連に遅れをとっていたアメリカが始めて、ソ連をリードした瞬間であった。何といってもこの年の最大ニュースはこれに尽きるだろう。(ただし、このアポロ11号の月面着陸に疑惑の声もないではないが)。この、約1月前に、日本では 「宇宙開発事業団法」が公布 されたのである。
日本の宇宙開発は、1952(昭和27)年、糸川英夫教授率いる東大生産技術研究所(東大生研)が発足。AVSA(航空電子・超音速航空工学連合)研究班が設置される。ペンシルロケットの開発に着手。 1955(昭和30)年、4月東京大学生産技術研究所、都下国分寺において、文字どおり鉛筆大の大きさの2段式ペンシルロケットの水平発射成功によって、その歴史の幕をあけた。そして、7月総理府内に、航空技術研究所が設置された。
世界を見ると、1957(昭和32)年10月、ソ連(当時)は、人類初の人工衛星「スプートニク1号」を、また翌1958(昭和33)年1月には、アメリカも、人工衛星「エクスプローラー1号」を、地球軌道に打ち上げることに成功した。さらに1961(昭和36)年4月には、ソ連のガガーリンが搭乗した宇宙船「ヴォストーク1号」により、人類初の有人宇宙飛行に成功した。これらの人工衛星や有人宇宙船の打ち上げ成功により、人類による宇宙開発が、急速に進展していくことになる。このような宇宙開発の進展に呼応して、宇宙開発という極めて特殊な活動に対して適用される宇宙固有の法「宇宙法」が、国際法として整備されていった。既に「宇宙活動自由の原則」と「宇宙空間領有禁止原則」は、国際慣習法として確立しており、宇宙条約の締約国であるか非締約国であるかにかかわらず、これらの宇宙法の基本的規則は、すべての国に適用されることになるが、この慣習法が、宇宙法として、1967(昭和42)年には「宇宙条約」が、1968(昭和43)年には「宇宙救助返還協定」が、1972(昭和47)年には「宇宙損害責任条約」が、1976(昭和51)年には「宇宙物体登録条約」が、また1979(昭和54)年には「月協定」が、それぞれ締結された。しかし、これらの条約のなかでも最初に作成された宇宙条約は、「宇宙憲章」とも呼ばれ、月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を規律する、最も基本的な宇宙法である。
この1967(昭和42)年の「宇宙条約」が出来た年に、日本では、宇宙開発委員会が設置され、科学・実用の両面において日本の宇宙計画が推進される体制ができあがった。
そして、1969(昭和44)年に、・すみやかに宇宙開発基本法の検討を進め、その立法化を図ること。その中で、 ・我が国における宇宙の開発及び利用に係る諸活動は、平和の目的に限り、かつ、自主、民主、公開、国際協力の原則の下にこれを行うこと。 ・人工衛星及びその打上げ用ロケットの研究、開発及び利用にあたっては、各種研究機関との連携を密にし、学術の進歩、産業技術の発展、国民生活の向上及び人類社会の福祉を図ること。・・を 附帯決議として、宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))が設立された。
宇宙開発事業団は、あくまで、人々の実生活に役立つ宇宙開発をめざす組織であり、気象・通信・放送などの実用目的の衛星を開発するとともに、ロケット開発においては、それまで門外不出だったアメリカの技術導入が可能になり、その生産技術のレベルは飛躍的にアップしていった。技術導入によるレベルの引き上げと国産技術の経験の蓄積によって、日本のロケット開発は順調に進み、1994(平成6)年にはついに100パーセント国産技術によるH-IIロケットが完成し、種子島宇宙センターからの打上げに成功した。このH-IIロケットは、現在世界の商業ベースの衛星の60パーセントを占めるアリアンIV型ロケット(欧州宇宙機構が開発)とほぼ同じ打上げ能力をもっており、日本はようやく国際水準の技術を確立することができたといえるそうだ。また2001(平成13)年には、H-IIロケットの性能を向上させたH-IIAロケット試験機1号機の打上げに成功。2003(平成15)年5月には、 M-V-5、工学実験・小惑星探査機「はやぶさ」の打上げ に成功。
同2003(平成15)年10月、宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の3機関は、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)として 統合され、基礎研究から開発・利用に至るまで、 ひとつの組織で一貫して行える体制が整えられることtなった。そして、今、世界でトップクラスの宇宙開発利用活動を進めるために 、産業界、関係機関、大学とのつながりを深め、 4つの本部を中心に柔軟な運営を目指しているそうだ。
そして、同年から、宇宙開発事業団(NASDA)は、これまでのNASDAの宇宙開発の34年の歴史をホームページ上で振り返ることができる「プロジェクト・ビューアー」を公開した。ロケット、人工衛星、宇宙ステーションの3大プロジェクトを中心に600点以上の写真を通して、日本の宇宙開発の歴史を展望できる。宇宙が好きな人には、たまらないページだ。興味のある人は以下参考の宇宙情報センターを覗いてみるとよい。きっと、満足するよ。
又、2003(平成15)年に打ち上げた「はやぶさ」のその後のことは以下でわかるよ。
2006年5月末現在の「はやぶさ」探査機の状況について>
「はやぶさ」によるイトカワの科学観測成果、科学雑誌「サイエンス」が特集!
(画像は2002年.2月4日、H-IIAロケット試験機2号機打上げ。宇宙開発事業団HPより)
参考:
宇宙情報センター
http://spaceinfo.jaxa.jp/welcome/index_j.html
宇宙開発事業団法
http://law.e-gov.go.jp/haishi/S44HO050.html
独立行政法人宇宙航空研究開発機構法
http://www.ron.gr.jp/law/law/d_nasda.htm
1969(昭和44)年と言えば、皆さんは、何を一番に思い出すだろう?私は、この年の7月20日(アメリカ時間)、アメリカの宇宙船アポロ11号が月着陸を果たし、アームストロング、オルドリンの両飛行士が、人類として、初めて月面に降り立ったことだ。この月面着陸の瞬間は、日本時間21日昼頃、テレビで生中継で放送され、日本中の人たちが、テレビの前で釘付けになった。宇宙開発でソ連に遅れをとっていたアメリカが始めて、ソ連をリードした瞬間であった。何といってもこの年の最大ニュースはこれに尽きるだろう。(ただし、このアポロ11号の月面着陸に疑惑の声もないではないが)。この、約1月前に、日本では 「宇宙開発事業団法」が公布 されたのである。
日本の宇宙開発は、1952(昭和27)年、糸川英夫教授率いる東大生産技術研究所(東大生研)が発足。AVSA(航空電子・超音速航空工学連合)研究班が設置される。ペンシルロケットの開発に着手。 1955(昭和30)年、4月東京大学生産技術研究所、都下国分寺において、文字どおり鉛筆大の大きさの2段式ペンシルロケットの水平発射成功によって、その歴史の幕をあけた。そして、7月総理府内に、航空技術研究所が設置された。
世界を見ると、1957(昭和32)年10月、ソ連(当時)は、人類初の人工衛星「スプートニク1号」を、また翌1958(昭和33)年1月には、アメリカも、人工衛星「エクスプローラー1号」を、地球軌道に打ち上げることに成功した。さらに1961(昭和36)年4月には、ソ連のガガーリンが搭乗した宇宙船「ヴォストーク1号」により、人類初の有人宇宙飛行に成功した。これらの人工衛星や有人宇宙船の打ち上げ成功により、人類による宇宙開発が、急速に進展していくことになる。このような宇宙開発の進展に呼応して、宇宙開発という極めて特殊な活動に対して適用される宇宙固有の法「宇宙法」が、国際法として整備されていった。既に「宇宙活動自由の原則」と「宇宙空間領有禁止原則」は、国際慣習法として確立しており、宇宙条約の締約国であるか非締約国であるかにかかわらず、これらの宇宙法の基本的規則は、すべての国に適用されることになるが、この慣習法が、宇宙法として、1967(昭和42)年には「宇宙条約」が、1968(昭和43)年には「宇宙救助返還協定」が、1972(昭和47)年には「宇宙損害責任条約」が、1976(昭和51)年には「宇宙物体登録条約」が、また1979(昭和54)年には「月協定」が、それぞれ締結された。しかし、これらの条約のなかでも最初に作成された宇宙条約は、「宇宙憲章」とも呼ばれ、月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を規律する、最も基本的な宇宙法である。
この1967(昭和42)年の「宇宙条約」が出来た年に、日本では、宇宙開発委員会が設置され、科学・実用の両面において日本の宇宙計画が推進される体制ができあがった。
そして、1969(昭和44)年に、・すみやかに宇宙開発基本法の検討を進め、その立法化を図ること。その中で、 ・我が国における宇宙の開発及び利用に係る諸活動は、平和の目的に限り、かつ、自主、民主、公開、国際協力の原則の下にこれを行うこと。 ・人工衛星及びその打上げ用ロケットの研究、開発及び利用にあたっては、各種研究機関との連携を密にし、学術の進歩、産業技術の発展、国民生活の向上及び人類社会の福祉を図ること。・・を 附帯決議として、宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))が設立された。
宇宙開発事業団は、あくまで、人々の実生活に役立つ宇宙開発をめざす組織であり、気象・通信・放送などの実用目的の衛星を開発するとともに、ロケット開発においては、それまで門外不出だったアメリカの技術導入が可能になり、その生産技術のレベルは飛躍的にアップしていった。技術導入によるレベルの引き上げと国産技術の経験の蓄積によって、日本のロケット開発は順調に進み、1994(平成6)年にはついに100パーセント国産技術によるH-IIロケットが完成し、種子島宇宙センターからの打上げに成功した。このH-IIロケットは、現在世界の商業ベースの衛星の60パーセントを占めるアリアンIV型ロケット(欧州宇宙機構が開発)とほぼ同じ打上げ能力をもっており、日本はようやく国際水準の技術を確立することができたといえるそうだ。また2001(平成13)年には、H-IIロケットの性能を向上させたH-IIAロケット試験機1号機の打上げに成功。2003(平成15)年5月には、 M-V-5、工学実験・小惑星探査機「はやぶさ」の打上げ に成功。
同2003(平成15)年10月、宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の3機関は、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)として 統合され、基礎研究から開発・利用に至るまで、 ひとつの組織で一貫して行える体制が整えられることtなった。そして、今、世界でトップクラスの宇宙開発利用活動を進めるために 、産業界、関係機関、大学とのつながりを深め、 4つの本部を中心に柔軟な運営を目指しているそうだ。
そして、同年から、宇宙開発事業団(NASDA)は、これまでのNASDAの宇宙開発の34年の歴史をホームページ上で振り返ることができる「プロジェクト・ビューアー」を公開した。ロケット、人工衛星、宇宙ステーションの3大プロジェクトを中心に600点以上の写真を通して、日本の宇宙開発の歴史を展望できる。宇宙が好きな人には、たまらないページだ。興味のある人は以下参考の宇宙情報センターを覗いてみるとよい。きっと、満足するよ。
又、2003(平成15)年に打ち上げた「はやぶさ」のその後のことは以下でわかるよ。
2006年5月末現在の「はやぶさ」探査機の状況について>
「はやぶさ」によるイトカワの科学観測成果、科学雑誌「サイエンス」が特集!
(画像は2002年.2月4日、H-IIAロケット試験機2号機打上げ。宇宙開発事業団HPより)
参考:
宇宙情報センター
http://spaceinfo.jaxa.jp/welcome/index_j.html
宇宙開発事業団法
http://law.e-gov.go.jp/haishi/S44HO050.html
独立行政法人宇宙航空研究開発機構法
http://www.ron.gr.jp/law/law/d_nasda.htm