今日(10月21日)は「あかりの日」
1879(明治12)年10月21日、エジソンが日本・京都産の竹を使って白熱電球を完成させた。あかりのありがたみを認識する日。日本電気協会・日本電球工業会等が1981(昭和56)年に制定。
人類の歴史は、生活の中で火を使う事から始まったといわれる。,火は熱と光を人間に与えてくれた。この火によって、天敵から身を守り、 食べ物を加熱調理することを覚えた。そして、夜も人間が活動を続けられる基礎となる「あかり」を 与えてくれたのである。
あかりの歴史を見ると、昔の松明(たいまつ)を燃やす事から、燈明(とうみょう)・蝋燭(ろうそく)、そして、ランプなど、光を出すには 、 ほんの120年前位までは、必ず火を燃やさなければならなかったのである。
この火を使わないあかりとして、一番最初に発明されたのは1821年「アーク灯」と呼ばれるものであったが、アーク灯は点灯するのに技術が必要な上、 消耗(しょうもう)が激しく実用的ではなかった。 続いて1879(明治12)年2月、イギリスのスワンが 「炭素繊条」(たんそせんじょう)を使った白熱電球を発明した。 しかし、これも寿命が短くやはり実用的ではなかった。
そして、ついに、エジソンが、寿命の長い白熱電球を発明した。彼は、1877(明治10)年に蓄音機を、1893(明治26)年にはキネトスコープを発明し、当時の生活をガラリと変えた。しかし、「白熱電球」はエジソンの 発明したものの中でもっとも価値のあるものであった。この発明が発表された当時「世界から夜が消えた」と呼ばれたように、白熱電球は現代においてもなお大きな恩恵を与え続けている。しかし、このエジソンの白熱電球が、京都の八幡村にある「竹」に出会った事で完成されたと言うのは面白いね~。
「あかり」というとき思い浮かべるのは、蝋燭の揺れている光、行灯の柔らかい光、遠くに見える家の光、焚き火のあたたかい火などであり、「あかり」は、その昔は「あか(赤)」と共通の意味を持った言葉として生まれ、赤く燃える火の明るさを表す言葉として使われていたのであろう。白熱灯には、この明るさがある。欧米の家庭では白熱灯照明が大半であるが、それに対して日本はまったく対照的で白色蛍光灯照明を使用している。
私は、白熱灯の赤い温かみのある色が好きなので、今の家を新築した時には一部の個室を除き、白熱灯にした。夜など、家の窓からもれるほんわかとした明るい「あかり」がなんともいえない雰囲気をかもし出す。しかし、日本の家庭で、蛍光灯の使用が多いのは、白熱灯は、蛍光灯に比べ、光の質的評価は高いものの、寿命が短い点と、照度の効率が低いという経済的なデメリットがあるからだろう。照明も量から質へといわれて久しいが、まだまだ、住宅に関しては相変わらず、明るさという量にこだわっている人が少なくないようだ。それに、白熱灯は、輻射熱が出るため、夏は暑い感じがする面もある。我が家でも、食堂などは、これを避けるため、夏だけは、白熱灯を、パルックというのかな?蛍光灯が中に入った電球に変えて使用している。
光やあかり、照明などは、人間が生きていく中でとても大切なものだ。部屋の照明を少し変えるだけで、落ち着きもするし、気分も変わる、そして、その場にあったムードも楽しめる。この機会にもっと、照明を生活の一部として考えてみるのも良いのではないだろうか。
(画像は、白熱灯を使用したシャンデリア。マイリビングのものだが、明るさが調整出来る)
参考:
日本のあかり博物館公式ホームページ
http://www.nihonnoakari.or.jp/
神戸らんぷミュージアム あかりと歴史
http://www.kobe-lamp.com/top.html
明るい快適生活のご提案・あかり講座(Natinal)
http://national.jp/college/akari/index.html
1879(明治12)年10月21日、エジソンが日本・京都産の竹を使って白熱電球を完成させた。あかりのありがたみを認識する日。日本電気協会・日本電球工業会等が1981(昭和56)年に制定。
人類の歴史は、生活の中で火を使う事から始まったといわれる。,火は熱と光を人間に与えてくれた。この火によって、天敵から身を守り、 食べ物を加熱調理することを覚えた。そして、夜も人間が活動を続けられる基礎となる「あかり」を 与えてくれたのである。
あかりの歴史を見ると、昔の松明(たいまつ)を燃やす事から、燈明(とうみょう)・蝋燭(ろうそく)、そして、ランプなど、光を出すには 、 ほんの120年前位までは、必ず火を燃やさなければならなかったのである。
この火を使わないあかりとして、一番最初に発明されたのは1821年「アーク灯」と呼ばれるものであったが、アーク灯は点灯するのに技術が必要な上、 消耗(しょうもう)が激しく実用的ではなかった。 続いて1879(明治12)年2月、イギリスのスワンが 「炭素繊条」(たんそせんじょう)を使った白熱電球を発明した。 しかし、これも寿命が短くやはり実用的ではなかった。
そして、ついに、エジソンが、寿命の長い白熱電球を発明した。彼は、1877(明治10)年に蓄音機を、1893(明治26)年にはキネトスコープを発明し、当時の生活をガラリと変えた。しかし、「白熱電球」はエジソンの 発明したものの中でもっとも価値のあるものであった。この発明が発表された当時「世界から夜が消えた」と呼ばれたように、白熱電球は現代においてもなお大きな恩恵を与え続けている。しかし、このエジソンの白熱電球が、京都の八幡村にある「竹」に出会った事で完成されたと言うのは面白いね~。
「あかり」というとき思い浮かべるのは、蝋燭の揺れている光、行灯の柔らかい光、遠くに見える家の光、焚き火のあたたかい火などであり、「あかり」は、その昔は「あか(赤)」と共通の意味を持った言葉として生まれ、赤く燃える火の明るさを表す言葉として使われていたのであろう。白熱灯には、この明るさがある。欧米の家庭では白熱灯照明が大半であるが、それに対して日本はまったく対照的で白色蛍光灯照明を使用している。
私は、白熱灯の赤い温かみのある色が好きなので、今の家を新築した時には一部の個室を除き、白熱灯にした。夜など、家の窓からもれるほんわかとした明るい「あかり」がなんともいえない雰囲気をかもし出す。しかし、日本の家庭で、蛍光灯の使用が多いのは、白熱灯は、蛍光灯に比べ、光の質的評価は高いものの、寿命が短い点と、照度の効率が低いという経済的なデメリットがあるからだろう。照明も量から質へといわれて久しいが、まだまだ、住宅に関しては相変わらず、明るさという量にこだわっている人が少なくないようだ。それに、白熱灯は、輻射熱が出るため、夏は暑い感じがする面もある。我が家でも、食堂などは、これを避けるため、夏だけは、白熱灯を、パルックというのかな?蛍光灯が中に入った電球に変えて使用している。
光やあかり、照明などは、人間が生きていく中でとても大切なものだ。部屋の照明を少し変えるだけで、落ち着きもするし、気分も変わる、そして、その場にあったムードも楽しめる。この機会にもっと、照明を生活の一部として考えてみるのも良いのではないだろうか。
(画像は、白熱灯を使用したシャンデリア。マイリビングのものだが、明るさが調整出来る)
参考:
日本のあかり博物館公式ホームページ
http://www.nihonnoakari.or.jp/
神戸らんぷミュージアム あかりと歴史
http://www.kobe-lamp.com/top.html
明るい快適生活のご提案・あかり講座(Natinal)
http://national.jp/college/akari/index.html