今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「 東海林太郎 (歌手『赤城の子守唄』)」の忌日

2005-10-04 | 人物
1972年の今日(10月4日)は「 東海林太郎 (歌手『赤城の子守唄』)」の忌日である。
東海林太郎 (本名)・・戦前の流行歌を支えた大歌手である。1898(明治31)年12月11日、秋田市生まれ、音楽家を目指した彼は、東京音楽学校(現・東京芸大)を受験、合格する。しかし、秋田県の役人から満鉄社員に転じた父親をもつ東海林家は、きわめてもの堅い家風だったようであり、彼の音楽化志向を認めず、結局、早稲田大学商学部に入学することとなる。そして、卒業後、満鉄に入社し、8年間在職したが、オペラ歌手になる志しを持ち続け、1930(昭和5)年に、退職。東京で下八川主祐に声楽を学び、1933(昭和8)年時事新報社(現・産経新聞)主催の音楽コンクール声楽部門に入賞し、キングレコードに入社。まもなく、ポリドールに移った。翌1934(昭和9)年、2月ポリドールから出した「赤木の子守唄」が爆発的に売れた。「赤城の子守唄」は、新国劇で大当たりをとった「国定忠治」が背景にあり、さらに松竹で映画化された「浅太郎赤城の唄」の主題歌だったが、映画よりも主題歌の方が国民的人気を博した。国定忠治の子分・板割の浅太郎が御用聞きの叔父を切り、その子の勘太郎を背負って、泣く泣く赤城山に戻るという講談・浪曲に名高い話を歌謡化した股 旅ものの決定版である。この歌があまりにも売れたのが幸か不幸か・・・結果的に、彼がひそかに抱いていたオペラ歌手への夢を捨て、流行歌手への道へ進むこととなった。次いで「国境の町」」「野崎小唄」「むらさき小唄」「麦と兵隊」などと相次ぐヒットが、彼を押しも押されもせぬ流行歌手にした。そして、股旅物と大陸歌謡の二つの路線で活躍した。正統派藤山一郎と戦前の歌謡界を二分した人気歌手だったが、戦後は歌謡曲界も大きく変り、ドサ回りの時代が続く。それでも、黒燕尾服にロイドめがねをかけ、直立不動、正統派の発声でステージに立つ姿は、オペラ歌手への見果てぬ夢を表現しているようであった。戦後は、歌手として不遇だった上に、直腸がんで3度も手術をする不運もあった。テレビが普及するまでのお茶の間の人気者はラジオであったが、そのラジオ放送で、1951(昭和26)年NHKに記念すべき番組が生まれた。紅白歌合戦である。第1回は、正月番組として正月3日夜8時から1時間放送された。新趣向の歌番組は大成功であった。出演歌手は、女性軍、男性軍共に8名づつ。その中に東海林も出場している。歌は 「赤城かりがね」であった。しかし、第2回以降の紅白歌合戦に東海林の出番はなかった。1970(昭和45)年以降、テレビにも懐メロ歌手として出場していたが、年輪を重ね年をとっても歌う姿、その美声に変りはなかった。さすが、本格的な発声法を見に付けた歌手であった。1972(昭和47)年10月4日、立川市のマネージャーの家で「ちょっと昼寝を」と言って、横になった彼はそのまま帰らぬ人となった。死因は心不全。73歳であった。
昭和30年代、私は、大阪で仕事をしていたが、のん兵衛の私など、年中、大阪のバーの他、キャバレーやクラブにも入り浸っていたが、入社間もない私が行くような、そう高級でもないクラブなどで、東海林太郎の歌を聞いた。もう、歌謡曲界は、新しい時代に入って、明るいポップス調の歌が流行し、彼の歌うような歌は流行らなかった。酒に酔って回りの女性とわいわい談笑し、まともに、歌など聞いている人も少ない中で、トレードマークの黒燕尾服に、直立不動の変らぬ姿で歌っていた。時と場所を変えて、2回ほど彼の歌っている場に出会ったが、歌は2度とも、誰でもが知っている「赤城の子守唄」であった。クラブの狭い場所なので歌っている姿も目の前で見れたが、歌っているめがねの奥の目には深い悲しみが漂っているように伺われた。私も、歌を聴いていて、哀しかった・・・。でも・・・、それも、一瞬、その後は、又、ホステスの女性とわいわい言いながら酒を飲み酔っ払って最終電車で家に帰ったのを思い出す。
泣くなよしよし ねんねしな
山の鴉が 啼いたとて
泣いちゃいけない ねんねしな
泣けば鴉が またさわぐ・・・・・
今では誰も歌うこともなくなった懐かしい名曲「赤城の子守唄」(作詞:佐藤惣之助 、作曲:竹岡信幸 )、同じく、赤木山を歌った「名月赤城山」(作詞:矢島寵児作曲:菊池 博)をMIDIを聞きながら歌ってみませんか。
「赤城の子守唄」(歌詞のみ曲なし)   
二木 紘三MIDI歌声喫茶「名月赤城山」(歌詞付き曲有り)
(画像は、amazonのCD「東海林太郎ベスト」名曲「赤城の子守唄」他を含む東海林太郎の全曲集。)
参考:
東海林太郎
http://www.kcat.zaq.ne.jp/takase/011.html
東海林太郎の数々の永遠の名曲・不滅のヒット曲・エピソードなど・・・。トップいきなり東海林太郎 の懐かしい名曲「赤城の子守唄」を歌う生の声が聞ける(1フレーズだけ)。又、同HPの懐かしい写真集 2以降では数多くの目面しい写真が見れるが、なぜかトップページとリンクしていない。見たい人は、以下にアクセスしてみてください。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/takase/shashin2.html
「NHK紅白歌合戦」出場歌手・曲目一覧
http://www.enka-music.net/enka/NHK-Kouhaku/index.html