ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ヘイト、フェイク、 あるいはオオカミ少年

2019年09月07日 | 日記

  葛。秋の七草の一つ。

 SNS(ソーシャル・ネットワークキング・サービス)の急激な普及で、この便利なシステムをどう活用するか、あちこちでイザコザが起きているようだ。例えば、ありもしないことをあげつらって、特定の人をヘイトスピーチで晒したり、その反対に訴訟を起こされ賠償金を支払わせられたり。また嘘情報が大手を振るったりとか。思うに福島原発事故をめぐるさまざまなヘイト、あるいはフェイクは、8年経った今でさえ収束しないのは周知のとおり。

 こうした各種の情報が錯綜すると、たとえば災害時の情報では、被害を拡大することも心配され、これに注意を促す論説が、テレビや新聞などで取り上げられている。

 ところで、清水幾太郎は戦前、戦争下のデマ・噂の氾濫にイライラを募らせられた戦争情報関係からの依頼で、その対策について調査研究している。その結論として、デマは情報の不足から発生するとした。(「流言蜚語」岩波書店)。戦況が不利になり、人々の生活が逼迫してくると、デマはそれこそ千里を走るのだ。この結論は今でも生きていて、情報が過多だと言われている現在でも、特定の出来事に関する肝心の情報が不足していると、フェイクニュースが氾濫するのだと思う。森友問題など、そのいい例に違いない。

 私は、世の識者が言うように、SNSに抑制的になるよりは、数限りなく出回るミソもクソも一緒くたにしたような情報こそ大事なことだと思っている。事件や事実を巡る、本当の経緯というのは、なにが本物で、なにが虚偽なのか、その区別は簡単に腑分けできることではないのだ。虚報とみなされる発信も、発信者にしてみれば、その人なりにの訳あっての発信なのであって、まったくの虚偽でないのである。朝日新聞が長きに渡って伝え続けた、慰安婦に関する偽情報も、当事者は虚報として報じていたわけではあるまい。その記者本人には、それなりの根拠があったはずである。

 私たちは今まで口伝え以外に情報を伝えてる手段を持たなかったのだが、SNSのおかげで、自分の考えや見たことを自由に発信できるようになった。マスメディアを使っての、特定の人だけが独占していた情報も、SNSによってその歪みを正すことができるようになったのである。そのせいか、近年、テレビの視聴率は下がり、新聞の購読者は激減している。

 今やインスタグラムやユーチューブ、ツイッターなどで手軽に身の回りのことを発信できる。中にはどぎついものもあるが、それらはやがて淘汰されるであろう。だから良識ぶってSNSに抑制的な言説を唱える人たちに、私は異議を唱えたいのである。
 オオカミ少年の話がある。最後に羊が全滅しないためにも、オオカミ少年のような情報発信者には耳を傾けるべきなのだ。そして、その情報の真偽は、受け手たる私たちの成熟度が見極めるのだ。【彬】

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 駅の出口は出場口なのか | トップ | 秋の入り口を楽しむ人たち »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事