ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

営業という仕事

2020年06月15日 | 日記

 キキョウ

 コロナ給付金をめぐり電通が不当に介入したのではないか、と野党が息巻いている。電通と言えば広告業界を仕切るビッグビジネスの牙城。オリンピックとか巨大ビジネスは電通なしには話は進まないようになっている。日本だけではなく、世界的なビジネスには、事業を推進するマネージャー、仲介者というのは不可欠な職種、つまり営業という重要な役目を負った仕事なのである。
 電通というと大袈裟になるが、どんな会社にも営業という職種がある。コロナ禍のなか、自宅勤務・テレワークという仕事のあり方が注目を集めたが、営業というのは自宅では仕事ができない仕組みになっているようで、本社勤務の大多数が営業関係、だから緊急事態が解除されれば、そうした営業関係の社員は何がなんでも東京の本社に一目散ということになる。
 営業というのは大昔はセールスマンとか言って、言わば卑下された職業だった。劇作家のテニシー・ウイリアムスに「セールスマンの死」という著名な作品があるほどだ。でも取引額が何億とかという話になると、セールスマンどころではない。つまり優秀な営業マンの出番なのである。
 かれこれ40年前のことだが、交通安全の仕事をしていた折、必要があってトヨタ自動車に出向いていたことがあった。ある日の早朝、トヨタの担当者に面会に行ったら、驚いたことにトヨタの社員よりも早く電通マンが担当者のテーブルを占拠、女性社員やらと何やら打ち合わせをしていたことだった。おいおい電通マンはいつからトヨタの社員になったのだ、、、。
 私のような社会の端で生活する者にとっては、自動車などという巨大なビジネスの仕組みは想像だにできないのだが、産業社会をスムースに進めるためのは、こうした営業=悪く言えば口利きの仕事が円滑剤になっているのだろう。
 ある時から一般の営業種は下火になり、代わりにセールスエンジニアという職種が注目を集めるようになったが、通信システムの圧倒的な進展の今日、この職種も下降線模様。
 吉本隆明さんが嘗て産業構成で、第三次産業の従事者・生産額が国内の過半数に達する時代の経済を予測していたが、何が私たちの生活の根拠としているのかが、本当にあやふやになっているように思う。
 コロナ禍による生活不安は、第三次産業の不安でもある。【彬】

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