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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ヒゼンマユミ & 防災という足枷

2016年02月06日 | 日記

          ヒゼンマユミ

 小石川植物園で変わった木をみつけた。入園門の左手の塀際で、こんもりとした葉のなかに小さなミカンのような赤黄色い実をつけている木だ。なんだろう。さっそく受付の人に聞いてみた。この園は東大の農学部が管理しているので、受付の人とはいえ、植物の専門家なのである。「ああ、あれはマユミです」と即答。えっ、マユミって落葉の潅木ではないですか、大きな木だし、葉も青々している。そこで木の麓にいき、名札と確認してみた。確かにマユミと書いてある。が、ヒゼンという頭がついている。ヒゼンマユミというのだ。肥前で発見されたそうで、マユミと同じニシキギ科という。分類学も細部にいくと外見だけでは分からない複雑さがある。

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 防災という足枷

 新聞を見て驚いた。毎日新聞2月1日朝刊、「高台に限界集落」という見出しの記事。政府の震災復興構想会議が掲げた「創造的復興」の中核的な事業。だが現実には、高齢化と人口減少に拍車のかかる三陸沿岸に、防集は新たな限界集落をうみだした、と書かれている。上空からの写真が添えられていて、海岸の高台を削り取った場所に4軒の家が建てられている。

 この建設には、多額な助成金が注ぎ込まれているはずだ。しかし、このような住居に住もうとする人は、特別な人に違いない。漁業に従事する人は、多少危険でも海辺に住まうはずだ。そういう人達の意向にそぐわない机上の計画だから、復旧は遅々として進まないばかりか、いっそうの限界集落化が進むのである。防災という大義によって、漁港の周囲には海岸線が見えないほどの高い堤防が拵えられ地上は小高く盛り上げられるようになった。

 復旧の基本は地元の人達の意向だ。が、自治体やら行政機関は、何かの大義がないと予算がつかないのか、専門家などといった人を呼んで、法的に縛る。私には、防災という足枷が重くのしかかっているようにしか思えないのだ。【彬】

 

 

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