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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

この夏はヘルマン・ヘッセ

2024年08月20日 | 日記

 3月31日の「ヘッセで青春を取り戻す」の続きです。

 この度、ヘッセの、Unterm Rad 「車輪の下」を読み終わりました。夏前には、読了を予定してましたが、かなり難しいドイツ語で時間がかかりました。豊富な語彙、ドイツ語独特というか、詩人ヘッセ独特の表現があり、おおいに汗をかきました。

 この作品は、1906年、ヘッセが29歳の発表。内容は、ヘッセ自身の体験を踏襲しているという。若いヘッセがそうとう気合をいれ、書き上げたと、感じる。そして共感するところも多い。僕自身、大学でドイツ語を勉強し、挑戦したが歯が立たず、長い年月を経てようやく実現したもの。この夏は、100年以上前のドイツの田舎町にタイムスリップした気分になり、楽しかった、

 ストーリーは、大変優秀な少年、ハンスが、難関の神学校に進むが、様々な矛盾に悩み故郷に戻る。そして、鉄工所の、職人見習工として働き出し少し喜びも見い出す。

 ある日曜日、職人仲間と、初めて居酒屋にくりだす。そこで楽しみ、飲みすぎた状態で、一人で帰路に就く。そして、何らかの原因で、川にはまり命を落とす。

 ハンスが初めて居酒屋にはいり、次のような印象を語る。

 まずドイツ語で、

Es war doch nicht so ubel, so seinen fidelen Sonntag zu haben und Wirtstish zu sitzen wie einer, der es darf und verdient hat, und mit Leuten, die das Leben und das Lustigsein loshatten.Es war schon, mitzulacnhen und bisweilen selber einen Witz zu risukieren, es war schon mannlich, nach dem austrinken sein Glas mit Nachdruck auf den Tisch zu knallen und sorglos zu rufen ’Noch eins,Fraulein,!”,.

 次に僕の日本語、

 このよう愉快な日曜日があり、それが許される人のように、そして、人生を持ち、愉快にやることができる人と一緒に居酒屋のテーブルに座るのは悪くなかった。ともに笑い、時には、思い切って自分から、洒落でもとばすのは、いいものだ。杯を飲み干し、力を込めて、テーブルをトントンたたき、きままに、「ねえさん、もう一杯!」などと叫ぶのも男らしくいいものだった。

   2024年8月20日   岩下賢治

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医者の処方薬と市販薬

2024年08月17日 | 日記

         カヤツリグサとスベリヒユ 

 この一週間、微熱と咳に苦しんだ。特に寝込むほどのことではないが、食道の奥の方がむず痒く、最初はコホン、コホン程度だったが、日が進むにつれて、コホッ!コホッ! と激しくなり、ついには、ゴホッとなるほとになった。それに熱のせいか、腰から腹部、大腿部などの筋肉痛が重なった。熱と言っても36°を若干超える微熱である。
 これは病院に行くより仕方ないな、と思ったところ、運悪く、お盆休みと重なった。病院はどこもお休み。市販の総合感冒薬、および解熱鎮痛薬を買って凌ぐほか手はなかった。それでなんとか落ち着きを取り戻した。しかし症状が出始めてから丸二週間、一体これはなんだったのだろうか。はやりのコロナ風邪だったのか。でも喉の痛みはく、熱も大したものではなかった。咳がひどかっただけである。
 で、この間の体験からの教訓。
 薬には市販薬と医者の処方薬があるということ。そして処方薬は薬局では販売できないことを知ること。この区別を知ることが大切である。以前処方してもらった薬を、薬名を示して、薬局で買おうとすると断られる。
 だから処方薬は、回復したあとにも薬効を明記して大切に保存すべきである。昔、病気が治ったからといって、処方された薬を廃棄したら、医者に怒られたことがある。「捨てなくてもいいだろ!」と。医者はたいてい多めに薬を処方してくれる。これを家庭常備薬としてきちんと保存しておくことは、健康を維持していく上で大事なことである。【彬】

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こおろぎの鳴くを聞く

2024年08月08日 | 日記

          キキョウ

 8月8日、昨夜、関東地方の東部では激しい雷雨があった。中でも東京都の北東部、埼玉あたりでは、豪雨で被害が出るほどの猛烈なものだったらしい。都心も雷雨だった。そのせいか、今日は多少暑さが和らいだかのよう。でも相変わらず、36度を超えている。いい加減うんざりだ。
 とはいえ、この夕方、路地の草むらからコオロギの鳴く声を聞いた。まだか細い鳴き声だが、その音の中に微かに涼感を感じ取ることができた。湿度が低くなったのに違いない。西の空には、細い細い三日月が、かすみながら見える。
 暑さは明らかに峠を越した、と思う。
 自然の運行、季節の移り変わりは、決して期待を裏切らない。
 さて、どんな秋が待ち受けているのか。果樹の実りが気になる。我が家の柿は、葉は茂るに茂ったが、肝心の実がこの暑さのせいか、落果するものが多く、10果に満たない様相だ。【彬】

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高齢者の屋外作業

2024年08月04日 | 日記

         ヒルガオ

 都内のビル群が建て替え時期に当たっているのか、各地で外壁ネットを張って解体・改修作業が行われている。猛暑の屋外での重労働である。たいへんな作業だとおもう。

 こうした工事には、歩行者を誘導する道路整理の人が必ずつく。法律で決められているからである。多い時で、4人、5人。その人たちは大概年配の人で、60歳を過ぎたであろう、明らかに定年後の人たちである。この暑さの中、冷風付きジャケットを着て、ずっと立ちどうしの仕事である。

 高齢者の就職口はかぎられていると思うが、それにしても炎天下の中での道路整理は難儀ではないか。他に仕事はないのものか。不適切作業として職安案件にならないのか、と気になる。

 この作業、簡単なロボットで代用がきくと思うのだが。

 すると、当該の高齢者から苦情がきそうである。我々の仕事を取り上げるのか、、、と。

 世の中、人手不足というが、高齢者の仕事場が少ない。公共事業の中で、職場を増やすことはできないのだろうか。例えば、病院の受付、税務署の受付、役場の受付など。学校の手伝いとかも高齢者にふさわしいのではないか。今、自治体は貧困家庭に何だかんだと補助金を出しているが、それをするより、職場を増やしてあげたい。私の知人は80歳を間近にして、不慣れな民間の警備員になった。ただ巡回するだけの仕事だとは思うが、相応しいとはとても思えない。【彬】

 

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黒人武士・弥助と外務省の仕事

2024年07月30日 | 日記

         キバナコスモス

 私たちは国の戦力とか、外交のことについては全くの無知である。当然である。私たちの日常生活からもっとも遠い国家機能だからである。

 しかし、今回、たまたま黒人武士・弥助の話が話題で、その関係から外務省という組織が、海外の大使館でどんなことをしているのか、明らかになって唖然としている。私だけではあるまい。

 大使館というのは、在留邦人の保護が主で、同時に相手国との各種通路を開き、良好にこれを維持するのが仕事と思いきや、スパイもどきの宣伝活動=プロパガンダもするのだと、恐れ入ったのである。

 具体的に言うと次のようになる。すなわち、2018年の在モザンビーク大使・池田敏雄氏は挨拶で次のように述べた、とされている。

「1581年イタリア人宣教師ヴァリニャーノは織田信長に謁見した際に,従者として連れていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人はモザンビーク出身であり,信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられます。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。」 

 これは問題となっている、トーマス・ロックリー(日大准教授・イギリス人)の『信長と弥助』(ネットゲームの原案にもなっている)をもとにしていると思われる。まず弥助がモザンビーク出身だというのはロックリーの想像で、何の根拠もない(最近は南スーダンと言っている)。外務省はカメルーンでも、上記のような観点から、「弥助展」をやって宣伝活動をしている、と言うのである。日本史の専門家にとってなら、弥助=カメルーンの黒人とか、全く根拠のないことは自明である。こんな事例を出して海外活動をしていることが驚きである。もともと弥助というのが曖昧である。それを外国でキャンペーンするなんで、とんでもないことである。外務省はこんな曖昧な史実で、外交をおこなっているのか。

 外務の仕事がどんなものなのか、国会でもっと追求してもらいたいものである。岸田首相は外務大臣を長らく務めてきた。その経験が今日の活発な海外活動の背景をなしていよう。国会を疎かにして外交に力点を置く施政が、私には不快である。【彬】

 

 

 

 

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