親子は似ている。あたりまえの事だが、確かに似ている。
よし坊には娘が二人。顔立ちで言えば、上の娘はよし坊、即ち父親似で、下の娘は母親似である。大方の娘がそうである様に、上の娘も「母親似でなくてガッカリ」などと言う。父の日があったけど、やはり母の日のほうが格上で、母親は得だな、とつくづく思うのだ。
上の娘は、身体的特徴のひとつである顔立ちだけが似ているのではない。小さい頃から教えた訳でもないのに、何故かやることが似ているので、ビックリである。
最初に気が付いたビックリは、箸の持ち方である。気が付いたのは、娘が18位の時だ。ワイフと下の娘は正統派で、正しい持ち方をしているが、よし坊は中指の位置が変則だ。小さい頃からよし坊の食べ方、持ち方をじっと見ていたわけでもあるまいが、中指の位置がソックリなのであるから、やはり驚きだ。それが分かってから、娘は正統派にさっさと鞍替えしてしまった。
拳を握るには、親指を中に入れるか、外に出すかの二つ。よし坊一派は中へ入れる。ワイフ一派は外に出す。普通は外に出すのだろう。これも教えたわけではない。
手巻き寿司の巻き方にも驚いた。ワイフ一派は、正統派と言うか、ご飯を海苔で三角錐状に巻く。よし坊一派は、巻寿司を巻くように、横に巻いていく。小さい時、ワイフが子供に正統派巻き方を伝授しているはずだと考えると、いつの間にか、上の娘はよし坊流になっていった事になる。それほど、よし坊のやり方を見ていたとは思えないから、これも不思議で驚きだ。
ワイフ一派に言わせると、他にも似ているところがイロイロとあるらしい。因みに血液型もきれいに分かれていて、ワイフ一派がA型に対し、こっちはO型なのである。ま、似たもの親子というのは、ここまで似るのか、ということか。今頃娘は、さぞかし嘆いていることであろうが、よし坊は、やはり親子だ、と思わず口元が緩む。
よし坊には娘が二人。顔立ちで言えば、上の娘はよし坊、即ち父親似で、下の娘は母親似である。大方の娘がそうである様に、上の娘も「母親似でなくてガッカリ」などと言う。父の日があったけど、やはり母の日のほうが格上で、母親は得だな、とつくづく思うのだ。
上の娘は、身体的特徴のひとつである顔立ちだけが似ているのではない。小さい頃から教えた訳でもないのに、何故かやることが似ているので、ビックリである。
最初に気が付いたビックリは、箸の持ち方である。気が付いたのは、娘が18位の時だ。ワイフと下の娘は正統派で、正しい持ち方をしているが、よし坊は中指の位置が変則だ。小さい頃からよし坊の食べ方、持ち方をじっと見ていたわけでもあるまいが、中指の位置がソックリなのであるから、やはり驚きだ。それが分かってから、娘は正統派にさっさと鞍替えしてしまった。
拳を握るには、親指を中に入れるか、外に出すかの二つ。よし坊一派は中へ入れる。ワイフ一派は外に出す。普通は外に出すのだろう。これも教えたわけではない。
手巻き寿司の巻き方にも驚いた。ワイフ一派は、正統派と言うか、ご飯を海苔で三角錐状に巻く。よし坊一派は、巻寿司を巻くように、横に巻いていく。小さい時、ワイフが子供に正統派巻き方を伝授しているはずだと考えると、いつの間にか、上の娘はよし坊流になっていった事になる。それほど、よし坊のやり方を見ていたとは思えないから、これも不思議で驚きだ。
ワイフ一派に言わせると、他にも似ているところがイロイロとあるらしい。因みに血液型もきれいに分かれていて、ワイフ一派がA型に対し、こっちはO型なのである。ま、似たもの親子というのは、ここまで似るのか、ということか。今頃娘は、さぞかし嘆いていることであろうが、よし坊は、やはり親子だ、と思わず口元が緩む。