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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Bullying and Harassment at Work

2012年04月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
職場での嫌がらせの代表格がSexual Harassmentだが、最近の日本では「パワハラ」もクローズアップされている。Bullyingとか、Bullying at Workという表現で使われる地位と権力を利用した「イジメ」なのである。このパワハラは、洋の東西を問わず、どこでも起こり、このアメリカでも日常茶飯事である。だからHRは忙しい。問題は、そうした事例に対する感度だが、日系企業の感度は極めて低い。理由は簡単。日本では歴史的に、セクハラやパワハラに対する認識が希薄で、その様な企業文化に育った人間がアメリカに来てマネジメントをするからである。日本人幹部がその辺りを意識すれば良いが、ななかなそうならない。以下は社長もHRも本来の仕事をしなかった事から訴訟となった残念な出来事である。

滞米10年以上のベテランで英語は堪能、と聞けば、誰しも問題は無いと思うが、実際はそうではない。甘い日本と異なり、ルールに厳しいアメリカでは容赦なく叩かれる。ハラスメントの領域ではなお更だ。彼は、指示(口頭やメール)は常に命令口調を帯び、説明無しでの指示変更が多く、部下泣かせ。日本人はそれに黙って付いていくが、新たに転職してきた米人女性の部下は黙っていなかった。何故変更が必要なのかの説明を求めたのだが無視されてしまった。時には過重作業になり、予定通りにいかないと、パフォーマンスが悪い、査定に響くよ、等と嫌味を言われ始めた。彼女は、この上司とは仕事が出来ないと判断し、米人HRに問題を持ち込んだ。

何故、会社は訴えられたのか。問題は二つ。一つは、米人HRの問題の取り上げ方である。変に日本ズレしていたHRは、日本人はそんなものだから、と逆に彼女に我慢した方が良いと説いた。それでも彼女は我慢が出来ず、社長に直談判するとアピールした時点で、漸くHR氏は社長に問題を上げたのだが、ここからが二つ目の問題である。対象が日本人駐在員なので、社長としては事を荒立てたくは無い。「本人にはよく言っておく」ことでその場を収めた。彼女は社長に話が上がった事で問題が改善されると信じた。が、そうならなかった。

彼女はHRに問題が一向に改善されない事を問い詰めるが、HRは「社長マターだ」と逃げのスタンス。最早これまで、とHRに辞職願いのメールを送った。訴訟が起きたのは、それから二ヵ月後の事だった。

強いアメリカが帰ってくる、かもしれない

2012年03月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
強いアメリカが帰ってくる、かもしれない。

ボストン・コンサルティング・グループが最近出した報告書 「Made in America, Again: Why Manufacturing will return to the U.S.」は、アウトソース先としての中国から製造業が戻ってくるという明るい話題を提供してくれた。

報告書は、中国の急激な賃金上昇及び近年の燃料費の高騰による輸送コストの大幅増がアウトソーシング市場の位置付けを一変させ、2015年迄には、米中のコスト差が10%迄縮まると予想し、かつて中国に手放した製造業の仕事をアメリカに戻す流れが始まったとしている。既に南部のNCでは、かつての主要産業の一つであった家具業界でアメリカ回帰が起こっており、アメリカの基幹産業である自動車業界でも、フォードが既に約2000のジョブをアメリカに戻したと報告されている。

昔から、衣料を含む軽工業品の中国製は世界を席巻し、その後エレクトロニクス、パソコン、そして重量級の自動車が、膨大な中国国内の潜在需要と言う魅力の下に中国進出したわけだが、ここに来て、中国依存の限界が漸く見え始めたと言う事だろう。

このニュースに接した時、昨年のある出来事を思い出した。筆者は一消費者として個人的にスポーツシューズに関心が高い。折りに触れてはスポーツショップに立ち寄りSomething Newを物色するのだが、数あるブランドの中でもNew Balanceが好きである。このブランドは、ナイキだとかアディダス等の他のブランドとは異なったポリシーを昔から貫いている。他ブランド同様、ニューバランスも中国を含む海外生産に依存しているが、100ドルを超える一部のモデルだけは、Made in USAを頑なに守り続けているのだ。今もマサチューセッツのローレンス工場で作っているはずだ。ところが、である。 昨年久しぶりに「New Balance」ショップに立ち寄った時のこと。100ドルゾーンの靴にMade in Chinaが出ているではないか。これをどう読み解くべきか、その時以来大いに迷っていた。ニューバランスはMade in USAのカテゴリーを放棄しようとしているのか、それとも、Made in Chinaでハイエンドのカテゴリーを展開し始めたのか。筆者の勝手な結論はそのいずれかでもない。中国のコストがそこまで上がってしまったのだ。
これからのニューバランスはMade in USAがもっと増えるかも知れない。これはよし坊にとって願っても無い事である。

「取締役」の読み方

2012年02月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
昔、上司である取締役営業本部長とアフター5の飲み会で一緒になった時、この本部長殿が「毎日会議の連続で、出れば上から怒られっ放しや、トリシマリヤクではなく、トリシマラレヤクやで」と苦笑いしていたのを思い出す。以来、筆者の中では、そう読む事にしてきた。

昨年12月号で触れた光学機器メーカーO社の不正事件は、トリシマラレヤクを彷彿とさせる事件だ。真相解明の第三者委員会が役員全員の責任と退任を促し、監査役の責任にも言及した事で、日本も遅ればせながら、漸くこのレベルまで来たのかと思う。「取締役」と肩書きが付いた世の御仁はさぞかし肝を冷やしている事であろう。そうでなければ「取締役」失格だ。かつて、定年間際の形だけ「上がり」の、何もしない監査役の役割が、当時の企業不祥事で攻撃の的になり、どこの企業も表面的には監査役強化に乗り出したものだが、今回は、この重要性にも再びスポットライトを当てることになった。

国際的企業に名を連ねた会社で、しかも不正あばきが外国人社長によってなされた為、俄然世界の注目を浴びることになったが、世界の批判は、この国際的企業のみの経営不透明さに向いたに留まらず、その矛先は海外に展開する日本企業全体にも向いている。

それにしても、事件後の現経営陣による経営続行(居直り)宣言、延命姿勢を見るにつけ、日本企業だけでなく、日本という共同体を包んでいる、「ムラ社会」の思想が時代に関係なく、連綿と続いていることを実感する。そう考えると、地続きの国境を持たない島国国家の宿命と言うべきか、この国がグローバルな世界展開をしていくのは並大抵ではないと思わざるを得ない。

トリシマリヤクは、自らルールを破ってもいけないが、他人のルール破りを見つけ、或いは疑念を持ったら、それを看護してはならない。そういった取り締まる役割を負っているからトリシマリヤクなのである。他方、「取締役」は株主から取り締まられているのだが、実はトリシマリヤクという肩書きで監督している従業員からも取り締まられているというセンスも持ち合わせるべきで、それが無いと「取締役」の役割は果たせないのではないだろうか。晴れて「取締役」を拝命した暁には、その意味をよくよく考えなくてはなるまい。

アメリカビジネスの基本ーRESUME文化の重要性

2012年01月23日 | ビジネス横丁こぼれ話
アメリカに進出している日系企業全般に言える事だが、グローバルな企業運営にあたり、決定的に欠落している極めて初歩的な事がある。人は財産である、と言いながら、人の採用にあたってのトップの注目度は極めて低い事だ。そして、その事が会社の足枷になっている事すら気が付かない。人の採用に対しての注目度が低いということは、採用後の人事経営に於いても関心度が低い事を意味し、その結果、アメリカの経営で最も重要視されるべき人事案件で不都合が噴出し、大いに慌てる事になる。

アメリカを語る側面はいろいろ有るが、その一つは、レジュメ文化が基礎にある。日本から企業経営の為に派遣される人の99%がその事に無知であると言っても過言ではあるまい。無知が故にレジュメを軽んじ、例えば、知人に紹介されたと言うだけで何のチェックもせずに採用したり、面接しても、雰囲気と直感だけで採用する等、とんでもない事が今だにアメリカの日系企業で起きている。

人を採用する時、まずResumeを読む事から始め、しかも、よく読みこむ事が肝要である。候補者は会社への最初の接点となるResumeを、渾身の力で書く。採用側もそれに応えて、内容を読み、整理して面接での質問事項を考えておく必要がある。面接の場で、英語の苦手な日本人が米人HRに任せっきりで、全く質問しない事がよくあるが、アメリカ人候補者にネガティブな企業イメージを与えるだけである。英語が苦手なら、通訳を介してでも質問すべきなのである。

実際の失敗例を紹介しよう。
中西部のある日系企業で、日本人セールスを6万ドルで採用しようと募集を出したところ、ある男が応募してきた。この企業の社長は、候補者がハーバード大卒であることのみに興味を示し、日本人だと言う事でガードも大いに下がり、面接も四方山話で終わり、雰囲気がよかったというだけで採用したが、あまりにも営業成績が悪いので、色々調べたら、ハーバード大卒は嘘だったと判明。

相手がアメリカ人であろうと日本人であろうと、レジュメを読み込み、面接時にあらゆる角度からチェックしなければならない。上記のケースは、ハーバード卒で6万ドルのポジションに応募してきた時点で、候補者としてアウトだ。レジュメを読み込む癖をつけていないと、こういう事になる。

O社不祥事で見えたもの、学ぶべき事

2011年11月28日 | ビジネス横丁こぼれ話
光学機器メーカーとして有名なO社のイギリス人新任社長ウッドフォード氏の突然の解任は、発表当初から奇妙な違和感を与えていた。その違和感は日本企業生え抜きの外国人社長の就任間もない解任の異常さと、その解任理由による。解任理由が「方向性の違い」によるもの、と言う訳の分からぬもので、いかにも取ってつけたような感じであった。一方、解任されたウッドフォード氏は会見の中で、過去のO社の海外買収取引に不可解なものがある事を調べ、前任者を含む関係する日本人経営陣に違法性の有無を正す行動を起こした矢先との事であった。そして、事件は今、「飛ばし」スタイルの不正による過去の巨額損失隠蔽と言う大きな事件に発展しつつある。

この事件及びその背景は、我々に様々な教訓を示唆してくれるが、そのひとつとして、「社長の仕事」とは何か、という問題をも提起してくれる。
社長業のスパンは広いが、その中で、とりわけ新任社長が最初にやらなければならない仕事がある。それは、今回解任されたウッドフォード氏が自社に係わる外部記事に触発されてやった事なのだが、「前任者の業務に関し、財務諸表等をベースにレビューし、問題が無い事を確認しておく事」である。その意味では、社長たる者は財務諸表を読む力量が求められるし、未熟であれば勉強する必要がある。

ウッドフォード氏は、新任社長として、この、あたりまえの「社長の仕事」をし、その結果、不透明な数字の流れが判明、当時の責任者達にそれを正そうとした。新任社長が日本人だったら恐らく不正は闇のままだったのではないか。「グローバル企業」とか、「Corporate Governance」、「Compliance」等と今風に言葉を羅列する企業は多いが、残念ながら、その多くは実態が伴わない。外国人に指摘されるという「外圧」にも似た力でしか不正を明るみに出せない脆弱さが日系企業には常に伴う。国家そのものも外圧を利用しないと大きな改革が出来ない日本だから、企業も同じ事なのか。もどかしさを感じる事件である。

この「社長の仕事」に関しては、かつて同僚が巻き込まれた事件がある。ヨーロッパに派遣されたこの新任社長が暫くして解任され日本へ戻された。前任社長時代に始まったローカル社員の不正が新任社長になっても続き、外部からの指摘により漸く不正が発覚、その監督責任を取らされて解任となった。「新任社長の仕事」をしていれば、恐らく就任して半年以内で経理の数字のどこかに異常を見出したはずであり、本人はその後も社長の任に当たっていたであろう。
社長になったら勝負は最初の3ヶ月。この期間に「仕事」をするかどうかが分かれ道だ。

”外れている国”ニッポン

2011年10月21日 | ビジネス横丁こぼれ話
グローバル経済、グローバル社会などと、グローバルと言う言葉があたりまえの昨今だが、日本は、そのグローバルな世界の中でどの様な位置づけにあると皆考えているのだろうか、と思った時、時々分からなくなってしまう。ちょっと遅れていると言うか、少し世界標準からずれていると言うか、経済大国ではありながら、世界の潮流から外れている、やや異質な国なのではないか、そして、その事が世界の中での日本の地位をドンドン沈下させているのではないか。そんな気がする。

世界に冠たる技術立国だった日本は、かつてJISと言う工業規格で自信に満ち満ちていた時代があった。しかし、世界はISOという共通ルールで統一化に乗り出した。 当時、関係者の間では、ISOの統一ルールなどで上手くいくはずがない、等と言う人も結構いて、その背景には、「日本の技術は世界一だから」と言う、いささか的外れな議論も横行していたような気がする。ところが、ISOは広がり、ISOの認証無くしてビジネスが成り立たない勢いとなるに及び、日本列島が挙ってISO研究に大忙しとなった。「ISO狂想曲」とでも命名したくなる騒ぎであった。これが無ければ商売が出来ないとなれば、貿易立国日本も“待ったなし”で追随せざるを得なくなった顛末である。

国際経理の場面では、数年前の海外子会社の連結決算化で、当時の日系各社の混乱は記憶に新しい。国際経理人材(初歩的には英語が出来る経理マンであるが、高等レベルでは、国際経理に精通し、かつ英語が話せる経理マン)が圧倒的に手薄な日本サイドの現実は、現地子会社での日本人経理人材の現地雇用を促進させ、それは現在も続いている。

連結決算化も軌道に乗った今、次に来る問題は、世界標準である会計原則への統一化だが、日本は既に遅れを取りはじめている。お隣の韓国は、早々と一歩踏み出したが、我が日本は、政治混乱もあって、2014か2015年の目途がさらに延期となるらしい。今や、企業は世界横断的に運営されているから、その実力を統一基準で見るのは当然で、日本だけ別のシステムでは、世界から相手にされない。
どうも日本と言う国は、世界の中でどう位置づけていくかを常に考える視点がずれている、いや、ひょっとすると欠落しているのかも知れぬ。

円高の先にあるもの

2011年09月14日 | ビジネス横丁こぼれ話
ついこの間までは、90円あたりで定着していた円が、あれよあれよと言う間に80円を切り、70円台が定着しそうな勢いである。相場だけは分からぬ、と昔から言われているが、過去の円高の流れを見れば、実勢で定着している事から、70円台での企業収益を考えねばならないだろう。

と言うことで、企業は軒並み悲鳴を上げ始めた。 海外進出企業では、一層の国内生産分の海外移転を加速せざるを得ないだろうし、今まで何とか国内生産で踏ん張ってきた輸出企業も、その海外移転を考慮せざるを得ないところに追い込まれてしまっている。政権交代による国内政治の大混乱と、大震災被災後の政治の無策、加えて、主要各国軒並みの財政基盤の低下は、かつての円高阻止の為の大々的な強調介入を「今や幻」にしてしまった。極論すれば、最早「円」がどうなろうと問題ではなく、問題にするとしたら、台頭した中国の「人民元」をどうするかであり、日本及び円は格下の位置づけとなった。

さて、今後企業が海外移転を加速するとして、今のグローバル経済下で、果たして日本企業は、成功するのだろうか、と考えると否定的な答えにならざるを得ないのだ。

アジア地域では、欧米並みの厳しいマネジメント力も要らないので、当面今までの財産である「経済大国」をテコにして、なんとか食いつなぎは出来るかもしれないが、正面に中国が立ちはだかっているから、安心は出来ない。むしろ、中国の下請けに段々組み込まれていく可能性が高いと見るのが自然だ。

欧米地域では、今のような、4-5年の駐在によるマネジメントのローテーションを採る限り、現地に不可欠な、本当のマネジメント力は育たない。海外進出とか海外移転を考える時、最も大きな問題にして、最も過小評価されてきたのが、このマネジメント力である。これを抜本的に変えていかないと、ひしめく各国のグローバル企業との競争に勝つのは難しい。

マネジメント力の育成補強には何が必要か。ずばり、日本人の海外での土着スタイルの定着しか無いだろう。その点、韓国人や中国人は土着性に優れ、一日の長があるのは間違いない。品質のいささかの優位性だけでは最早勝てない時代だ。「品質」で日本がちやほやされた時代はとっくに終わっている事に日本及び日本人は気が付かなければならないのだが...。

今噛み締めたい、藤沢武夫の言葉

2011年06月23日 | ビジネス横丁こぼれ話
ホンダの創業者の一人、藤沢武夫が残した言葉がある。「肩書きは偉さのランキングではない。しかし、これを勘違いする者が出てくる。そういう意味では、社長というのは一番厄介な肩書きだ」。噛み締めないといけない言葉だ。

何故厄介かと言うと、社長と言う肩書きは、絶大な権力を伴うから、それを勘違いするトンデモナイ輩の手に渡ると、トンデモナイ事が起こる。

何しろ、人事権を持つから、回りが手が出しにくくなる。文句(正当な)も言わなくなる。婉曲に人事権をちらつかせられたら、誰だってへこんでしまう。誰かが鈴をつけて辞めさせる事が出来ればよいが、本人が辞める気が無ければどうしようもない。そこで、堪忍袋の緒が切れた取締役達が反旗の狼煙を上げ、解任動議を出し、解任することがある。かの有名な三越百貨店の岡田社長追放劇が、これにあたる。しかし、普通の常識と、いささかの恥の心を持ち合わせていれば、解任に至る以前に自ら辞任という事になり、矛が納まるものである。

日本を会社に見立てれば、社長が即ち内閣総理大臣である。この総理大臣がトンデモナイ輩のために、国全体が混乱の極に達しているのは、なんとも情けない。本人は辞める気さらさら無く、さりとて、取締役にあたる閣僚には、根性と言うか、憂国の心無く、御身可愛さで、閣僚役得を出来るだけ享受しようとしている風にも見える。一人くらい、閣僚の中から辞表を叩きつけるのが出てくれば、多少の希望を持とうと言うものだが、それも今の政権党では100%無理だろう。

トンデモナイ輩が権力を握った時に、それを引き摺り下ろす手段をどうするか。大きな問題だ。


ハリケーン・カトリーナのアメリカ、東北大震災の日本

2011年06月17日 | ビジネス横丁こぼれ話
組織が順風満帆にいっている時は、少々ボンクラなリーダーでも、なんとか務まる。多少のミスも大目に見られたり、周りがうまくサポートしたり。
しかし、本当の意味でリーダーの真価が問われるのは、問題が発生した時の対応の仕方にある。問題点を把握し、対処法の検討と解決への道筋(方向性)を可及的速やかに策定することに尽きる。あらゆる方策を検討して「この方向で行く」と決断する。結果論として、全てが狙い通りにうまくいくとは限らず、失敗すれば後から非難も起ころうが、それは仕方あるまい。決断はリーダーしか出来ない。又、その決断が無ければ物事は前には進まぬ。震災後の日本を会社に例えれば、社長(総理大臣)に「決断」力が欠如し、右往左往している様である。普通の会社であれば、とっくに大規模負債を抱えて倒産しているところだ。

5年あまり前、ルイジアナに大型ハリケーン・カトリーナが襲い、未曾有の被害をもたらした。多くの人々が家を失った。アメリカとて、全てがうまくいったわけではなく、問題は噴出した。その中で、住居の手当ての顛末は興味深い。
家を失った人達への住居確保として、全米からコンテナーハウスを集めるよう檄が飛び、そして続々と集まった。

一年も過ぎた頃であろうか、集めたコンテナーハウスがたくさん余っている、と言うニュースが報じられるようになった。当然、何故こんな事になったのか、税金の無駄遣いだ等など。住居調達に携わった人達が、何らかの処分をされたかどうかは知らないが、足りないで、イライラ、ギクシャクするより遥かにましである。

かたや、日本。未だに圧倒的な数の仮住居が不足しており、計画は遅々として進まず、その主たる原因は、緊急事態の下で中央行政を迅速に動かさないといけない政治の決断の無さにあるという。会議だけが踊っている、とう話も聞こえてくる。

緊急事態に於いての、この日米の違いは何だろうか。人命と生活の確保を優先し、「拙速を尊んだ」アメリカと、口では生活優先を唱えながら、「拙速」の向こうから、襲ってくるかもしれない轟々たる非難を恐れ、足がすくんでしまった日本のリーダー達。

物事は、「進む」、「留まる」か「退く」の三択である。リーダーたる者、これを決断し、決断の理由を発信しなければならない。これが出来なければ、その地位に居るべからず、である。

これが弱点、海外進出日系企業

2011年05月23日 | ビジネス横丁こぼれ話
多くの業種で、日(アジア含む)米欧の三極グローバル展開が常態化している現在の経済活動の中、日本企業の大きな弱点の一つは、間違いなく海外人事であろう。

かつてのような、単に海外で仕事が出来る人材を選んで派遣するだけが、海外向け人事活動と思ったら大間違いで、人事部の中の海外人事機能を強化しないと、企業活動に支障をきたす。

どんな人事部を目指すか。
米欧重視型人事部を目指すべきである。米欧重視型という意味は、少なくとも米欧の人事事情や背景に精通している人事課員を配置するという意味である。日本から人事部出身の駐在員が居ない訳ではないが、極めて少ないのが現状である。各企業は、人事部からの派遣をもっと増やすべきで、4-5年駐在して実地勉強させれば、大きな戦力になる。欧米どちらでも良いが、より環境が厳しいという理由から、アメリカ駐在のほうが望ましい。

アジアの駐在では駄目か、と言う話だが、駄目だろう。アジアに於ける日本人は、基本的には現地人に対し、「上から目線」になるので、本当の意味での国際人事の勉強にならないからだ。アメリカ駐在も心配が無いわけではない。終戦直後の占領下の「ギミー、チョコレート」ではないが、日本人は弁舌の立つアメリカ人の前で気後れする傾向があるから、どちらかと言うと、「下から目線」になりがちである。しかし、この気後れを跳ね返して、対等に仕事が出来るようになれば、一人前だろう。

相変わらずの人事部だと何が問題か。
日本に於ける人事の諸問題と海外で起こる人事の諸問題は質量とも相当異なるので、肝心のHQである本社人事部に海外事情に精通した人間が居ないと、そもそも何が問題なのかがピンと来ない。恐らく今でも一つの問題が発生したら、駐在員は膨大な時間をかけて、本社への説明と説得を試みていることだろう。その結果は、対応遅れとなり、思わぬ大きな問題に発展、時には代表者更迭にもなり兼ねない。本社の鈍感さが元で問題が大きくなっても、責任を取るのが現地代表者となるようでは、現地駐在の士気も下がるというもの。

ある企業、海外法人社長経験者が本社役員となった。彼のバックグランドは営業だが、海外経験を買われ、専務として、本社の人事部門管掌となった。この会社の海外人事問題の風通しが良くなり、問題対応に格段の成果を上げたのは言うまでも無い。