よし坊のあっちこっち

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「取締役」の読み方

2012年02月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
昔、上司である取締役営業本部長とアフター5の飲み会で一緒になった時、この本部長殿が「毎日会議の連続で、出れば上から怒られっ放しや、トリシマリヤクではなく、トリシマラレヤクやで」と苦笑いしていたのを思い出す。以来、筆者の中では、そう読む事にしてきた。

昨年12月号で触れた光学機器メーカーO社の不正事件は、トリシマラレヤクを彷彿とさせる事件だ。真相解明の第三者委員会が役員全員の責任と退任を促し、監査役の責任にも言及した事で、日本も遅ればせながら、漸くこのレベルまで来たのかと思う。「取締役」と肩書きが付いた世の御仁はさぞかし肝を冷やしている事であろう。そうでなければ「取締役」失格だ。かつて、定年間際の形だけ「上がり」の、何もしない監査役の役割が、当時の企業不祥事で攻撃の的になり、どこの企業も表面的には監査役強化に乗り出したものだが、今回は、この重要性にも再びスポットライトを当てることになった。

国際的企業に名を連ねた会社で、しかも不正あばきが外国人社長によってなされた為、俄然世界の注目を浴びることになったが、世界の批判は、この国際的企業のみの経営不透明さに向いたに留まらず、その矛先は海外に展開する日本企業全体にも向いている。

それにしても、事件後の現経営陣による経営続行(居直り)宣言、延命姿勢を見るにつけ、日本企業だけでなく、日本という共同体を包んでいる、「ムラ社会」の思想が時代に関係なく、連綿と続いていることを実感する。そう考えると、地続きの国境を持たない島国国家の宿命と言うべきか、この国がグローバルな世界展開をしていくのは並大抵ではないと思わざるを得ない。

トリシマリヤクは、自らルールを破ってもいけないが、他人のルール破りを見つけ、或いは疑念を持ったら、それを看護してはならない。そういった取り締まる役割を負っているからトリシマリヤクなのである。他方、「取締役」は株主から取り締まられているのだが、実はトリシマリヤクという肩書きで監督している従業員からも取り締まられているというセンスも持ち合わせるべきで、それが無いと「取締役」の役割は果たせないのではないだろうか。晴れて「取締役」を拝命した暁には、その意味をよくよく考えなくてはなるまい。


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