古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて
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前回「熊野の火祭り」で有名な新宮市神倉神社の「お燈祭」が 南紀へ移住した
出雲族の「巨大割れ目岩」に対する女神、豊穣の祭りであるのを見た。
ご神体の「ゴトビキ岩」も本家島根県雲南市の「琴弾岩」と同じ巨岩の割れ目岩であった。
今回は松江市宍道町の「女夫岩」とその周辺を歩いて見た。
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「山陰道」宍道付近の「女夫岩トンネル」(黄色い道路公団の車の向こう)の左上に女夫岩がある。
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入口が分からず あちこちで聞いて回った。近くのコンビニの「ポプラ」の若い店員さんも
ご存知なくて、たまたま店に来られた年配の地元のお客さんに聞くとご存知で親切に
教えていただいた。
宍道運動公園の西の「家畜市場」の外周道路に入口があると教えてもらった。
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小高い岡の中ほどに広場があり、そこに巨岩がある。
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これは 二つ並んだ夫婦の像というより、「琴弾岩」のように割れ目の女神岩だろう。
谷戸貞彦氏(幸の神と竜ほ大元出版)によれば この割れ目の背後の丘は子宝を孕んだ
女神のお腹だという。そしてこの割れ目岩の両側から尾根筋が延びていて その尾根が
女神の両足だという。
そこで後ほどその割れ目岩から延びる 両足も見に行く。
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女夫岩の説明文。この広場で祭祀が行われていたという。女神様に五穀豊穣を願ったのだろう。
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正面にトンネルが見えるがその少し上に女夫岩がある。
女夫岩のすぐ下には「女夫池」があり、前述の谷戸氏によればこの両側の尾根筋が女神の
両足だという。そういわれればそういう風に見えるなあ。
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この女夫岩は 松江市宍道町才という集落にある。その才集落の中の神社「佐為神社」も見に行った。
この鳥居の奥に三道が続く。
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この参道の奥に本殿がある。そして参道の延長線上に女夫岩があると谷戸氏は書いている。
後ほど地図を添付します。
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本殿はこじんまりとしているが 立派な大社造りだ。千木も縦削ぎで出雲式だ。
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境内に不思議な社があった。石造りで木の扉がある。
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中を拝ませていただいた。この神社は相当古いらしく、出雲風土記にも記載されているという。
つまり古代出雲族信仰の社なのだ。見たらすぐに理解できるが「おはせ石と ほと石」なのがわかる。
つまり子孫繁栄、五穀豊穣を願う女夫石なのが分かる。
拝ませていただいてお賽銭を奉納した。
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境内を歩いているとまたしても不思議な石柱があった。
こちらの面はアマテラスと読めてもう一面は埴安媛(はにやすひめ)と読める。
九州物部軍の大和侵攻で大和から追い出された大和磯城王朝第7代大王フトニ大王(贈り名は孝霊)は
伯耆の国で晩年を過ごすが その息子第8代大王のクニクル大王(贈り名は孝元)のお后が
埴安媛なのである。何故この神社にその名があるのか 不思議だ。
確かに 磯城王朝は古代出雲王家と親戚ではあるけれども。
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反対側の面には 「大名持ち(大己貴)」と「少彦」つまり古代出雲王朝の主王と副王の
役職名が書かれているが これは秦国人徐福とその部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
たちに幽閉殺害された 第八代の大名持ち八千矛王と少彦八重波津身副王のことを
言っているのだろう。
と言うことはなぜこの場面に埴安媛がでてくるのか不思議だ。つまり埴安媛も出雲王家の
血を引くお方なのかもしれない。
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この地図を見ると 谷戸氏が言うように 佐為神社参道の延長線上に 女夫岩があることがわかる。
是も狭井神社が 古代は女夫岩を祀っていたのかもしれない。
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佐為神社のすぐ近くに「古墳の丘」があったので立ち寄ってみた。
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こちらが発掘されて復元保存された方墳です。
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方墳の中から発掘された石棺は本物で、発掘された当時は朱で塗り固められていたそうです。
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実際に発掘された埴輪の女性(巫女?)のレプリカ石像です。
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こちらは古代出雲王国の祭祀に無くてはならない 出雲王朝のシンボル銅鐸です。
是もレプリカ石像です。
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最後にこの近くの大森神社に行きました。女夫岩は現在では この大森神社で行事が行われているそうです。
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広い境内の奥に拝殿と本殿があります。
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本殿はもちろん大社造りです。
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本殿には自由に近寄れるので 9本の大黒柱を見せていただきました。
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祭神を見てびっくり仰天。まるで神様のデパートです。架空の神イザナギから 渡来人で
出雲王家の王を殺した側の徐福(聞きでは素戔嗚と書かれた)や 殺されたほうの八千矛王
や八重波津身副王、果ては時代がぐっと下がって ホムタ大王(贈り名は応神)など
盛りだくさんです。
出雲族が自分たちの王を殺した徐福を祀る事はまずありえませんから、この神社は後世に
物部族(物部軍の出雲進駐軍司令官 物部十千根の子孫)か 徐福の命令で出雲王家の王たちを
殺した徐福の部下 穂日の子孫(物部王朝に取り入って出雲国造にしてもらった穂日の子孫の韓日差
からひさ 今の出雲大社宮司さんのご先祖様です)
たちが作ったものであることがすぐに分かります。
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と言うことで今回の古代出雲王朝ゆかりの地をめぐる旅を終えました。
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「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」のトップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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前回「熊野の火祭り」で有名な新宮市神倉神社の「お燈祭」が 南紀へ移住した
出雲族の「巨大割れ目岩」に対する女神、豊穣の祭りであるのを見た。
ご神体の「ゴトビキ岩」も本家島根県雲南市の「琴弾岩」と同じ巨岩の割れ目岩であった。
今回は松江市宍道町の「女夫岩」とその周辺を歩いて見た。
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「山陰道」宍道付近の「女夫岩トンネル」(黄色い道路公団の車の向こう)の左上に女夫岩がある。
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入口が分からず あちこちで聞いて回った。近くのコンビニの「ポプラ」の若い店員さんも
ご存知なくて、たまたま店に来られた年配の地元のお客さんに聞くとご存知で親切に
教えていただいた。
宍道運動公園の西の「家畜市場」の外周道路に入口があると教えてもらった。
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小高い岡の中ほどに広場があり、そこに巨岩がある。
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これは 二つ並んだ夫婦の像というより、「琴弾岩」のように割れ目の女神岩だろう。
谷戸貞彦氏(幸の神と竜ほ大元出版)によれば この割れ目の背後の丘は子宝を孕んだ
女神のお腹だという。そしてこの割れ目岩の両側から尾根筋が延びていて その尾根が
女神の両足だという。
そこで後ほどその割れ目岩から延びる 両足も見に行く。
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女夫岩の説明文。この広場で祭祀が行われていたという。女神様に五穀豊穣を願ったのだろう。
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正面にトンネルが見えるがその少し上に女夫岩がある。
女夫岩のすぐ下には「女夫池」があり、前述の谷戸氏によればこの両側の尾根筋が女神の
両足だという。そういわれればそういう風に見えるなあ。
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この女夫岩は 松江市宍道町才という集落にある。その才集落の中の神社「佐為神社」も見に行った。
この鳥居の奥に三道が続く。
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この参道の奥に本殿がある。そして参道の延長線上に女夫岩があると谷戸氏は書いている。
後ほど地図を添付します。
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本殿はこじんまりとしているが 立派な大社造りだ。千木も縦削ぎで出雲式だ。
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境内に不思議な社があった。石造りで木の扉がある。
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中を拝ませていただいた。この神社は相当古いらしく、出雲風土記にも記載されているという。
つまり古代出雲族信仰の社なのだ。見たらすぐに理解できるが「おはせ石と ほと石」なのがわかる。
つまり子孫繁栄、五穀豊穣を願う女夫石なのが分かる。
拝ませていただいてお賽銭を奉納した。
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境内を歩いているとまたしても不思議な石柱があった。
こちらの面はアマテラスと読めてもう一面は埴安媛(はにやすひめ)と読める。
九州物部軍の大和侵攻で大和から追い出された大和磯城王朝第7代大王フトニ大王(贈り名は孝霊)は
伯耆の国で晩年を過ごすが その息子第8代大王のクニクル大王(贈り名は孝元)のお后が
埴安媛なのである。何故この神社にその名があるのか 不思議だ。
確かに 磯城王朝は古代出雲王家と親戚ではあるけれども。
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反対側の面には 「大名持ち(大己貴)」と「少彦」つまり古代出雲王朝の主王と副王の
役職名が書かれているが これは秦国人徐福とその部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
たちに幽閉殺害された 第八代の大名持ち八千矛王と少彦八重波津身副王のことを
言っているのだろう。
と言うことはなぜこの場面に埴安媛がでてくるのか不思議だ。つまり埴安媛も出雲王家の
血を引くお方なのかもしれない。
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この地図を見ると 谷戸氏が言うように 佐為神社参道の延長線上に 女夫岩があることがわかる。
是も狭井神社が 古代は女夫岩を祀っていたのかもしれない。
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佐為神社のすぐ近くに「古墳の丘」があったので立ち寄ってみた。
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こちらが発掘されて復元保存された方墳です。
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方墳の中から発掘された石棺は本物で、発掘された当時は朱で塗り固められていたそうです。
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実際に発掘された埴輪の女性(巫女?)のレプリカ石像です。
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こちらは古代出雲王国の祭祀に無くてはならない 出雲王朝のシンボル銅鐸です。
是もレプリカ石像です。
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最後にこの近くの大森神社に行きました。女夫岩は現在では この大森神社で行事が行われているそうです。
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広い境内の奥に拝殿と本殿があります。
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本殿はもちろん大社造りです。
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本殿には自由に近寄れるので 9本の大黒柱を見せていただきました。
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祭神を見てびっくり仰天。まるで神様のデパートです。架空の神イザナギから 渡来人で
出雲王家の王を殺した側の徐福(聞きでは素戔嗚と書かれた)や 殺されたほうの八千矛王
や八重波津身副王、果ては時代がぐっと下がって ホムタ大王(贈り名は応神)など
盛りだくさんです。
出雲族が自分たちの王を殺した徐福を祀る事はまずありえませんから、この神社は後世に
物部族(物部軍の出雲進駐軍司令官 物部十千根の子孫)か 徐福の命令で出雲王家の王たちを
殺した徐福の部下 穂日の子孫(物部王朝に取り入って出雲国造にしてもらった穂日の子孫の韓日差
からひさ 今の出雲大社宮司さんのご先祖様です)
たちが作ったものであることがすぐに分かります。
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と言うことで今回の古代出雲王朝ゆかりの地をめぐる旅を終えました。
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