アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて 旧出雲王国領の稲葉(因幡)の国を歩く 2017.10.12 その3 白兎神社

2017-11-17 16:18:37 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
旧出雲王国領の稲葉(因幡)の国を歩く その3 白兎神社
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白兎神社は 九州物部軍の大和への東征時イクメ王本体が瀬戸内海を東進して吉備王国と激戦を繰り広げていたときに
別動隊は 日本海を北上東進して 出雲王国を激戦の末降伏させて、更に東進する途中、稲葉の国の伏野に
しばらく滞在した。その前進基地の跡が 宇佐社となり、更に白兎神社と名を変えた。
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まず 古代出雲王朝の王制に付いて

古代出雲王朝は東と西の二つの王家があった。西は「神門臣家」で東は「向家」でそれぞれ交互に 主王
(役職名は大名持 おおなもち)と副王(役職名は少彦 すくなひこ)を出していました。
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九州筑後平野に和国へ2度目の上陸をした秦国人徐福(記紀では素戔嗚)の子孫が打ち立てた「物部王家」は西暦232年に
イニエ王(記紀では崇神と表記)は第2次東征を決意し南下を始めました。

そして日向の地に「都万(つま)王国」を作り 宇佐の豊王国から豊玉姫を迎え「都万豊連合王国」を作った。
皇子のイクメは瀬戸内海を東進し 吉備で吉備王国の激しい抵抗を受けていました。

別動隊の曙立王(あけたつおうー大和の登美家の分家)と菟上王(うのかみおうー宇佐家)が日本海を東進して
西出雲王家を急襲した。第17代大名持ちの「山崎帯王(やまさきたらし)」は当時智井宮宮殿(出雲市神門町)に居たが 
慌てふためいて背後の山に逃げ込んだ。そこに新宮を建て 抵抗したがやがて降伏しました。

その新宮で講和条約が結ばれ 物部軍が西出雲に駐留することとなった。新宮は後々まで(江戸時代頃まで)も
「和評り(わはかり)の宮」と呼ばれたが、現在は「久奈子神社」となっています。

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一方 都万豊連合王国の別動隊が日本海を進み 東出雲王家を急襲した。

西暦80年頃に渡来した朝鮮人(辰韓の王子)ヒボコの子孫 田道間守(たじまもり)が東出雲王家(第17代少彦 野見彦)
の宮殿の田和山神殿(松江市田和山町)を襲い破壊した。田道間守は直ちに日本海を東進続け 既に大和入りしていた
都万豊連合王国 イクメ王と合流する。

その後武諸隅(たけもろずみ)率いる物部軍が伯耆の国日野郡から大量に侵入し東出雲王家も降伏する。
野見彦は宮殿を物部軍に明け渡し、向家は八雲に移る。進駐軍の大将が 物部の十千根です。

物部軍は宮殿の建物に駐留し それが今の松江市「神魂(カモス)神社」であり、向家の住まいが今の松江市「熊野大社」である。

と言うことで第17代大名持ち「山崎タラシ王」、少彦「野見彦」で古代出雲王朝は終わりとなる。
※田和山神殿跡は 現在公園として 整備され、誰でも見学できます。
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白兎神社と兎神について
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稲葉の国伏野にしばらく滞在した菟上王は豊王国宇佐家の御子だったから 宇佐の兎神(月神)を信仰していた。
月の中に兎がいるので 「月読みの神」を兎神とも称した。

うさぎ神宮の「ぎ」を省略した発音が「宇佐神宮」になったと宇佐神宮社家の伝承にあるそうです。
そして宇佐王家の人は名前に菟の字を入れるのが 仕来りでした。菟上王(うのかみおう)がその例です。

豊国軍の一部は伏野の占領軍として残り、そこに宇佐社を建てた。祭神は月神(兎神)と豊玉姫である。

※イ二エ王が都萬王国の西都原で病死した後 東征軍最高指揮者として頑張った宇佐豊玉姫も東征途中安芸の宮島で
病気になりその地で病死します。遺体は宇佐に運ばれて宇佐神宮に祀られます。
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一方もともと 稲葉の隣、伯耆の国の中山に兎の話があった。川の流木に乗った兎が海に流された話です。
また物部東征軍が大和へ進撃し 大和から追い出した大和朝廷は 磯城王朝で櫻井市和邇(わに)にありました。

そして古代出雲王朝では 龍蛇神信仰が盛んでしたが、ワニ(鮫のこと)も恐れられて 神として崇められていました。
稲葉の伏野に住んだ豊国系の人々は 和邇王国や出雲人が尊敬するワニに対抗心を燃やして、伯耆の民話を
作り変えて ワニが兎に害を与える悪者にして、かつ兎神が大国主より偉いという話にしました。

当時の和国には 白い兎は存在しませんでしたが「稲葉の白素(はだか)ウサギ」の話に作り変えました。
そして宇佐社を白兎神社に名前を変えました。
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記紀の作り話では、大国主は兄達と八上姫にプロポーズしにこの地を通りかかったという。そして悪い鮫に皮を
剥かれたウサギを助け、そのウサギは 大国主に「兄達は八上姫を得ることは出来ないだろう。兄たちの荷物を
背負った お前が比売を得るであろう。」と宣ったという。
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紀元前2世紀末の 当時和国唯一最大の王国 出雲王国の第八代主王 八千矛王には兄は居ません。
まして当時の王が人の荷物を背負って旅するなどありえません。そして一地方豪族の娘「稲葉の八上姫」に
わざわざプロポーズには来ません。王には何人も后が居て 地方豪族がこぞって娘を王に差し出している
状況です。稲葉のハダカウサギの話は 正に出雲に敵愾心を抱いていた奴らが作った話だと直ぐ分かります。
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現在の白兎神社
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白兎神社一の鳥居です。
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鳥居を潜ると長い石段を登ります。
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石段の左右には ウサギの置物があります。
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石段の上の小屋には砂像があります。
大国主が八上姫にプロポーズしているように見えてそれをウサギが見守っています。
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境内のイチョウは色づき始めています。ハート型の絵馬は恋愛成就の祈りのようです。読んではいませんが。
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立派な注連縄の下がる拝殿です。立派な注連縄は出雲族のまねをしています。豊国人は兎神を信仰しているくせに
出雲人の信仰する龍蛇神を真似しています。この注連縄は 子供を孕んだおめでたい大蛇を現しています。
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この拝殿の屋根の反りは宇佐八幡宮の屋根の反りに似せたといわれています。
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本殿と千木は 出雲式の竪削ぎと大社造に見えます。それもそのはず 宇佐王家はもともと出雲王朝第六代
主王で国引き王の臣津野の次男吾田片隅が九州へ移住して始まった宗像家が元になっていますから。
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境内にある「不増不減」の池です。皮を剥かれたウサギがこの池で体を洗ったそうです。
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本殿の柱の基礎は菊の花の紋章が掘り込んであります。何故かわかりませんが。
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神社の由緒看板です。古事記の神話の話しかかいてません。菟上王も宇佐豊玉姫も全く出てきません。
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本殿に付いている神紋は遠いので良く見えませんが 亀甲剣花菱のようです。出雲王家の紋です。
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こちらは 今の出雲大社(大国主こと八千矛王を祀る)や出雲市阿須岐神社(徐福やその部下穂日
ー今の出雲大社宮司の祖先たちに幽閉殺害された八千矛王の御子味鋤高彦を祀る)の神紋で二重亀甲剣花菱紋です。

出雲王族だけが使用できる紋を なんとウサギが使っています。戦争に勝てば豊国人もやりたい放題ですね。
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白兎神社一の鳥居の前には なんと「恋人達の聖地」の看板と橡が。白兎神社もなかなか客集めの商売上手だこと。
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古代出雲王朝トップページはこちらです。
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