怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

連休前半終了

2007-04-30 23:15:05 | 戯言
中日(なかび)が二日間挟まる連休。

4月に相当がんばった子ども達は骨休めになっただろうか?
意外に五月病というか、この連休が生活のリズムを崩してしまってないだろうか?

この連休中や前後に消防写生会だとか、演劇鑑賞教室だとか、遠足だとか、行事を挟んで子ども達の気分高揚と集中力を繋ぐパタンがよくあるが、心子知らずで乗り越えて行ってほしいものだ。

今夜、たまたまテレビをつけたら見城先生が映った。
夜間中学の話の再放送だった。
先生を夜間中学の語り部とだれかが言っていたのを思い出した。
そうあろうとしたのではなく、そういう自分であったのではないかなと思った。

ふと、浮ついた自分の気持ちを振り返った。

そう。人からどうこうではない。
全て自分なんだ。
そう思った。

これからも人を悲しませたり怒らせたり心配させたりするかもしれない。
でも、それも引き受けて自分なのだから、自分の今の方針を曲げてはいけない。
変える事は実はいつでもできるという意味では楽なことなのだから。

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さて、明日を思う。

1年生はまだ午前授業。
カリキュラムも薄い。
凝縮した時間を楽しく過ごす工夫をしたい。

たのしい体育・スポーツ5月号(学校体育同志会)

2007-04-30 01:11:13 | 教育書
今月は「水泳指導ハンドブック」と題した「水泳」の特集。

ここでも「ねこちゃん体操」で入る指導方法が冒頭を飾っていて凄い。

同志会水泳というと「ドル平泳法」。

私は、唯一水泳だけは人並みに誇れる泳ぎが出来る。
(他のスポーツはダメ。)

私の水泳体験は5才からだが、いわゆるスイミングクラブのバタ足指導で始まった。
しかし、就学後、新体育連盟のクラブに所属替えをし、ドル平と出会っている。

系統が逆転しているので印象深く覚えている。

まがいなりにもクロールが出来たころにドル平に入っているので、単調で低調な反復の泳ぎがすぐに泳げなかったことに驚いた。
徹底的に「身体を浮かす」ことが基本のドル平が、新鮮と同時に、自分が「浮かない」ために、なんて泳ぎ難いのかと勘違いをした。

当時の指導法は、今思えば完成に至っていなかった部分があると思う。(指導者の指導技術が原因かもしれないが)
特に、足の動作は、しなやかなドルフィンキックをイメージさせていなかった点は難しくさせていたと思う。

因に、そのクラブでは海の合宿を行い、ドル平で遠泳をするのだ。
私は平泳ぎにすぐに移行したため、ドル平での遠泳は未体験だが、弟がちゃんとこなしていたことを覚えている。
ドル平はだれでも取り組みやすい万能な泳ぎというのは非常に納得できる。

また、今回、Q&Aで取り上げられていたが、その後の系統において、平泳ぎやバタフライへの移行はバタ足学習よりもスムーズであるというのは体験的にかなり合点がいく。

「ふし浮き」「けのび」から「バタ足」という系統も理があるとは思うが、「ドル平」という系統も全然おかしくないと思う。

日本には古来の泳法がある。
こちらに近いのはドル平の方だと思う。
「泳ぎを楽しむ」ということで考えると、「ドル平」はいい選択だと思う。
泳ぎ方は多様なのに、「競泳」第一主義ともいえる現行体育の水泳の形は、真の水泳好きをつくっているとは必ずしも言えないと私は思う。
水難救助的な安全を考慮に入れるとなおさらである。

ただ、なかなか年間計画に入れるとなると、他教員の相当な理解がないとできないかもしれない。

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同志会の意固地な部分であり、体育教育界のオルタナティブたりうる象徴の「ドル平」だと思う。

現在のオリンピックは日本水泳連盟の推薦がないと実質出場はできないシステムだと聞いた事がある。
新体育連盟(現新日本スポーツ連盟)でも競技会は開かれていたし、他にも優れた指導や人材輩出をするクラブなどもあろうに、水泳スポーツは水連に牛耳られている形だ。

多くのプールの監視員や小学校の水泳補助員に、威張り散らした人が外部からやってくると水連の人だったりした覚えがある。
もちろん、私が日本泳法に触れる機会をもてたのは水連の人との出会いあってのことだが・・・、保守的で融通の利かない団体というのが私の印象だ。