今月は「水泳指導ハンドブック」と題した「水泳」の特集。
ここでも「ねこちゃん体操」で入る指導方法が冒頭を飾っていて凄い。
同志会水泳というと「ドル平泳法」。
私は、唯一水泳だけは人並みに誇れる泳ぎが出来る。
(他のスポーツはダメ。)
私の水泳体験は5才からだが、いわゆるスイミングクラブのバタ足指導で始まった。
しかし、就学後、新体育連盟のクラブに所属替えをし、ドル平と出会っている。
系統が逆転しているので印象深く覚えている。
まがいなりにもクロールが出来たころにドル平に入っているので、単調で低調な反復の泳ぎがすぐに泳げなかったことに驚いた。
徹底的に「身体を浮かす」ことが基本のドル平が、新鮮と同時に、自分が「浮かない」ために、なんて泳ぎ難いのかと勘違いをした。
当時の指導法は、今思えば完成に至っていなかった部分があると思う。(指導者の指導技術が原因かもしれないが)
特に、足の動作は、しなやかなドルフィンキックをイメージさせていなかった点は難しくさせていたと思う。
因に、そのクラブでは海の合宿を行い、ドル平で遠泳をするのだ。
私は平泳ぎにすぐに移行したため、ドル平での遠泳は未体験だが、弟がちゃんとこなしていたことを覚えている。
ドル平はだれでも取り組みやすい万能な泳ぎというのは非常に納得できる。
また、今回、Q&Aで取り上げられていたが、その後の系統において、平泳ぎやバタフライへの移行はバタ足学習よりもスムーズであるというのは体験的にかなり合点がいく。
「ふし浮き」「けのび」から「バタ足」という系統も理があるとは思うが、「ドル平」という系統も全然おかしくないと思う。
日本には古来の泳法がある。
こちらに近いのはドル平の方だと思う。
「泳ぎを楽しむ」ということで考えると、「ドル平」はいい選択だと思う。
泳ぎ方は多様なのに、「競泳」第一主義ともいえる現行体育の水泳の形は、真の水泳好きをつくっているとは必ずしも言えないと私は思う。
水難救助的な安全を考慮に入れるとなおさらである。
ただ、なかなか年間計画に入れるとなると、他教員の相当な理解がないとできないかもしれない。
同志会の意固地な部分であり、体育教育界のオルタナティブたりうる象徴の「ドル平」だと思う。
現在のオリンピックは日本水泳連盟の推薦がないと実質出場はできないシステムだと聞いた事がある。
新体育連盟(現新日本スポーツ連盟)でも競技会は開かれていたし、他にも優れた指導や人材輩出をするクラブなどもあろうに、水泳スポーツは水連に牛耳られている形だ。
多くのプールの監視員や小学校の水泳補助員に、威張り散らした人が外部からやってくると水連の人だったりした覚えがある。
もちろん、私が日本泳法に触れる機会をもてたのは水連の人との出会いあってのことだが・・・、保守的で融通の利かない団体というのが私の印象だ。
ここでも「ねこちゃん体操」で入る指導方法が冒頭を飾っていて凄い。
同志会水泳というと「ドル平泳法」。
私は、唯一水泳だけは人並みに誇れる泳ぎが出来る。
(他のスポーツはダメ。)
私の水泳体験は5才からだが、いわゆるスイミングクラブのバタ足指導で始まった。
しかし、就学後、新体育連盟のクラブに所属替えをし、ドル平と出会っている。
系統が逆転しているので印象深く覚えている。
まがいなりにもクロールが出来たころにドル平に入っているので、単調で低調な反復の泳ぎがすぐに泳げなかったことに驚いた。
徹底的に「身体を浮かす」ことが基本のドル平が、新鮮と同時に、自分が「浮かない」ために、なんて泳ぎ難いのかと勘違いをした。
当時の指導法は、今思えば完成に至っていなかった部分があると思う。(指導者の指導技術が原因かもしれないが)
特に、足の動作は、しなやかなドルフィンキックをイメージさせていなかった点は難しくさせていたと思う。
因に、そのクラブでは海の合宿を行い、ドル平で遠泳をするのだ。
私は平泳ぎにすぐに移行したため、ドル平での遠泳は未体験だが、弟がちゃんとこなしていたことを覚えている。
ドル平はだれでも取り組みやすい万能な泳ぎというのは非常に納得できる。
また、今回、Q&Aで取り上げられていたが、その後の系統において、平泳ぎやバタフライへの移行はバタ足学習よりもスムーズであるというのは体験的にかなり合点がいく。
「ふし浮き」「けのび」から「バタ足」という系統も理があるとは思うが、「ドル平」という系統も全然おかしくないと思う。
日本には古来の泳法がある。
こちらに近いのはドル平の方だと思う。
「泳ぎを楽しむ」ということで考えると、「ドル平」はいい選択だと思う。
泳ぎ方は多様なのに、「競泳」第一主義ともいえる現行体育の水泳の形は、真の水泳好きをつくっているとは必ずしも言えないと私は思う。
水難救助的な安全を考慮に入れるとなおさらである。
ただ、なかなか年間計画に入れるとなると、他教員の相当な理解がないとできないかもしれない。
同志会の意固地な部分であり、体育教育界のオルタナティブたりうる象徴の「ドル平」だと思う。
現在のオリンピックは日本水泳連盟の推薦がないと実質出場はできないシステムだと聞いた事がある。
新体育連盟(現新日本スポーツ連盟)でも競技会は開かれていたし、他にも優れた指導や人材輩出をするクラブなどもあろうに、水泳スポーツは水連に牛耳られている形だ。
多くのプールの監視員や小学校の水泳補助員に、威張り散らした人が外部からやってくると水連の人だったりした覚えがある。
もちろん、私が日本泳法に触れる機会をもてたのは水連の人との出会いあってのことだが・・・、保守的で融通の利かない団体というのが私の印象だ。
プールに行き出して、6年目。
やっと、泳ぎの基本を身に付けました。
やっぱり、浮くという事が、基本です。
その上に手と足のバランスですね。
この事をマスターするのに5年。
試行錯誤でやって、みました。
枝葉は、跡でつければいいのですね。
この5年間。みんなさんが、枝葉を
僕に付けようを熱心に口を出してくれました。
感謝ですが、選択して、自分の道を歩んで来ました。
結果、泳ぎの基本を身に付けました。
走ること・これは手と足のバランスが基本。
(運動能力普通の僕が、100Mを11秒台で走り、800Mは、K市の記録を持っていたのですよ。>
これと同じですね。
枝葉は後で。
私も水泳は自分の泳ぎも指導も経験が長いですが、そういう風に気づくまで長かったです。
脱力して自由に「浮く」。
が第一。
水を自由に「つかむ」。
が最終目標。
フォームやスピードなんて、後からどうにでもなる。
そう思いました。
でも、なかなか分かってもらえない部分もあります。
泳げない人が泳げるようになったとき、喜んでもらえたとき、とてもうれしいです。
たしかに、水泳の指導法って自分でも気づくほど変化しています。
私の小学校時代、水泳といえば大まかな動き方の説明以外「泳ぎ込み」主体でした。
中学校はプールが無く水泳とも無縁だったので、この3年間はブランク。
久々に水泳をした高校では「イメージ作り」を意図したものになり、ビート板を利用して「腕だけ」「足だけ」の練習を繰り返した後、その仕上げで「自分だけで泳ぐ」という流れでした。子供心に、水泳の指導法の進化を感じたのでした。
しかし、水泳の成績評価は「潜水25m」という、それまでの泳法の練習とはかけ離れたものでした。
結局、潜水25mが達成できなかった人は夏休み、4時間程度の補習があったかと思います。
何の脈絡も無くいきなり「課題は潜水」っちゅうのは・・・
しかも何の脈絡もなく・・・ですか。
昔とった杵柄で30mくらいならいつでもできますが、潜水というのは意外に泳法的にもセンスが必要なのです。
私も精確には日本泳法の師範の人から教わるまではスイミングクラブでちょっと知っている人から見聞きしてやっていた我流でした。
(教わったら60mくらいまで距離が伸びました。今は無理ですが・・・。最近のベストは40mくらいかなぁ。)
きちんと指導を受けると、普通に泳げる多くの人が25m潜水が比較的楽にできるのですが、そうでないと根性主義の危険な泳ぎになるのです。
その高校は事故が起こらなくて幸いでしたね。
水泳の指導法は、最近本屋で見る限りでは、私の知らない書籍がまた増えてきているので、きっと指導法もあたらしい物が出てきているのだろうなと想像しています。
とりあえずは今年は間に合わせで、夏休みぐらいに買って読もうかなと思っています。
楽しいものですね。