怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

学力の底上げと引き上げ

2012-01-29 08:46:10 | 教育
知らなかったのだけれども、足立区が成績のあがらない子に対して基礎学習教室を開いてきたのだそうだ。
(民間業者(塾)などを利用したのか、杉並区のように地域に求めたのか、あるいは教員を使ったのかも現時点では知らない。)

26日のニュースで、成績上位層への学習支援も決めたと知った。
特に、「塾に通えない子」が対象だと言う。

そういった事実を踏まえてなのだけれども、「ねじれている」という感想をもった。

子どもの「学力保障」といった場合、何を指して「学力」と呼ぶのか。
ここにおけるカテゴリは明確になってきているが、それを施策実施のために恣意的に用いることが執政側には多い。
ともするとカテゴリ混交を行って説明がなされ、お為ごかしになっている。

今回は区が民間業者の公募を行っている。

今回の学習支援と呼ばれる学力対策は進学学力について、経済的な格差の解消を少しでも図るものだと受け取れる。
これは教委の施策としては可能かもしれないけれど、子どもへの影響はどうだろうか。
進学重点校への入学をかけて、まるで就職時のセミナーのような選抜が夏と冬に集中講義の受講をかけて行われるわけだ。
その外で富裕層も競争に乗らざるを得ないだろう。
火に油を注ぐようなイメージが私にはある。

では、経済的格差下の子は進学塾にも通えないのか?!という批判があるかも知れないけれど、逆に問えば、では塾に通う通わないを保障する責任が教委にあるのか?
「学校が学力を保障すべし!」とは言えない、あるいは受け止められない実態があるとすると、それはそれで、教育の目標に照らし、学校教育の中に「進学競争の激化がある」ということ自体が問題だととるべきだ。
無論、今まで言われ続けてきた「多忙化」という教員側の表現からもわかる通り、学校教育カリキュラムの過飽和状態は背景の一つだ。
教育の地域性や自主性、自立性、創造性をないがしろに、社会的というより政治的な要請を受け続けてきた瀕死の学校教育の現状を批判するのは容易いが、受験プレッシャーで苦しむ子どもたちのことを自分たちの現実として批判的に見ないかぎり、こういった施策は拡大しつづけるだろう。

なによりも、こんなことで格差が解消されるなどという展望はありえない。
第一、各家庭の教育費は先進国でも突出して多い割には、公的な予算としての教育費は最低レベルの日本。
様々な学力テストでトップクラスに保っているのは優秀な教育公務員の力量と頑張る家庭と子どもに他ならない訳で、その層が悲鳴を上げ、挙動がおかしくなっていることに対して何も手立てが無いという事実から見れば、当事者的には苦肉の策として受け止めるほかはないのではないだろうか。

話を持ち上げようとしたけれど思わず足がついてしまったようになってしまった。
経済格差が困難を立ち上げたとすれば、その原因は社会システムや経済界だといいたい。

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