怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

音読の宿題

2008-01-14 21:14:42 | 教育
音読が大切な技能を身につける練習になり、文字と言葉、イメージを繋げるきっかけにもなることはよくわかっていて、それでもいいたい。

単なるドリル学習のような「音読」は多くの意味をもたない。
子どもが「音読」をしたくなるような教材であり、内容が読み取られているという実感があり、発声していて楽しい状況でないと、それは苦役でしかない。
体育会系の鍛錬主義、根性主義ではないのだから、ちゃんと子どものレベルでも理解させて音読に励むのがいいと思う。
ましてやノルマ制にする意味はほとんどなく、文字になれ、発声になれている子にはその子なりの、そうでない子にはそれなりの成就感をもてるような音読練習への指導がなければダメだなと思う。

音読の宿題が、宿題のための宿題になっている限り、それをつらいと感じる子どもや、受け止めるときに理解に苦しむ親が出るのは仕方がないことであるし、それは指導する側に問題、課題があると思う

私はそういった意味で「音読」を捉えるから、「音読」は子ども達に上手になってもらいたいと思い、指導を工夫しているつもりだ。

なんでこんなことを書くのかといえば、そういったことを考え込んでしまう「音読指導」に出会っているから。
しかもベテランで、だ。

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