以前、2000年以前の書籍には手をつけないということを書いたことがある。
それは昨今の激動する状況に即応した書籍を常に触れていたいという願いがあってのことだったのだけれど、今は、少しずつ古い物も手にしなければいけないと感じる自分がいる。
今、再び調べ、読んでいるものの一つに無着成恭の関係(綴り方教育や戦前戦後教育など)がある。
彼の実践もそうだが、彼のいた時代背景というのは、彼の実践と対比して、現在の右傾化する議論へのアイロニーとして響く気がするのだ。
私の母校が「生活教育」を冠する教育雑誌を刊行する教育団体を抱えている。
たいしたことではないけれど、縁はいろいろなところで繋がるものだと思う。
それは昨今の激動する状況に即応した書籍を常に触れていたいという願いがあってのことだったのだけれど、今は、少しずつ古い物も手にしなければいけないと感じる自分がいる。
今、再び調べ、読んでいるものの一つに無着成恭の関係(綴り方教育や戦前戦後教育など)がある。
彼の実践もそうだが、彼のいた時代背景というのは、彼の実践と対比して、現在の右傾化する議論へのアイロニーとして響く気がするのだ。
私の母校が「生活教育」を冠する教育雑誌を刊行する教育団体を抱えている。
たいしたことではないけれど、縁はいろいろなところで繋がるものだと思う。