怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

生活指導誌3月号

2008-02-24 02:19:07 | 教育書
卒業式の事が前半。
式を2部に分けてしまう方法論とその実践例が「学校作り」という視点で、とてもストレートな好例として伝わってきた。

でも、東京都では、そうはいかないだろうなぁ。

そんな想いと、

それでも、そういった事が同じ指導要領ベースでできそう、主張が可能であるという点に希望をもらえた。

当事者不在の行事というのが特別活動でOKになってしまうと、未履修問題と同じになってしまうハズだと感じる。

mixiか何かで、教委は間接の多い民主主義制度なのではないか?と問われたことがあるけれど、それはよくわからない部分を含む質問だとおもった。
即答も、明瞭な答えもできなかったが、首長は多数派として立っているだけで、少数派を無視したり、排除したりしては民主的ではない。
だから、犬山市のようなことというのは、首長に教委が従わないことは異常ではなくて、教委が独立性を発揮する形を保てる事が珍しがられるという異常事態なのだろうということ。

卒業式の件は、逆の踏み絵として管理統制の手段に用いられていると私はみているのだけれど、それとは別に、個々の想いというのは発現する可能性があるので、自己主張ばかりでやっていくは限界があるだろう。

いろいろ考えが拡散した気がする。
そうだったら、いい号だったなぁ。

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