怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

年功序列か成果主義か

2006-11-23 08:35:40 | 戯言
城氏の書評を書いていたら、ちゃんと意見表明しておかなければならないと気づいた。
別に二項対立しているとは言い難いのだが、城氏の主張を参考にして考えを述べておきたい。

城氏の話だと、トップ国家公務員は基本は年功序列なのだそうだ。
天下りという見返りがあるからこそ、厳しいレール走行に耐えるのだそうだ。
つまり、成果主義がそぐわない面を暗に認めているように思えた。
(この構造へのアンチは述べられていなかったから。)

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下っ端公務員の場合どうか。
教員の場合、前提が他と違うと考えている。

1.公務の目的が教育活動に限定されること。
2.学校という単位空間の中で、個々の教諭が成果を競い合っているのではなく、単位総体の底上げに協同して取り組んでいること。
3.今や、まったくフィードバック機能が働いていないこと。


1については異論があるかもしれない。
教員でも公務員だろうと。
しかし、主たる目的は児童・生徒、せいぜい保護者・地域どまりであり、目先の公務を考える下っ端でしかなく、視野を広げて積極的に何かをする義務はない。(し、暇もない。要求も無い。)

2.(いわゆる)成果主義導入で、ピラミッド構造の組織を強いられ、3にも関連するが、本来、創造的な活動であったはずの現場実践が行われなくなってきた。(これは数値的にとれるものだと思う。フィードバックをかけないから不詳だが。)
いきおい、意欲をもたずとものらりくらり生きる(ことができる)教諭は増えた。管理職はそういったことに対する管理能力はなく、耐性もない。
これはどこの世界でも語られているが、組織としての人間的、社会的な力が減衰し、経験や技術の伝達が行われにくい環境になってきているのも深刻な問題だ。

3.過去にそういったものが働いていたとは思っていないが、ここにきて学校改革、教委レベル改革、教育改革において、致命的な舵取りの間違いを起こす原因に(すでに)なっている。


以上のような視点から、私は、成果主義を導入することにやぶさかではないが、最低限、これらの問題に対応する対策がなければ日本の教育力は確実に減力するであろうし、そんな世界のなかでの給与格差が荒廃に拍車をかけるだろう。
だから、今導入されつつある人事考課制度を始めとする成果主義的傾向は、まったくの勘違いの方向だといわざるをえない。

では年功序列でいいのか?
これは社会全体の経済的なバランスの中で議論されるならば、避ける方向で動かざるを得ないようにも思える。
しかし、生存権をかけた社会保障の崩壊を担保におくのは文字通り自殺行為であるし、日本の歴史的社会的発展の成れの果てがそんなもので、グローバリズムがそんなものならば、オルタナティブな方向性をさぐっていかなければならないと思う。