怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

足立区の学力テスト問題

2006-11-04 21:42:26 | 教育
学力テストで予算に差 足立区教委、小中学校4ランクに(朝日新聞) - goo ニュース

>これら(年に1度の都の学力テスト「科目ごとの偏差値」と区のテスト「伸び率」)の成績と校長からのヒアリング結果を8対2の比率で数値化し、各校の「実績」とする。
>満点は小学校が165点、中学校が170点で、上位から順にA(全体の1割)「小学校約400万円」、B(同2割)、C(同3割)、D(同4割)「約200万円」のランクに区分けする。
>教材費や光熱費など学校運営の必要経費は、従来通り児童・生徒数やクラス数などの「基礎数」に応じて配分する。

これって格差の拡大を意図してるよね?

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>内藤博道・区教育長は
>「頑張った学校に報い、校長と教員の意欲を高めることが、区全体の基礎基本の学力向上につながる。
>これまでも希望に応じて非常勤講師を追加配置するなどの対策をとっており、成績のよい学校ばかり優遇するわけではない」
>と話している。

どの程度「希望に応じて」なのだろうか?
それほど裕福な自治体とも、教育熱心だとも聞いていないし、「だれの希望」かというのも知りたいものだ。
(おそらく、他の自治体並みで、恣意的な校長の話だろうし、区教委も恣意的な対応をしているのだろう。)

だから、やっぱり「格差に対する意識」はないのだろう。

>文部科学省の担当者は「学力テストの結果を予算に反映する例は聞いたことがない」と話している。

そりゃあそうだろう。
そんなことを意図して行っているとなれば、学力テストを批判している側のいいカモだ。

しかし、今回の足立区の件で追認できるのは、「格差」の問題は無論だが、
「民意の反映でない教育施策」という点と、
「学校に予算をかけることと学力テストの結果」が「因果関係」にあるという「教委の狭い認識」だろう。

この問題に答えるのは、まずは足立区民だろう。
こんなひどい前例を増やさないためにも、民意操作にだまされず、与党を蹴落としてほしい。

正森成二さん

2006-11-04 19:23:45 | 戯言
10月18日。元日本共産党衆議院議員・正森成二さんは午前9時40分、呼吸器不全でご逝去なされた。
79歳だったそうだ。

私にとって、日本共産党というのは、「正森成二さん」が筆頭の一人なのだ。

実は、この件を書くのは躊躇した。
私は党員ではないからだ。

また、日本共産党という単語だけで、わけのわからないことをいう人にたくさんであってきたからだ。

しかし、私自身、日本共産党には少なくない関係をもつので、あえて書こうとしている。
正森成二さんは、その関係の一つだ。

この連休に我が家を訪れた父に、正森成二さんのことをたずね、その関係を確認のために再び聞いてみたことも、この記事のきっかけになっている。

この人との直接、間接的な関係ができたのは、私が生まれた年のことだったから、今から三十年以上前のことになる。
父の不当退転闘争がその始まりだった。

正森成二さんは、その仮処分裁判で、弁護にあたった方だった。

私が大阪に生まれながら、すぐに東京に住み、関東で育つことになったのだが、それは不当な転勤があったからだ。
この件の終末は痛み分けとなり、父は裁判費用と引っ越しやその他の経費の一切を会社にもたせたものの、転勤を拒否することはできなかった。
(ちなみに、当時、単身赴任なんてものはめずらしく、ましてや大卒、新生児を抱えた状態での遠方異動なんてものは考えられない状況だった。)

正森成二さんは、議員生活に入る前、法律事務所を独立開設する必要があった。
彼にとっては、その事務所の抱えた第一号案件が父の件であり、大企業相手の弁護だけに、重要な案件の一つであったことは想像に難くない。

私が日本共産党というと、正森成二さんを思い浮かべるのは、以上のような理由がある。

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ちなみに、彼の議会における質疑は、見るたびに凄まじいものであったし、他の議員を差し置いてでも、彼の質疑のテレビ放送は見たものだ。
おそらく、それに比する展開と突っ込みの深さ(つまりは下調べの深さ)をもった質疑ができる人は、同党にさえいないような気がする。
その質疑は、映画の弁護士のようなドラマティックでするどい視点をもっていた。

ハマコーが苦し紛れに、「ミヤモトケンジが!」を繰り返したシーンは忘れられない。
まるで、ふてくされて八つ当たりをするサルと、毅然として立ち向かう猿回しのような様相だったからだ。
(頭の悪すぎる者を当選させてくる選挙区には、どうしても私は冷たい視線を送らざるを得ない。)

正森成二さんは父と年賀状の付き合いがまだあったのだそうだ。
(さもありなんだが・・・。)

議員生活を終えてからは、死因に「呼吸器不全」とあるように、その方面で療養されていたと聞く。
学生時代に肺結核になり、手術で片肺を失っている身で、戦中戦後の苦労を徴兵を受けずとも身にしみて知っている方だったと聞く。
彼が日本共産党において、その理論面の貢献よりも、「国会の武器」のような役目をで貢献をしていたと思う。
弁護士という肩書きとともに、常に弱い者も味方であったことは忘れてはならない。
闘死というような人生を送られた正森成二さんを想うとき、かなわぬとも私なりに真摯に生きるべきだと強く感じる。

ブログ上でも冥福を祈りたい。