怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

異動間近と期待と孤独、そして鬱

2005-03-30 21:22:29 | 戯言
非常に鬱な感触をもって書きます。
「いじけ世代」の教師とはいいえて妙だ。
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今年度があと少しで終わる。
異動先2年目に突入目前。
担当学年も決まり、黙々と後始末と新規の用意をしている。
春休みはあってないような期間だ。
毎年思うが、リフレッシュをしていない事に苦痛を覚える。
どちらかというと、新クラスの子どもと出会い、忙しくすることが一番のリフレッシュごまかしである。
来年度(も)、たいへんな学年を任される。
目立つのは損だ。(出る杭は打たれる)
男の教諭は損だ。(へんな期待をしないで欲しい)

2年前、学級崩壊した。
今もてば、違う状況で過ごせただろう1年。
でも、その時は無理だった。
なんでこんなことを思い起こすのだろう。
今年度で異動していく同じ学年を一緒に組んでいた教諭に別れをつげながら、そんなことを考えた。

私は教師の技能についてよく考える。
教師は教師について語らない。
自分の人生観を伝え合うこともない。
私の興味は、教師の「社会的生き方観」とでもいおうか、そんなものに自然になっていた。

最近、サラリーマンとしての教師の形がいろいろ知らされる。
キャリアアッププランなんてやつだ。
出世しようとしないと、給料が上がらないというようなやつだ。
教師の初心とはなんなのだろうかと考えてしまう。

決して学年で足並みを揃えようとしない、一緒に組んでいた教諭が主幹となって異動する。
(今年度の私の学年は3クラスだったのだが、残るのは私だけ)
あんな人に指導を受ける事を考えると正直、虫酸が走る。
あの人の暴論は忘れない。
私は、また、自分の学級に閉じこもるかもしれない。
(まず、それはないだろうが)
なんにしても、「いじけ世代」の教師。
でも、そんな感触をもたない世代も入ってくるのでは?
そして、それでも独りでやっていくのだろう。

今、個人的に、「とても教師がつまらない時間」を過ごしている。
まとまらなくなった。終わる。