怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

クローズアップ現代0328

2005-03-28 20:58:39 | 戯言
非常に私的でシニカルな問題・内容なので、カテゴリーは「戯言」にした。
教師という立場以前の問題とも考えるからだ。

「国旗国歌で教師処分へ」
濃縮した内容だった。
私の捉え方でのポイントは2つ
1つ目
教師は内心の自由云々よりも、強制的な態度で臨む教育委員会(特に都教委)に対して不信と不満をもっている。
2つ目
日の丸君が代は法規制下にあり、教師はイエスマンとして指導に従事する立場にある。

私の主張したい問題は、
日の丸君が代の法規制が民主的な手続きにおいてなったものである点。
教育の責任は、この点に関しては絶対的に国民が背負うのだ。
平和教育をしてきた教員は特にであるが、我々教師は内心云々はさておき、自分の立場において、この法律が成立した時点で、この問題には負けているのだ。
私的には、日の丸君が代に対して、立て、歌えといわれれば、立ち、歌うだろう。
(目線はどちらをむいているか、口から音がでるかはしらないが)
教師は現実に対して、その立場を利用したり前提にして抗ったりしてはならない。
戦う前に負けている事を認めなければ。
国民は日の丸君が代に賛成なのだ。
また、日の丸君が代を児童に指導する場合、歴史的な見地や事実を多角的に示して、説明することを努力すること。
教師の立場でできることはそれくらいなのだ。
問題の敗者なのだから、教育者でなく、指導要領の内容を伝える伝達者になるのだ。
私ならば、この番組を見た国民とよばれる人へは、是非、歴史をよく学び、自分達でこの件を判断し、よりよく広めてほしいと願うだけだ。

右も左も保守も革新も、再び侵略戦争の時のような愚を繰り返してはならない点では一致してほしい。
そして、万が一、そんなことになったとき、日の丸を身体に括り着け、君が代を歌って死に赴く時に、君の意味がちがっていたり、国旗を死んで守る事を美徳としたりするような(無駄死にを推奨するような)風潮は無いようにしてほしいものだ。

今日のニュースで見た。
自民党のグループが、日本には「軍隊」が必要だと。
目的はどうあれ、「軍隊」というものの必要をとくのは内心の自由だが、それを立場をわきまえず公にするのは法律を遵守する立場からみてどうなのか?
戒告か減給でもしてもらいたい。