宗教の話をすると・・・
日本人は、嫌がります。
なぜ?
理由は二つ。
ひとつは・・・
「宗教的な理想を言っても、始まらん!
現実はきびしいぞ!」
もうひとつは・・・
「宗教的なことで、喧嘩をするのは嫌だ。
皆、仲良くすればいいじゃないか」
実際、二つの理由は、かなり正しいでしょう。
ところが、こんな日本人も、悲しい?過去が・・・
戦前は・・・
「国民全体が、国家神道に、ズッポリ浸かっていた」
というのが、真実でしょう。
また現在でも
皆で何か大きなことをするときは、
「皆で一緒に、必勝祈願の神社参り」
これも、珍しくない。
幼稚園や学校の経営は、
宗教団体が行っていることも多い。
正月の初詣は、「するのが当たり前の行事」。
そして亡くなった時は、
多くは「お寺」で葬儀。
つまり宗教の話は、ある種タブー。
ところが実際には、日常生活のそこここに
宗教は顔を出します。
そんな日本人はわかっています。
「宗教の話をする人には、偽善者が多い」。
つまり早い話が、
「宗教を、利用して、金儲けしている人が多い」わけです。
私のブログは、宗教の話をすることが多い。
でも金銭的には、「貧乏人」です(笑)。
私はそれでいいと思っています。
「私は金儲けや名誉を得るために、
宗教の話をしてるんじゃない!」
・・・いい証明じゃないでしょうか?
なぜ私は宗教の話をときどきするか?
理由は・・・
「現在の殺伐とした社会に、潤いを与えたいから」
せめて「因果応報」とか「来世」とか、
「他人を憎むな」とか「自分のために、善行をしよう」
とか、そういう精神はわかってほしい。
そうすれば「稼ぐが勝ち」とか「スーパーフリー」というような
不良青年?は生まれないでしょう。
ところで私は特定の宗教団体の利益になる話はしていません。
なぜなら
カルト集団以外は、
どの宗教も認めているからです。
だから逆に、特定の宗教の強制は絶対、嫌・・・とも思っています。
現在、日本の普通の学校では、宗教は、取り上げられていない。
その結果、日本人は、50過ぎても
「生命の意味」がわからず、
年間3万以上の、日本人が自殺をし、
また無数の人が、精神障害にかかっています。
とりたてて、宗教の話をしなくてもいい。
ただ、「生きるとはどういうことか?」
これだけでも学校で教えるべきではないでしょうか?
その場合、特定の宗教団体ではなく、教師でもなく、
いろいろな団体の代表者が、話をするのがいい。
浄土宗、日蓮宗、禅宗、キリスト教、イスラム教、天理教・・・
(ここに書かなかった宗教団体のみなさん、
怒らないでね!書ききれないだけです)
そういう代表者の話を、月に一回だけでも、
全校集会で、聞けばいい。
(特定の宗教団体に偏るのは、絶対にダメです!)
いろいろな宗教者の話を聞き、
学生たちは、
それだけでも、何か得るものはあると思います。
教師は何も言わず、
すべての選択は学生に任せればいい。
憲法では、「信仰の自由」と言いながら、
学校では、「商品」を陳列していません。
いろいろな商品を陳列し、
商品の選択は、学生に選ばせればいい。
少なくとも、
自殺者は減るでしょう。
>学校では、「商品」を陳列していません。
そうですね、偏りなく公平に 接する機会を
設けたら良いですね。
趣味人以来 尊敬、感謝して居ます。