大地一人、正直言うと、
日蓮は、「少し好き」だ。
ただ「彼の気持ちは、誰よりも理解している」
・・・と思っている。
理解しているからこそ、
有料版のデザインも、第一回から第四回まで、
「ハス」の絵を使っている。
「泥の中でも、ハスを咲かせる」
・・・人生、かく、ありたいものである。
日蓮ほど、誤解されている宗教家もめずらしい。
彼は他の宗教を批判したが、
でも、考えてみると、
世の中で生きるというのは、
「何か」を選ばないといけない。
結婚でも、35億の異性から、
一人を選ぶことだ。
残りの異性たちは、どんなにすばらしくても、
捨てないといけない
・・・これが人生の真実だ
(ただ、「捨てる」という表現も、ちょっと過激だが・・・)
「何かを選ぶこと」が生きることであり、
最終的に、日蓮は「法華経を選んだ」・・・というわけであり、
逆に言えば、彼は他の宗教の良さも知っていたんだと思う。
そして、どの宗教を選ぶかは、
その人の個性で、選べばいいわけだ。
ところが、日蓮宗の中には、
いい人も多いが、逆に、悪意をもって排他的な人も多い。
この人たちは、本当に、いただけない。
日蓮宗の極意は、
「ウドンも、ソバも、パンも食べたら、糖尿病になるから、
ウドンだけにしておきなさい」
というものであるにもかかわらず、
「ソバ食べた人は、ダメ」というのは、
大いに間違っているわけだ。
ウドンを選んだ人は、ウドンの良さをアピールするのも当然である。
またソバやパンを選んだ人も、
それぞれに、ソバやパンの良さをアピールすればいい。
宗教はそれでいいと思う。
大地一人、日蓮宗も、創価学会も認める。
むろん、他の宗教も認める。
それは個性である。
そして大地一人は、日蓮宗ではない。
これも個性である。
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