断言するが、
女性にとって最大の喜びは、
男との睦まじい交流である。
ところが、昨今の「過敏セクハラ報道」によって、
真面目な若い女性ほど、
「男=警戒すべきもの」という「刷り込み」が起こる可能性がある。
セクハラとは、「乗り越えるべきもの」なのに、
「拒否すべきもの」になってしまう。
こういう女性は、当然、婚期も遅れるし、
男との睦まじい交流という、
人生最大の喜びも、喪失してしまう。
と同時に、「精神的成長」も止まったまま、
ある種「精神的バケモノ」のような中年女性が出来上がる。
大地一人、そういう女性をたくさん知っているが、
こういう女性たちは、
自分では何もできないくせに、
自分の考えに都合のいい理論や社会統計だけには詳しくて、
自分の考えに反対する者は、
男女の区別なく、
容赦なく、「理論的」に切り捨てる。
そして人生の最大の喜びを知らずに、
死んでゆくのだ。
なんとも、かわいそうなことである。
セクハラは拒否するのではなく、うまく処理できてこそ、
ホンマモンの女性であり、
そういう女性こそが、真の喜びをつかむ資格があるのだ。