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芝居の表現

2009年09月13日 | Weblog
久しぶりに芝居を見に行った。
題名は「リビエールの夏の祭り」。

出征した夫を待ちながら16年の歳月が過ぎた浅草が舞台。
戦死の連絡もなく、捕虜となり帰国した名簿にもなく、戦死したものと自分に言い聞かせながら、ほんの少しの期待をもち続けている女性が主人公。
ある日、ロシア民謡を歌いながら店の前を通る薄汚れた男を見て、「もしや夫ではないか」と女性が思う場面からこの芝居の奥深さが始まる。

この男、記憶喪失になってしまったらしく、女性を見ても何も思い出さない、わざと名前や出身地を聞かせてみたり、懐かしい食べ物を差し出しても反応せず、やっぱり何も思い出せない。
その上、日本語もたどたどしく言葉少なである所に、他人との接点を避けてきた夫の人生が垣間見れ、なんとか思い出させたい女性はあの手この手を差し伸べるも心は開けず、その苛立たしさまでも芝居を見る私に伝わってきた。

ドラマや映画、何かとハッピーエンドに慣れてしまっている現代。
私は当然に夫が記憶を取り戻し、空白の16年を埋めるべく幸せな二人の姿を期待していた。
しかし、この芝居はそうではなかった。
妻は望んでいたかもしれないが、夫はどうであったか。
もしや、記憶を取り戻していたのではないか。。。
引き離されてしまった二人。

とても深い芝居だった。

芝居が終わり、ホールの前で待っていると、主演の中野誠也さんが着替えて出てこられ、こんな大芝居をされた後とは思えない爽やかな笑顔で通り過ぎていかれた。
こちとらまだ余韻に浸っていたんだが。。。
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