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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

50回目のファーストキス

2018年06月07日 | 学年だよりなど

  学年だより「50回目のファーストキス」


 娘を乗せて自動車事故を起こした父親は、責任を感じ続けていた。
 毎朝「同じ日」を迎える娘に、記憶障害だと告げることはできず、父親と弟(母親はいない)は、毎日懸命に「その日」を演じ続ける。
 「その日」の新聞を何十部も特注し、娘が起きる前に投函する。毎日ガレージの壁に絵を描く娘のために、彼女が寝たあとに白いペンキでぬりつぶす。夜はリビングで一緒に「シックスセンス」を観る。もちろん彼女にとっては初めてだから、クライマックスで驚愕の声をあげる。そばにいる父も弟も初めて観たかのように驚く … 。
 家族がこんなルーティンを過ごしていることを知り、「これは、彼女にとって幸せなのか」とヘンリーは考えるようになった。
 ある日、ルーシーは気づいてしまう。自動車の車検切れを警察から指摘され、「まだ10月じゃない!」と主張すると、変な女扱いされてしまったのだ。
 ルーシーは自ら医者に行き、自分の病状を知り、治る見込みがないことに絶望する。
 しかし、病気のことも、絶望したことさえも、翌朝になればリセットしてしまうのだ。
 ヘンリーは毎日ルーシーを口説きおとした。毎日恋に落ち、毎日「ファーストキス」をかわすように二人はなっていた。そして初めて二人で過ごす夜 … 。
 翌朝、目覚めたルーシーは、自分の隣に眠っている「知らない男」を見て、悲鳴をあげてしまう。
 ヘンリーはビデオテープを作った。毎朝、彼女が目覚めたときに見れるように。
 事故の事実、治療や今の病状、家族のふるまい、ヘンリーと出会い恋人になったこと … 。
 そこまで見てルーシーは、そばにいる少しチャラそうだが、卵形の頭とやさしい目の男に気づく。
 しかし、ルーシーは、ヘンリーと別れることを決意する。
 「あなたは、海洋生物の調査の旅に出かけたいと言っていた。毎日水族館とこの家との往復だけで、自分の夢に近づこうとしなくていいはずがない。父や弟にも自分の人生を生きてほしい」と。
 ルーシーの決意は固く、記憶のために書きためていた日記も、全部燃やしてしまう。
 島を去る出発の日、父親が見送りにやってくる。
 彼女はホスピスで元気にやっているという。入所している他の患者たちに絵を教えながら、楽しそうに「Wouldn't It Be Nice」(ビーチボーイズ)を歌っているという。 
 え? それは、おれが教えた曲だ。彼女はすべての記憶を失ってなんかいない!
 ヘンリーはホスピスに走る。「こんにちは! ぼくが誰だかわかるかい?」
「ごめんなさい、わからないわ。でもこっちに来て」。手を引かれ彼女の部屋に入る。
「気がつくとこんな絵を描いてるの … 」。笑った顔、ギターを抱いて歌う姿、卵形の頭 … 壁一面ヘンリーでうめつくされていた。「あなたは誰 … 」
 映画は、アラスカに向かう船上のシーンで幕を閉じる。
 目覚めるルーシー。「ビデオを観て!」のメモ。「事故、出会い、結婚、出産 … 」。デッキには父親と孫娘つまりルーシーの娘が遊んでいる。「ハーイ!」ヘンリーが手をあげる「目覚めたかい?」。
 夢を追いながら、同時に愛を育むことに成功した卵形の笑顔が近づいてくる。

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恋は雨上がりのように

2018年06月05日 | 演奏会・映画など

人はどういうときに成長するのか。
 商売柄、いつも頭の片隅にある「問い」であり、この問いに応えようと学校は存在する。
 つまり、すべての活動がこの観点から検証され続けていなければ、われわれは仕事をしていることにならないのだろう。
 だから、ちゃんと働こうとすると(すればするほど)、生徒さんたちには煙たがられ、反発されることもあるのはしょうがないのだ。
 それがシステムなのだから。

Q「羅生門」は、粗く言ってどういうお話ですか。
A 下人が羅生門で老婆と出会い盗人になる話。
 この下人の変化を「成長」といい、主人公を成長させる役割を果たす存在を対役といいます … 。

 先日第10巻でみごと完結した『恋は雨上がりのように』は、ファミレス店長(45歳)と女子高生(17歳)との出会いと、もどかしい関係を描く。
 高校記録を作るほどのスプリンターだった橘あきらが、アキレス腱断裂にみまわれ競技をあきらめていた頃、雨宿りもかねてたまたま立ち寄ったファミレスにいたのが、店長の近藤だった。
 なかなか帰ろうとしないあきらに店長が、これはザービスだよとコーヒーをもってくる。
 さえない中年男に、女子高生はほのかな恋心を抱くようになる(そんな設定ありえないと言うかもしれないが、おれはあると思うな。あってほしい)。
 もちろん、近藤の方はそんな対象に自分がなるなどと思っていない。
 少しでも店長のそばにいたいと、そのファミレスでアルバイトをはじめた、あきら。
 二人の接点が増えるにつれ、近藤の方も意識せざるをえなくなる … という話が第一巻ぐらいだったろうか。
 まさかこんなに長く続くと思わなかったが、初期のころは早く続きが読みたくて、「月刊スピリッツ」まで買ってしまっていた。
 最初の頃、実写化するなら、橘あきらは橋本愛さまかなとイメージしていた。
 映画『恋は雨上がりのように』は小松奈菜さん。もう、ありがとうというしかない。
 店長の大泉洋さんもさすがのお芝居。
 表面的には、歳の離れた男女の恋愛感情を描いているが、「羅生門」と同じように、異質な者同士が出会って成長する物語だと感じた。
 コミック最終巻の方が、それが色濃くあらわれている。
 作家になるという夢を捨てて屈託しながらファミレスで働いている店長と、けがで陸上競技を捨てようとしている女子高生。
 自分のやりたいことが本当に自分のやりたいことなら、結果うんぬん以前に、やれるだけやってみようと思うようになれたのは、お互いに出会え、もどかしいやりとりを重ねてからだ。
 自分にないものを相手は持っている。それはお互い様で、自分が0、相手が10、またはその逆ということはない。
 それは、出会って、かかわってみないと気づかない。
 羅生門の「雨やみを待つ下人」のくだりは、コミックの中でも引用される。
 下人は、老婆と出会って、深い闇に包まれた都に向かい走っていく。おそらく雨は上がっていたことであろう。
 コミックでも、あきらの屈託は雨のシーンで表現される。
 羅生門とは逆に、雨上がりの青空に下に駆け出ることになった二人の成長に、せつないようなまぶしさを感じる。
 人を成長させるのに、出会いに勝るものはないのかもしれない。
 それにしても、映画館にはけっこうおっさんが一人で来てたなあ。おれもか。

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記憶

2018年06月04日 | 学年だよりなど

学年だより「記憶」


 みなさんがお母さんの顔と名前を忘れないのは、毎日見ているからだ。
 クラスの仲間や担任の先生の名前を、明日も覚えているのは、明日だからだ。
 卒業して数年経てば、忘れてしまう人もいるだろう。
 今日覚えたことの三分の一は、明日も覚えている。
 逆に言うと、三分の二は忘れてしまう。
 昨日の夕飯に何を食べたかを瞬時に思い起こせるだろうか。昨日は大丈夫でも、一昨日のそれだとあやしい人がほとんどではないだろうか。
 毎日、私たちは大量の情報を五感からインプットする。それらの情報は、脳内の短期記憶コーナーに置かれ、脳が大切だと判断した情報だけが、長期記憶として蓄えられていく。
 脳内のその作業は、一日が終わり眠っている間、つまり外からのインプットが停止している時間に行われる。寝る前に「暗記物」をやると効果が高いというのも、このためだ。
 「○○」という英単語が覚えられるかどうかは、「○○」を忘れそうになる直前にもう一回見るかどうかで決まる。暗記力は、頭の容量ではなく、手順の自覚が決定する。
 短期記憶を長期記憶にかえる機能を、何らかの原因で失ってしまうと、新しい情報が記憶されなくなる。
 映画『50回目のファーストキス』の主人公ルーシー(ドリュー・バルモア)は、一年前の交通事故で記憶障害に陥った。
 事故直前までの記憶はすべて残っている。
 しかし、それ以降の新しい記憶が残らない。一晩寝ると脳がリセットされてしまう。
 「前向性健忘」という症状だ。事故の直前で人生が止まっていると言っていいかもしれない。
 朝起きると、彼女は、行きつけのカフェでワッフルを食べる。美術教師だった彼女の、休日のルーティンだからだ。家に帰り、ガレージの白壁にペイントをする。夕食後は家族とケーキを食べ、ビデオ(「シックスセンス」)を観る。毎日だ。
 彼女にとっては毎日が新鮮な「その日」なのだ。
 ある日のこと、水族館で獣医として働くヘンリー(アダム・サンドラー)がそのカフェを訪れた。
 ヘンリーは、ワッフルを食べていたルーシーに一目惚れする。プレイボーイのヘンリーにとって、彼女に声をかけ、また明日も逢おうねと約束するくらいは、なんでもないことだった。
 翌朝、ヘンリーがカフェに来る。昨日と同じ席に座るルーシー。
 「ハーイ、元気だった? 今日もおれの手はセイウチの匂いでくさいぜ(笑)」
 ヘンリーがルーシーの鼻の前に手をかざす。昨日の会話の続きだ。
 「何するの! 変態! てか、あんた誰? ふざけないで!」
 ヘンリーはあっけにとられる。だって、昨日会ったじゃないか、俺の仕事の話もして、今日も会えるといいねって、君が言ったんじゃないか … 。
 しかし、カフェのオーナーに話を聞いて、ヘンリーは事情を理解する。
 ルーシーは、毎日新鮮な「同じ日」を繰り返しているのだということを。

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