学年だより「 「勉強神経」悪い芸人 」
アメトーク「運動神経悪い芸人」もおもしろい。しゃべりが達者で、人を笑わせることのプロの方々が、運動についてはこんなにも苦手なのかと、視聴者に優越感を抱かせる。
ときには、少し「やらせ」が入っているのではと勘ぐらせて、虚実皮膜を感じさせたりもする。 自分の苦手なことをここまで「メシのタネ」にしてしまえるしたたかさにも感心させられる。
下手なのに、とにかく一生懸命であるから、なおさら可笑しい。
そんな振る舞いをみながら、みなさんも上から目線で見て笑っているのではないだろうか。
からだの使い方がおかしい、タイミングが全然わるい、ボールをよく見ないとだめだ、もっと腕をふって走らなきゃ … 。しょうがないなあ、運動神経が悪い人たちは、というように。
もし宇治原さんが、川東の授業風景をみたら、どんな感想をもつだろう。
我々の授業については棚上げさせてもらうなら、みなさんの姿をみて、「運動神経悪い芸人」さんを想起するようなこともあるのではないか。
なんか動きがおかしい、書くべきポイントがつかめてない、ていうか書くべきことを書いてない、逆に説明を聴くべきタイミングでのんびり板書を写している … 。
頭の良い悪いではなく、偏差値の高い低いも関係なく、なんとなく「勉強神経」がよくないなあと見なされてしまうような気がする。
すぐれたプレーヤーは、「そのこと」をしなくても上手であることがわかる。
運動をやっている人なら、ワールドカップで選手達がピッチに入ってくるたたずまいで、どれくらいスゴいか想像できてしまい、身がふるえるのではないだろうか。
逆もしかり。授業が始まってからノートを探しているしぐさをみれば、成績の想像はつく。
「運動神経が悪い」と言われる動きは、専門家について習えば、すぐに改善する。
足が遅い、跳び箱が飛べないと悩む小学生でも、専門家に教わればあっという間に上達する。
ポイントは限られているのだ。
ものすごくレベルの高そうな技術も、実は基本の組み合わせにすぎないということはある。
いや、むしろそれが普通かもしれない。イチロー選手が毎日時間をかけて素振りをするのは、そういうことだ。
「勉強神経」にも同じことがいえる。
ひょっとして自分は勉強神経がよくなく見えているかもと考えてみよう。
どこを直せばいいだろうかという意識さえあれば、勉強のやり方はいくらでも上達する。
能力の有無ではなく、基本的な技術を知らないだけで成績があがらないのだとしたら、もったいないではないか。
今みなさんが取り組んでいる勉強に、才能がないと理解できないような内容は含まれない。
言われた手順で問題を解き、ていねいにノートに書いて、できない問題をチェックして … という基本動作の積み重ねで、ほぼすべて解決していく。
もっとしぼるなら、「どう書くか」「どれだけ書けるか」につきるだろう。
受身を習わず柔道をするのは危険だ。ルールを知らずにゲームには出られない。
勉強神経悪い芸人から、勉強大好き芸人に方向転換しよう。