男子ダンスパフォーマンス集団「梅棒」7回目の公演は、がっつり学園もの。
吉川友さん扮するヒロインを、ちょっとイケてない同級生と、突如現れたイケメンの転校生(千葉涼平君)のどちらがものにするか、生徒会長選挙で争っていくのが本筋のすとーりーで、まさににありがちな学園ものだ。
「当選したら、つきあって … 」と言おうとして、「当選したら、パンツちょうだい」と言ってしまう。
「いいよ、パンツあげる」とヒロインが言ったことが周囲にも知られてしまい、わさわさとみんなが立候補しはじめる典型的なバカバカしさもおもしろい。
(かわいい)女子の持ち物の窃盗事件、真面目な生徒の裏の姿、転校生の過去、清楚な担任の先生の真の姿、トイレの花子さん、二宮金次郎のタイムトリップ、音楽室のベートーベンの亡霊といった学校に関わる様々なアイテムと小ネタが、一つ一つはほんとにバカバカしいのに、それらが一気に収斂していく後半は、気がつくと泣いている。なぜだろう。しかも、セリフは一切ない。すべてjポップにのせたダンスで表現されていく。
でも考えてみると、セリフのない表現は山ほどあるけど、人の喜びも悲しみも充分に伝わる。
むしろないから伝わるとも言える。
ダンスという表現の圧倒的な力に泣けるのと同時に、「パンツ」に泣けたのだ。
映画の言葉で「マクガフィン」というのがあって、それが何であるかはよくわからないけど、登場人物たちが命をかけて奪い合うもののことを言う。
マイクロフィルムとか、要塞の地図とか。別にそれ自体はなんでもよくて、命がけの奪いあい、奪い合い方が作品の一番大事なものになる。
「パンツ」自体は、高校生男子の欲望の象徴にはなるけど、物理的なそれ自体をみんながほしがるわけではない。
それ自体ならしまむらとか行って買えばいいだけだから。
「吉川友ちゃんのはいてた」という物語を欲しているのであって、物語性があるならパンツでなくてもいい。
「パンツ」ってマクガフィンの一つなんだろなと思え、そんなことに青春をかけられる若者の姿にぐっとくるものを感じたにちがいない。
コンクールも同じだ。甲子園も。
トロフィーも、メダルもマクガフィンであって、当事者でなかったら、なぜそんなことに「命がけ」になるのかわからない。当事者も賞状自体がほしいのではなく、物語にあこがれるのだ。