学年だより「夢のあきらめ方2」
「 a最初から夢を追わない、bちょっとやってみてから諦める、c期限を決めてやってみる
dとにかくやるだけやってみる e何があっても諦めずに追い求め続ける 」
の5パターンを前号で書いてみたが、これを大きく二つに分類してみよう。
すぐに気付くと思うけど「a」と「b・c・d・e」だ。
なんらかの夢を描いたとき、やりたいことを思いついたときに、それを実際に「やる」のか「やらない」のか。
映画の原作である『芸人交換日記』には、こんな言葉があった。
~ やろうと思っていることと、実際にやることの間には、大きな川が流れている。(鈴木おさむ『芸人交換日記』太田出版) ~
「人には無限の可能性がある」という言葉がある(特に学校の先生が言いがちだ)。
その言葉は、極めて限定された局面において一定の真実を見いだすこともできるが、一般的には「ウソ」である(わかってるよね)。
そんな、めったやたらに可能性があるわけがない。
仮にものすごい努力をしたからといって、誰もが香川真司選手になれるわけはないし、100mを9秒台で走れるようにはならない。
ただし、何事もやってみなければわからないというのも本当だ。
高校でたまたま先輩に連れていかれてやり始めた競技で、後にプロプレーヤーになる人もいる。
好きで始めたことでも、まったく自分にあってないことに気付く場合もある。
人は可能性を信じてチャレンジできる生き物だが、特定の一つか、せいぜい二つ以外のことは、夢を諦めなければならない。
自分は何でもやれそうだと思っている人がいたなら、おそらくその人はこれまで何もやってこなかった人だろう。
諦めることは決して後ろ向きの行為ではなく、自分にあった別種の人生を見つけるために一歩前進する作業だ。
だとしたら、どんな風に自分の夢と向き合い、どんな風に夢を諦めるかが問題になってくる。
「夢を諦めること」は、人の成長の一つの形なのだ。
~ この本の中で、「夢を諦めるのも才能だ」という言葉に出会った時、僕はそのことに気付きました。若い頃は、夢を諦めることイコール敗退だと思っていました。でも、「諦めよう」と思うところまで突き詰められるのは、敗退ではなく、前進だと信じたいのです。「自分はこの世界でやっていくような人間じゃない」と気付くまでやり切った人なら、次の場所でも必ず、夢を追えるはずですし、辞めていった仲間は実際にそうです。 (若林正恭「『芸人交換日記』解説」より) ~