1学年だより「自分の感受性くらい」
たくましい幹を育て、いっぱいに葉を広げ、花を咲かせ、実をならせるには、肥えた土が必要だ。
勉強や部活にがんばる、学校生活の中で仲間と切磋琢磨する、家族を大事にし、社会における他人との付き合い方を覚えていく……。
これらは、自分という土を肥えたものにしていくための大事な仕事だ。
~ 自分の感受性くらい 茨城のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ ~
自分の心は、自分で「水やり」しないと、乾いてしまう。
自分の心に、どうやって水をあげればいいか。それは「汗と涙」だ。
「汗をかく」。
一生懸命やること。自分の限界に挑戦すること。他人のための何かをすること。
「涙を流す」。
他人の心の痛みを思いやること、負けて悔しい思いをすること。
本を読み、映画を観、いい音楽を聴き、心打たれて涙を流すこと。
自分を肥えた土壌にするために、たっぷりの「水やり」をしよう。
花を咲かせ実をつけることを焦る必要はまったくない。
早熟ではやばやと結果を出して悠々と余生を送るより、もがき苦しんでなかなかうまくいかなくて、でもいつか大輪の花を咲かせる大器晩成の人生は魅力的だ。生きがいがある。
では、栄養を与え、光を当て続けると、花は咲きまくるのだろうか。
種類にもよるが、光を当て続けることで、開花しなくなる植物もある。
菊の花は、光を当て続けると花が咲かないという。
光が当たらない時間は、当たっている時間と同じくらい大事なのだ。
光があたらない時期に、どれだけ「水やり」できるかで、未来の自分が変わる。
たくましい幹を育て、いっぱいに葉を広げ、花を咲かせ、実をならせるには、肥えた土が必要だ。
勉強や部活にがんばる、学校生活の中で仲間と切磋琢磨する、家族を大事にし、社会における他人との付き合い方を覚えていく……。
これらは、自分という土を肥えたものにしていくための大事な仕事だ。
~ 自分の感受性くらい 茨城のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ ~
自分の心は、自分で「水やり」しないと、乾いてしまう。
自分の心に、どうやって水をあげればいいか。それは「汗と涙」だ。
「汗をかく」。
一生懸命やること。自分の限界に挑戦すること。他人のための何かをすること。
「涙を流す」。
他人の心の痛みを思いやること、負けて悔しい思いをすること。
本を読み、映画を観、いい音楽を聴き、心打たれて涙を流すこと。
自分を肥えた土壌にするために、たっぷりの「水やり」をしよう。
花を咲かせ実をつけることを焦る必要はまったくない。
早熟ではやばやと結果を出して悠々と余生を送るより、もがき苦しんでなかなかうまくいかなくて、でもいつか大輪の花を咲かせる大器晩成の人生は魅力的だ。生きがいがある。
では、栄養を与え、光を当て続けると、花は咲きまくるのだろうか。
種類にもよるが、光を当て続けることで、開花しなくなる植物もある。
菊の花は、光を当て続けると花が咲かないという。
光が当たらない時間は、当たっている時間と同じくらい大事なのだ。
光があたらない時期に、どれだけ「水やり」できるかで、未来の自分が変わる。