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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

全国レベル

2017年05月10日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「全国レベル」


 「オギャー」とこの世に生を受け、自分と母親とが未分化の時代から、他人という存在を知覚できるようになり、自分の欲望がすべて叶うわけではないとわかってくる過程を成長とよぶ。
 この世には、自分の知らない世界が無限に存在し、一生出会うことのない人がいて、それぞれがそれぞれにかけがえのない人生を送っている。
 自分のことが大切なのは間違いないが、自分の外に存在する無限の「もの」「人」「世界」すべてが、「自分」と同じように大切であり、自分と同じようにちっぽけでもある … 。
 そんな意識を持てるようになると、さらにもう一歩成長できたことになる。
 電車のなかで傍若無人にふるまう人を見たときの嫌悪感とは、この世界どころか、自分の周囲数十㎝にさえ思いを抱けない未熟な存在を感じてしまうからだろう。
 模試を受けて、自分としては頑張ったつもりで、学校でもけっこう上位だった、でも全国的にはこの程度でしかないのか、とがっかりできることも、見知らぬ世界を知る一つの大切な機会だ。
 あまり勉強しなくても中学校ではふつうに上位の成績だった人もいるはずだ。
 高校ではそうはいかないどころか、手を抜いたらクラスの下の方になってしまった、という経験をする。
 部活では、インターハイレベルの部活とは、こんなに大変なのかと、高校に入って感じる。
 ともに貴重な経験だが、それは顔のわかる存在を相手にしている。
 模試を受けると、全国にはこんな問題で満点をとる同学年の、顔も知らないかしこいヤツがいるのかと驚く。
 あの県にはすごいピッチャーがいる、○○県のなんとかいうヤツは10秒台で走るらしい、というようにまだ見ぬ強豪に思いをはせることもある。
 見たこともないすごいヤツの存在を意識できることは、人の成長段階の一つとして大切な経験だ。


 ~ 受験勉強の特質があります。それは「遠い」ものへの意識を経験するということです。全国模擬試験や偏差値を通じて、クラスの級友(のライバル)を越えた関係を意識することになります。「遠い」もの、見えないものを制御する意識を受験勉強で初めて経験し、それを乗り越えていくわけです。
 スポーツのできる国体級の学生も全国のライバルの能力を測り実力、「遠い」ものを測る能力を備えています。「体育会」系も就職にはそれなりに強い。100メートルをコンマ何秒縮めるというのは、偏差値よりも客観的な戦いを勝ち抜いていくわけですから。 (芦田宏直『努力する人間になってはいけない』ロゼッタストーン) ~


 受験勉強は、自分の能力の一側面を客観的に自覚させる。
 偏差値は人そのものの価値を測るものではないが、人としての価値を高めるためのきわめて貴重な情報を与えてくれる。

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