埼玉県の公立の先生方で、年度末を待たずに退職する先生がおよそ100人ぐらいいらっしゃるという。
条例の改正により、一月いっぱいで退職するほうが多くの退職金を支給されるからだという。
なんということか。
100人て。
今年度で退職される方は県で何千人いらっしゃるのだろう。
そのうち、わずか100人しかこういう辞め方をされないなんて。
キャリア教育の充実。今後これに文科省が取り組んでいくという報道が先日あった。
高校で週に一回の「キャリア教育」の時間を設け、将来像についてしっかり考えさせる。安易にフリーターの道を選ばないような人生設計をさせるのが目標の教育だという。
総合学習の一環と考えればいいだろうか。
英語やコンピューターを身につけさせようとするのも同じで、産業社会のなかで有意に生きていける人材育成を、より徹底せよということだ。
これがお上の指導であり、今の社会の要請であると解すべきだろう。
われわれはこんなことも教える。
「勉強して大学に行こう、就活して正社員になろう。フリーターのままだと生涯賃金は正社員の三分の一にしかならない。
かりに高校三年生のときに、○○時間勉強して難関大学に入り、その結果一流企業の正社員になれたとする。
生涯賃金から換算すると、今受験勉強するのは、時給数千円のアルバイトするのと同じことになるよ。
勉強するのは人生の得だよ。」
産業社会に需要に基づき、それに見合った人材を養成し供給することのは、近代教育システムの根本原理でもある。
当然、市場の原理、経済の原理が第一にはたらくことになる。
世の中にはさまざまな仕事があるから、きっと自分にあった仕事がみつかる、といって無謀な夢を撤回させるのも、キャリア教育の一つの真実だといえる。
学校教育は市場原理で行ってはいけないとする意見もあるが、文科省はそうではない。
今のお上の指導にしたがって生徒づくりをするなら、経済原理を第一に考える生徒は、正しい成長をしていることになる。
まして教える側が、身を以てそういう生き方を示すことは、お手本にこそなれ、批判されるべきことではないはずだ。
「そんなつもりで教えているわけではない」と言う先生もいらっしゃるかもしれない。
個人の考えはどうあれ、実際にやっていることそうなのだという意識は必要だろう。
もしくは余計なことを考えずにやるべきことをきちんとやるか。
経済原理に従って、より自分に有利な人生を選択すること、選択できることは、私たち自身がそういう社会を作ろうとしてきた結果手に入れたものだ。
公にものを教える立場であれば、コスパの計算をきちっとして、自分が得する生き方を選ぶべきだ。
「自分のやりたいこと」「自分のためになること」「自分の願い」「自分の利益」 … 。
これほど不可侵なものはない。
「公務員のモラル」とか「教師の矜恃」とか、なんかよくわかんない価値を持ち出して、早期退職の先生を非難する人がいたなら聞いてみたいが、前近代社会にもどりたいのだろうか。法や権利より義理人情が優先する社会がいいのだろうか。
埼玉県のご退職される先生方は、ぜひしっかり計算をして、全員が早期退職をされたらどうだろう。
現場が混乱するなどとのたまう方がいるが、それだったら書類上だけ退職したことにして、一ヶ月か二ヶ月だけの再任用をして働いてもらえばいいだけのことではないか。
「あの先生は早期退職なんだって」
「あの先生は私たちのために、150万円とか関係ないっていって残ってるんだって」
とか生徒が語りはじめてしまうのが一番よくない。
そういう事態が生まれることは、けっして個々の先生の責任ではない。
システムの瑕疵を個人の問題に矮小化して、自分は責任逃れしてる卑怯なヤツが必ずいる。
経済的不利益を被ることを前提にしながら職務を全うせよという文科大臣の言葉など、許されないレベルの反社会的、反文明的発言だとしか言いようがない。
いま、定年を待たずに退職される先生も相当数いらっしゃる。
悠々自適に暮らせるめどが立って退職される方よりも、厳しい現場のなかで心や体を病んでしまい、早期退職を余儀なくされた場合も多いと聞く。
長年現場で苦労された先生方が、何十万円かのお金の問題で、あらぬ批判を受けねばならない状況なんて …(ううっ、泣きそうになってきた)。
もし自分が生徒だったら、先生長い間おつかれさまでした、残りの一ヶ月ぐらいは、先生の教えに従ってきちっと暮らしますので、どうぞ早めにお休みください、ぼくらに気遣って何十万円のお金をみすみす無駄にするなんてことはしないでくださいと言ってあげたい。