登校後すぐに予備校さんのホームページからセンターの問題をプリントアウトして、スキャナーで読み込み、授業でつかえるプリントを作りながら、ざっと全体に目を通す。
まさか小林秀雄とは。この手の文章を予想した先生はいないんじゃないかな。
でもなぜ小林秀雄なのか。一回読んだだけではわからない。
小説は、去年は「虫」で、今年は「地球儀」か。
これも習作のような作品だと感じる。
なぜにこの小説。
午前、午後とポップス系の曲を練習し、入試の準備をして練習を終えた。
練習のできない入試期間に、少しでも譜読みをしてくれることを願うしかない。
もちろん、自分もやらねば。
練習後、本格的にセンターの問題を解き始めてが、気づいたら落ちていた。
部員たちも早めに撤収したので、木野目のマクドに移動して、解くことにする。
どこかの女子高生たちの会話をBGMにしながら解いていったが、難しい。
予備校さんも難化したと解説してたが、去年より10点ぐらい平均が下がってもおかしくない。
いい問題ならいくら難しくてもなんの問題もないが、ちょっと違和感のある設問があるのも事実だ。
古文、漢文は、とくに古文は良問だと思う。ちゃんと勉強した子しか点がとれない問題。
評論、小説はどうかな。
そのまま南古谷ウニクスに行き、「東京家族」を観る。二十日だから1000円だったけど、1000円で観て良いのかなと思える作品だった。
山田洋次監督は、製作をすすめる過程で東日本大震災が起こり、脚本を変えざるを得なかったという話をどこかでされていたと思う。
小津安二郎監督が「東京物語」で東京の家族を描いたのは60年前。
戦後の日本の家族の変化を描きつつも、敗戦を忘れることのできない人々の心情が見え隠れする(て、言うよね。たしかそう言われてみれば、そんなだった気がする。前に早稲田松竹で観た)。
小津作品のオマージュとしてつくられたこの作品には、戦争ではなく大震災後の視点が加わった。
妻夫木くん演じる次男の生き方、台詞に、監督さんの思いが色濃く投影されていると感じた。
こじつけかもしれないけど、センターの評論や小説を読んでみて感じた違和感がここにあるのかもしれない。震災後の視点が感じられないこと。それでいいのかもしれない。国語の役割ではないのかもしれない。でも、国語って、最終的には生き方を考えるためにもあると考える自分からとすると、大学の先生って何を考えて問題つくってるんだろ、何考えて若者に接してるんだろという疑問を抱いてしまったのだ。