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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

6月5日

2011年06月05日 | 日々のあれこれ

三学年だより№3「男を磨く」

 先月、駿台予備校主催の「入試問題研究会」という研修会に参加した。
 入試問題の解説に入る前に、国語担当の霜栄先生が「今年の浪人生は何か例年よりしっかりしている気がする」と話し始められた。
 みんなも知ってるとおり、東日本大震災がおこったのは3月11日、つまり国立後期日程試験の前日だった。
 ちなみにその日私は河合塾新宿校で一晩過ごさせてもらったのだが、「明日の試験どうなるのかな」と話している受験生の声が聞こえた。
 後期試験はとりやめになった大学も多く、その場合にはセンターのみの結果で後期の合否が判断された例が多い。
 センターで思うような点がとれずに後期入試にかけていた受験生は、そのまま不本意な結果に終わることになる。
 結果として浪人生となった子たちは、自分自身の受験と震災とが結びついた経験となっているせいか、受験生でいられることに感謝の念をいだいているのではないかと、霜先生は話された。
 受験生でいられること。
 自分たちは震災も関係して思うような入試結果が得られなかったとは言えるが、震災のために受験生であることも、この世における生すら奪われてしまった子もたくさんいる。
 そのような感覚を人ごとでなく持ったなら、自分たちに与えられた時間がいかにかけがえのないものであるかを、無意識のうちにも感じるのではないか。
 霜先生はおっしゃった。
 勉強して力をつけなければならないのは当然のことだ。
 でも、受験生としてどんな一年を過ごすことができるか、どういう結果になるのか、それを決めるのは、「自分に与えられた時間がどれだけかけがえのないものかを自覚すること」ではないかとおっしゃられたのだ。
 受験勉強の出来が人間の価値を決めるものではない。
 どの大学に入ったかが、または卒業したかが人間の価値を決めるものではまったくない。
 でも、受験勉強にどのように取り組むか、取り組んだかという姿勢は、まさしくその人の物事への取り組み方だ。
 学校生活に対する取り組みといって方がいいかもしれないし、大きく言えばその人の生き方とも言える。
 人として、男として、やるべきことにどう立ち向かうか。
 ヤル気がないからとか、今一歩ノってないから、などと言ってはいられないことが、人生には多々あるものだ。
 身の危険があってさえ、やらなければならないこともある。
 今の時点で自分にやりたいことが見つかってなくても、健康な心身を賜った日本男児なら、この先世のため人のためにできることは山ほどあるから、今は懸命に自分を磨いていってほしい。
 とんでもない事態にでくわした時、逃げるのか、立ち向かうのか。
 物事に逃げずに立ち向かっていく力は、今年一年の過ごし方で十分に養うことができると思う。

コメント
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