ほんとうにラフマニノフ好きの方には微妙かもしれないが、鈴木英史氏「セルゲイモンタージュ」はいい。
クラシックのアレンジ作品数々あれど、たんに楽器をおきかえただけの作品もあれば、編曲者という媒体が原曲を消化し昇華した結果としての譜面とがある。
前者の譜面の場合、そんな風にしたいなら別に吹奏楽でやらずに、オケでやればと言いたくなる演奏にであうときも正直ある。
鈴木英史氏のセレクションシリーズは後者の最たるもので、もはや編曲とは呼びがたい次元に達している。
この新作「セルゲイモンタージュ」は、さらにそれを超えて、誰が聴いても吹奏楽にはちがいないんだけど、誰が聴いてもラフマニノフの世界を表現している、という作品になりえているのではないだろうか。
小説やマンガを原作とする映画も数々あれど、原作を極力忠実に映像化しようとする努力は、たんに楽器をおきかえただけのアレンジ作品に近いものがある。
去年の「悪人」がその例で、原作者が脚本に参加しているため、結局は吉田修一氏の狭い世界観しか表現しえない平凡な作品だった。
「八日目の蝉」は、去年観た「告白」もそうだが、原作者と映画の監督が一定の距離をおいている。
原作者と監督さんが、お互いがお互いのジャンルに敬意を払っている。
原作のままを目指すだけの映画化ではない。
だいたい原作通りを第一目標にしたら、役者さんの存在そのものが、かえって世界のイメージを狭くすることになる。
映画という別の土俵のうえで、原作が新たな血肉を得て別次元の作品になるからこそ、映画にする意味があるはずだ。
そのままがいいなら、読んで終わりでいい。映画館で再現フィルムを観たいわけではない。
そういう意味で「八日目の蝉」は幸せな作品であった。
「SPA」のインタビューで、角田光代氏が原作にはない台詞やシーンが実によかったと述べてるが、本気で言っていると思う。
役者さんがまたいい仕事してるし。
井上真央さんとか小池栄子さんとか、なんていうか役者フィジカルのつよい人たちが、存分にその能力をいかされている。泣きました。
登場する男性陣がまた、あまりにも情けないので、身につまされてせつなかった。
監督さんグッジョブ。現時点での今年のベスト。
「孤高のメス」を撮られた監督さんだと後で知り、深く納得した。