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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

11月5日

2009年11月05日 | 日々のあれこれ
 文学賞というのは、文壇という世間への入場券みたいなものだと、斉藤美奈子さん(だったかな?)が書いてた。
 言い方はちがったかもしれない。
 自分たちの仲間として認めていいよ、というお墨付きのようなものだという意味だったと思う。
 だから、既存の作品と比べて全く新しさがないものが受賞できないのはたしかだが、のちのち評価されるかもしれないとんでもない才能であることは認めながら、受賞には値しないという扱いを受ける作品はたぶん存在する。
 審査員にあがってくる前の段階でも相当数が淘汰されてるだろう。
 審査員とは、そのジャンルに対しては基本的に保守的な存在だ。

 内田樹先生が、「追悼レヴィ=ストロース」という記事で、次のように書かれている。

 ~ 20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」だという自覚を持っていた。自分の個人的な営為の成果がそのままフランスの知的威信と、フランスが世界に差し出す「知的贈り物」のクオリティに直結するということを自覚していた。
 私の知的達成がフランスの知性の最高水準を決するのだという壮絶な自負と緊張感をもって彼らはそれぞれの仕事をしていたのである。 ~

 現代文も教える身としては、レヴィ=ストロースさんが亡くなったねえと話題にできるぐらいの知識があるとかっこいいのだが…。
 円楽師匠についてはそこそこ言えるけど。
 ちなみに鳳楽師匠が円生を継ぐことが確かになったという話題が自分的にはビッグニュースだ。
 あの大名跡には物足りないと言う人もひょっとしたらいるかもしれないが、鳳楽師匠の実力であれば十分だ。
 噺が下手で弟子もいない落語家さんが、血縁だけで大きな名前を継いでいるのに比べたら、おおいに言祝ぐべきことであろう。
 
 「私の知的達成がフランスの知性の最高水準を決するのだという壮絶な自負と緊張感をもって彼らはそれぞれの仕事をしていた」
 「私」を「私のバンド」に、「フランスの知性」を「日本の吹奏楽」におきかえたなら、いま伊奈学園さんや埼玉栄さんのやっておられることとは、まさしくこれではないかと、内田先生のブログを読んで思った。

 吹奏楽というジャンルにおいて、日本の高校バンドというのは、トップランナーではないかなと最近思う。
 大学生や一般バンドもすばらしいが、高校の方がとんがっているような気がするのだ。
 今回の全国大会においては、伊奈学園さんも埼玉栄さんも銀賞だった。
 審査員は基本的にジャンルに対して保守である。
 そういう方だからこそ審査員にも選ばれるのであり、吹奏楽または別分野のパイオニアは審査員席には座らない。
 それを思うと、ときに評価されにくい場合もあってもしょうがないのではないか。
 マーラーなんかできないよとか、しょせんディズニーでしょと片付けるような2ちゃんの意見を気にすることなく、これからも走り続けていただきたいと思う。
 
コメント
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