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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

前置詞のポイント

2012年12月24日 | 国語のお勉強(漢文)

 漢文の前置詞句は原則として副詞句なので、後ろに必ずVがある。
 だから前置詞句を見かけたらいったん〈 〉でくくって、その文のSVをまずつかむと読みやすい。

 我 〈 為 由 里 子 〉 作 炒 飯。
は、「我」がS、「為由里子」が前置詞句、「作」がV、「炒飯」がO。
 我 為(二)由里子(一) 作(二)炒飯(一)。(私は由里子の為に炒飯を作る。)

 我 〈 与 彩 〉 登 山。
は、「我」がS、「与彩」が前置詞句、「登」がV、「山」がO。
 我 与レ彩 登レ山。(私は彩と山に登る。)

 前置詞を覚えることで、その文のVが明確になる。
 上記の文を否定文にするには、助動詞「不」を用いればよいが、まず結論ありきの漢文は、Sの直後に「不」がおかれ、その後に前置詞句、そしてVという語順になる。

 我 不 〈 為 由 里 子 〉 作 炒 飯。
 我 不 〈 与 彩 〉 登 山。

の語順なので返り点は、

 我 不(下) 為(二)由 里 子(一) 作(中) 炒 飯(上)。
 我 不(二) 与レ 彩 登(一)レ 山。

となる。とにかくまず初めに、前置詞句にレ点、一二点をつけてしまうのがポイント。

 「於」、及び「於」の代役になる「于」「乎」だけは、英語の前置詞句のようにVの後ろに置かれることが多い。

 我 学 漢 文 於 学 校。

のとき、「於」に返り点をつけて「に」と読んだ学者も昔いたが、名詞の送り仮名でそのニュアンスを読んでしまい、「於」自体は置き字にするのが通例になった。

 我 学(二) 漢 文 於 学 校(一)。(我漢文を学校に学ぶ)。

「於」のつくる前置詞句は、例は少ないが副詞句ではなく形容詞句として名詞を修飾することがある。これも「於」が他の前置詞と異なる点だ。
 センター試験98年追試にこんな文があった。

 道之於孔老猶稲黍之於南北也。

「道之於孔老」がS。「孔子や老子における道というものは」の意味。
「猶」がV。「同じだ」。
「稲黍之於南北」がC。「南方の人にとっての稲、北方の人にとっての黍」
「也」は終助詞で断定。

 「於」は通常Vの後ろに位置し、英語の前置詞と同じ働きをする。
 「於」がVの前にある場合は「~に於(お)いて」と読む。

原則
 助動詞と前置詞には返り点がつく。
 助動詞の後ろ、前置詞句の後ろにはVがある。
 返り点がいろいろ複雑についてても、最後に読んだ漢字(語)は、その文のVか、Vの助動詞である。

 もっともよく使われる前置詞は「以」だ。
 名詞が省略されて返り点がなくなり、接続詞に見えることもあるが、「以」の後ろには必ずVがある。

ちょっとしたコツ
 「以(もって)」の後ろにVあり。
 「而(ジ)」の前後にVあり。

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漢文の前置詞

2012年12月24日 | 国語のお勉強(漢文)

 日本語は、名詞の後ろに助詞がくっついて、その名詞を主語にしたり、目的語にしたり、修飾語にしたりする。
 英語や中国語には、名詞の前に置かれて同様の働きをする語があり、それを前置詞という。
 前置詞+名詞のひとかたまりを前置詞句という。
 基本的に古代中国語の前置詞句はVの前におかれて、Vを修飾する副詞句としてはたらく。副詞がVの前におかれるのと同じだ。
 日本語の助詞と同じ働きをし、日本語とは異なり名詞の前に置かれているから、前置詞には返り点が付く。以下の数個が漢文の前置詞にあたる。


  自レ~・従レ~「~よリ」… ~より・~から
  以レ~「~ヲもつテ」… ~によって・~で・~を
  与レ~「~と」… ~と
  為レ~「~ノためニ」… ~のために
   対レ~「~ニたいシ」 … ~に
  於レ~「~ニおいテ」 … ~で

 

 

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漢文の助動詞

2012年12月23日 | 国語のお勉強(漢文)

 漢文には返り点がある。
 なぜ返して読むのか。古代中国語は、日本語とは語順が異なる言語だからだ。
 日本語と異なる語順の言語を、原文をそのままの形にしておいて、日本語読みしてしまおうと生み出されたのが返り点だ。あたりまえのことだが、返り点は、日本語と語順の異なる場合だけつけられる。
 適当につけられているのではない。
 「花咲かず」を漢文では「花不咲」と書く。
 古代中国の人は「花が咲かない」と言うとき「花不咲」と書く。
 「咲」という動詞内容より「不」という否定がより大事だという意識が働いているのだろう。
 日本語は、現代語で考えてもそうだが、ものごとの結論は最後の最後にあきらかになる。
 動詞の後ろに助動詞がつき、その動作をしたのかしなかったのか、未来のことか過去のことかを表明するのは後回しになる。
 漢文の助動詞は、とりあえず主語のあとにすぐ置かれる。
 助動詞だから、その後ろには必ず動詞がある。
 「漢文には返って読む文字がある」というおおざっぱに理解するのをやめて、この字(語)は助動詞だから、下の動詞から返って読む、という意識をもつとよい。
 これらの語にもどっている語がVであることがわかる。
 以下の数個が漢文の助動詞にあたる。

〈助動詞〉
  不レV・弗レV「~ず」 … ~ない
  見レV・被レV「~る・らル」 … ~される
  可レV「~べし」 … ~できる・~するとよい
  得V「~う」・能 V「よク~」 … ~できる 
  勿レV・毋レV・莫レV・無レV「~なカレ」 … ~するな
  欲レV「~ントほつス」 … ~しようとする・~しそうだ

 「能」は読み方は副詞ぽいが、可能の助動詞だ。
 否定とセットになると、「不レ能レV(Vするあたはず)」となり、ビジュアル的にも助動詞になる。
 他にもあるけど、覚えるのはこれだけでいい。

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漢文の構造

2012年12月21日 | 国語のお勉強(漢文)

 冬期講習は古文三日、漢文三日で実施し、漢文を担当した。
 初めて教えるクラスが2クラスあって、「SVで文構造をとる説明が新鮮だった」って言ってましたよと、担任が教えてくれた。
 たしかに今年は、これがS、これがV、じゃOはどれ? とか口うるさくやっている。
 少しでも効率よく漢文が読めるようになってもらうための一番いいやり方だと(現時点では)思っているからだ。
 昔ながらの漢文指導でも、漢文の構造は最初に教えるのが普通だろう。
 「主語・述語・目的語」「主語・述語・補語」のように、古代中国語は日本語と語順が異なりますと指導する。
 ところが、ここに問題点があって、中学校までで習う日本語文法のなかには、「目的語」「補語」という概念はない。
 漢文の時間に「目的語」「補語」という言葉を耳にした生徒が思い浮かべるのは、英文法で習ったそれだ。
 だから英語の時間に習った「SVO」「SVC」の知識でOやCをイメージする。
 漢文の時間に、「我書読(我書を読む)」は「主語・述語・目的語」で、「我行学校(我学校に行く)」は「主語・述語・補語」と教えられる。
 すると「英語の時間に習ったCと漢文の時間に習う補語って、なんか違う … 」と、まじめな子は思うんじゃないかな(もちろん全然気にしない、というかあんまり漢文が眼中にない子(泣)も多いけど)。
 ちなみに従来の漢文指導では、「~に」「~と」「~より」と送り仮名をつけて理解する語が「補語」ということになっている。
 英文法風に理解するなら、「我行学校」はS・V+M(修飾語)だ。
 従来の漢文なら「我行学校」は「主語・述語・補語」。
 そして実際の中国語は「我行学校」はSVOで扱う(はず)。
 さて、どうしようと思い悩んだすえ、最近とっている方法は、原則英文法のSVOCを利用する。
 「~に・と・より」をつけて読む語を補語とは教えない。
 大体、日本語で読み下した結果に基づいて漢文の構造を決めることに矛盾がある。文そのものの段階では中国語なのだから。
 英文法を利用し、しかももっと簡略化する。
 「我書読」「我行学校」もともにSVOで理解させてしまう。
 「我為学級委員(我学級委員と為る)」は、英語でも従来の漢文でも同じでSVCだからそう教える。
 「我与彼女鉛筆(我彼女に鉛筆を与ふ)」は、従来の漢文では「主語・述語・補語・目的語」とするが、これは英語的にSVOOの第四文型だと教える。
 使役の文はSVOCの第五文型であつかう。
 こうして漢文でしか用いない文法用語は排除してしまう。
 なんといっても英語は必要にせまられてみんな勉強するし、せっかく学んだSVOの概念をうまく利用したい。
 昔ながらの先生は、そんなのはだめというかもしれないが、大事なのは日本語と異なる論理がそこにあることを感じさせることだ。
 この観点に立つと、「返読文字」というくくりかたの粗さが気になってくる。
 Vも前置詞も助動詞も、全部「返読文字」とおおざっぱにまとめて、覚えましょうと指導するのが一般的な教え方だが、これにはもうたえられないので、「不」や「欲」は助動詞、「以」「為」は前置詞であることを繰り返し教えている。
 予備校の先生方の教え方は、自分の知る限りにおいては従来型が多いが、宮下典男先生はSV型だ。中野先生の「ガッツ漢文」もそうだったかな。書店の漢文コーナーで圧倒的なシェアを占める三羽先生は徹底的に昔型だから、ひょっとしたら、その方が受け入れられやすいのかもしれない。
 でも本校の知性あふれる生徒諸君には、やみくもな句形暗記ではなく、言語構造を理解する観点を漢文をつかって身につけてほしいと思う。

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「也」の用法

2012年11月08日 | 国語のお勉強(漢文)

  「也」は終助詞(中国語では語気助詞という)で断定や強調の意味をそえる働きをする。
 「也」は文末で「なり」、文中で「や」と読むのが基本。語調の関係で訓読しない場合もある。
 「今日はあいつの誕生日なんだよ」と言うときの「よ」とか、「ワイルドだろぉ」の「ぉ」に相当する。
 「だからそのことわぁ、さっき言ったじゃん」の「わぁ」とか、「ほんとに本気なのかよ」の「よ」に相当する。 もし、漢文がいまの日本に入ってきて、今の日本語にあわせた訓読をあみだすとしたら、「よ」とか「ぜ」とか読むことになり、「也」って読み方いっぱいあるよね、という話になるだろう。
 訓読みは複数できるだろうが、もちろん中国の人は「ye」とよむだけだ。
 いろんな読みは日本人が勝手につくりだしているだけで、大事なのはその意味の本質だ。
 文末の「也」を「なり」と読むのか、読まないのか、「や」なのか「か」なのかは、表面的な問題にすぎない。
 「也」のついている一続きの部分を、強く表現したかったという筆者の気持ちを大事にしないといけない。
 これをふまえて、読み方の大原則は次のとおり。

 文末の「也」は「なり」と読み、文中の「也」は「や」と読む。

 文中の場合、「なり」と読んでしまうと後に続かないので、「や」として、その直前の部分が強調されるようにする。
 ただし、疑問文の文末に置かれているときは、これも上からつながりがへんなので、疑問ぽく「や」もしくは「か」と読む。どちらで読むかに決まりごとはない。

  ① ~ 也。「~なり」 ~だ〈断定〉

 ② 何~也。「~や・か」 ~か〈疑問〉or〈反語〉

  ③ ~ 也、 「 ~や、…  」 ~というものは・~よ〈話題の提示〉〈強調〉〈よびかけ〉
  評論文にはこの形が頻出する。「~也」と提示されている一続きの部分が、議論の主題になる。

 ④ ~ 何也。「~は、何ぞや」~は、どういうものか。いったい、どうしてか。
  これも評論文で多く見かける。「何ぞや」ととりあげられる話題は、当然批判の対象となる。

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「此」の用法

2012年09月18日 | 国語のお勉強(漢文)

 「これ」と訓読する文字には、「之」「是」「此」の三つがある。どれも指示語の働きをすることは読み方自体から明らかだが、それぞれニュアンスは異なる。このうち、文意をつかむためにとくに重要な働きをする文字として、「此」に注意しよう。
 「此」は、たんなる指示語ではなく、「強調指示」である。

 「此」 読み方 … これ、こ(ノ)、か(ク)
     意味 … まさにこれ まさしくこのこと こんなこと

 評論文で「此」が用いられたときは、1 それまでの論旨をふまえてまとめに入る 2 主題を確認する  3 長い主語を再提示する、などの場合であると考えるとよい。文章の終わりの方に出てきたら、そこに筆者の主張が書かれている可能性が非常に高い。「此+反語」だったりしたら、てっぱんだ。

 物語型の文でも、「こんな」目にあったとか、「こんな」とんでもない事件が、というニュアンスがこめられていることを意識し、「此」のある部分に事件の中心話題があると思ってみよう。

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「而」の用法

2012年08月26日 | 国語のお勉強(漢文)

 「而」は接続のはたらきをする文字である。
 AさんがV1して、V2するとき、その間に置かれる。
 ただし、単純に順番に行われた二つを動作をつなげる時には、実は用いられない。
 a「我 読レ書 就レ寝(我書を読み、寝に就く)」のように。
 この文を
 b「我 読レ書 而 就レ寝(我書を読みて、寝に就く)」と書くこともある。

 ではaとbでは何が異なるのか。文を書いた人の意識がちがうのだ。
 「本を読んで寝た」と言いたいだけならaでいい。
 「実は本を読んで、それから寝たんだよ」というときにはbのように「而」を置くのだ。
 え? どこちがうの、と思った方はいるだろう。たしかに大きな違いはない。「訳しなさい」という問題の答えはaもbも同じになる。a・bの違いをきちんと説明してある参考書は今のところ見たことがない。
 それくらい微妙なちがいなんだけど、V1して、「そしてその結果」V2したと意識的に述べるときには「而」をおくのだ。
 二つの出来事を意図的に言うときに「ジー」と一呼吸おく。
 ただし、いちいち「しかして」と読むのは訓読としての流れがよくない。
 なのでV1の方の送り仮名に接続助詞「て」をつけて読むことにした。
 昔の人はえらいね。
 結果として「而」そのものは読まないので、いわゆる「置字」という漢文特有の扱いになる。
 でも、読まないからといって大事でないことにはならない。
 「而」がないときは、意識の中ではつながった一つの行為であり、「而」が置かれているときは、二つの行為や出来事を表現していると言っていい。
 有名な論語の一節を思い浮かべれば、なるほど「而」だよなという気もする。
 学 而 時 習レ之。
 (学びて時に之を習ふ…学問をして、そのあとは必ず機会あるごとにそれを復習する)

 「我 書レ信 而 送(我信を書して送る…私は手紙を書いて、そして送った)」というときの手紙は、それを送ろうかどうしようか悩んだあげくに送る告白の手紙。
 「我 書レ信 送(我信を書き送る)」は、一言の添え書きもない年賀状を送るイメージだ。

 「而」の前後に置かれた二つの出来事が、逆接の関係になっている場合もある。
 そういうとき、V1に「て」をつけずに「も」を送り仮名とし、関係をより明らかにすることもある。
 「我 書レ信 而 不レ送」(我信を書するも、送らず…私は手紙を書いたが、送らなかった)」
 ただし、こういう場合「て」のままでもいい。
 「手紙を書いて、それで送らなかった」で、日本語は通じるから。
 なんとなくつながっていさえすれば通じてしまうのが日本語であり、あいまいな部分が残ったままがかえってよかったりもする。
 だから、まとめると「而」は二つの事柄を意図的に表現する際に、その間に置かれる文字ということになる。

1a V 而 V … VしてVす。(而は置字)。

1b V 而 V … VするもVす。(而は置字)。

 「而」の前におかれたVに、必ず「て(も)」をつけて読み下すことが大切だ。
 一つ目の出来事が一続きの文の場合(けっこう長い場合)、「而」の前でいったん文を切る。
 もちろん、原文の古代中国語に句読点はないので、日本の学者が読みやすく切ったのである。
「○○○。而 ~」のとき、「而」は文頭で置き字にするのも不自然だし、こういうときは「而」のニュアンスがより強く感じられることになる。
 なので

2a ○○○。而 ~ … しかシテ・しかうシテ

2b ○○○。而 ~ … しかルニ・しかモ

 と接続語として読み下す。
 あえて文を区切って読んでいる流れなので、bの逆接で読む方が多い。

 3 ○○而已。…のみ。

 3の読みは特殊な読みとして暗記を求められるが、「而」の本質的意味は同じだ。
 「V 而 已」はつまり「Vして已(や)む」なのだ。
 Vをして、そしてそれで「已む(終わった)」ということ。

 寝坊して朝食を食べられず、休み時間に食堂で何か買って食べようと思っていたのに、授業がのびたり、寝てたり、宿題忘れてよびだされたりでいろいろあって昼休みさえ終わり頃になってしまい、食堂に行ったけど手に入たのはカレーのパック一つだった。
 「めしくった?」と問われて答える。
 我 食(二)包 咖 喱(一)而 已。 
 (我包咖喱を食して已む…私はパックのカレーを食べておわった)
 これは、気持ちの上では、すっごくおなかすいてたのに、食べたのはパック一つだけだったということだ。
 なのでこういうとき「~して已(や)む」は「~するのみ(~しただけだ)」と読むことにした。
 昔の人はやはりえらい。
 ちなみに「~而已」は音読みすると「ジー」になる。
 誰かが当て字に書いちゃったんだろう、一文字で。「~耳(ジー)」と。
 だから文末の「~耳」は「~而已」のことで、「~のみ」と読むのだ。

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「之」の用法

2012年06月29日 | 国語のお勉強(漢文)

 「之」の用法

 一字一字の漢字は、つまり「語」は、文のどの位置におかれるかで、働きが決まる。
 この漢字はいつも、名詞とか、この漢字はいつも動詞ということはない。
 同じ漢字でも、SやOの位置に置かれているときは名詞で、Vの位置におかれた時は動詞だ。
 訓読する際も、それに従って読んでいくことになるから、読み方(訓読み)が複数存在することになる。

 「之」の用法は次の三つ。

① S V OのOの位置に置かれた場合。
 V レ 之 … これ(を)

② S VのVの位置に置かれた場合。
 S 之 … ゆ(く)
 S 之二(場所)一 … (場所)にゆ(く)

③ つないでいる時
 N 之 N … の   S 之 V … の

 名詞をつなぐと、「○○の○○」という名詞句ができる。
 「S之V」も、「SがVすること」という意味の名詞句ができる。
 「之」も、「所」「者」と同様に、一続きの言葉を体言化する重要な文字だ。

 「S之V」は「也」をともなって、
  S 之 V 也 … SがVするに際しては(副詞句)
  S 之 V 也 … SがVすることについては(主題提示)
 と用いられる。

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「所」の用法

2012年06月19日 | 国語のお勉強(漢文)

 「所」の用法

 「所」は動詞を体言化(名詞化)する。
 「所レV」の形で、「~する(した)こと」「~する(した)もの」の意味になる。
 現代語で用いる「所得」はもともと「所レ得」(得し所)、つまり「手に入れたもの」である。「所見」「所与」なども同様だ。その結果、英語の動名詞のように、主語・目的語・補語の位置におくことができる。

  所レV … Vの体言化  (例)所見 所得 所与

 実際の例文では、

 S 所レV   (SのVする所)SがVしたこと
 S 所レV 者 (SのVする者)SがVしたこと
 S 所レV N (SのVするN)SがVしたN(名詞)

という形で用いられる。
 「所」によって体言化した一続きの言葉がOの位置に置かれるので、「所」は関係代名詞と言ってもよい。

 真 希 好二彼 所レ作 餃 子一。(真希は彼の作る所の餃子を好む) … 真希は彼の作った餃子が好きだ。

 「真希」がS、「好」がV「彼所作餃子」がOである。

 Vに「為」がおかれたときは第二文型の構造になる。

 真 希 為二彼 所一レ好。(真希彼の好む所と為る)

 「真希は彼が好むものになった」と直訳できるが、日本語としてこなれた言い方にするなら「真希は彼に好かれた」となる。つまり、「~する所と為る」は受身文として訳せばよい。

 S 為二A 所一レV。(S AのVする所と為る。)SはAにVされる【受身】

 「S 所レ謂 N」(SのVする所のN)という形で、Sが漠然とした存在を表す場合、Sは省略される。

  (S)所レ謂 N →  謂ふ所のN → 「いはゆる」N  
       所謂(いわゆる)~ … 世間一般に言われている~

 「S 所 以 V」は、本来「Sの以てVする所」と読む。
 「以V」の部分は「以レ之 V」の「之」が省略された形。
 よって「Sの以てVする所」は、「Sが~によってVしたこと」というニュアンスになるので、「所以」をひとまとめにして「ゆゑん(理由)」と読む習慣ができた。

  S 所二以 V一(SのVする所以)SがVした理由・原因。

 指 原 移二籍 博 多一。彼 所二以 泣一。(指原、博多に移籍す。彼の泣く所以なり)

 「彼の泣く所以なり」は、「彼が泣いた理由である」と訳せれば大丈夫だが、「だから彼は泣いたのだ」と訳すこともでき、国立二次ならこっちの方が高得点をもらえるかもしれない

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漢文の勉強会

2011年12月11日 | 国語のお勉強(漢文)

 駿台教員研修で漢文のお勉強。部活のない日は決まってお勉強にでかける私のなんと謙虚なことか。
 論説文の構造を中心にお話を聞いた。
 教科書教材を中心に勉強していくと、逸話、史話、漢詩といった漢文の比率が大きくなる。
 しかし入試では評論の出題頻度が極めて高いので、それを想定しながら学習計画を立てた方がいいのではないかとのお話に深く頷く。
 今の流れだと、現3年生が卒業した後にふたたび新1年生を担当させてもらえる可能性は高いから、早いうちに3年分のカリキュラムをつくってしまおうと思った。

 評論・論説を読解するには、対句、対偶構造といった対比的表現に気をつけるべきだとのお話は、自分も常に話していることでもあるし、現代文の評論と同じだと聞き、よかった自分も間違ってなかったと思う。
 では漢詩・漢文に対比表現が多様されるのはなぜか。
 それは、二つで一組になっているもの、対の存在への美的感覚、それをおめでたいとする感覚が、われわれ日本人が想像する以上に強いからだろうという。
 なんでも、北京で最初にケンタッキーができたとき、カーネルおじさんが左右両側に置かれたという話にはさもありなんと笑った。 
 「カーおじさん」と「ネルおじさん」のセットさえ作りかねないなあと思って。
 うん、このネタはすぐにどこかで使わせてもらおう。
 対比を見落とさないために、「反対の意味の漢字で構成される熟語に注意!」は大事だ。
 たとえば「進退」とでてきたらそこでストップ。
 「進」とはなんとかである、それに対して「退」とはこういうことである、とその先の論が進んでいくかもしれないと予想しながら読み進める必要がある。
 いかにも対句ですよ的な部分だけでなく、こういう二字の熟語とか、ちょっとした表現にも対を意識しないといけない。われわれが想像する以上に対を大事にして思考する民族だから。

 ちなみに同じ意味を重ねる熟語はなぜあるのか。
 これは漢字(語)の意味を確定させるためだ。
 あんなにたくさん漢字はあるけど、複数の意味をもつものも多い。
 たとえば「平」と一文字書いただけでは、「おだやか」なのか「かたよらない」のかわからない時もあるので、「平安」とか「平均」といった二字で表す。

 研修会後にジュンク堂付近をふらつくと、大勝軒(南池袋店)の前に「冬期限定味噌ラーメン(850円)」の札。
 えっ? 大勝軒が味噌ラーメンだなんて。昼を食べてなかったのでこれ幸いといただいた。
 もやしたっぷりのビジュアルもよかったし、スープは絶品だ。できれば麺も味噌用に少しちぢれてるのに換えてもらえたらなおいいけど、満足できた。

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