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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

よこはまたそがれ

2011年08月20日 | 国語のお勉強(漢文)

 漢文の講習4日目。今日はいっちょ漢詩をやってみようと意気込んで教室に入ると、参加人数が減っていた。
 がっかり。
 でも内容はばっちり。
 入試に出る漢詩は律詩が圧倒的に多い。さすがに四句しかない絶句では20点、30点の問題を作るのは大変なのでしょう。全部で8句あるけど、2句ずつの「聯」を単位として意味をとっていこう。限られた言葉で言いたいことを表そうとするので、普通の漢文よりも簡潔に書かれています。イメージとしては単語の羅列です … と説明しようとして、そうだ「よこはまたそがれ」だと思いついた。
 日本の歌謡史に燦然と輝く五木ひろしの名曲「よこはまたそがれ」は、もちろん今日の受講者15名、誰も知らなかった。しょうがないので、歌詞を黒板に書いてひととおり歌う。

 ♪ よこはま たそがれ ホテルの小部屋
   くちづけ 残り香 煙草のけむり
   ブルース 口笛 女の涙
   あの人は 行って行ってしまった
   あの人は 行って行ってしまった
   もう帰らない

 単語の羅列だけど、情景が浮かんできませんか。
 そして最後の最後に気持ちを歌う。
 漢詩も基本構造は同じで、第一聯(1・2句)から第3聯までは、情景描写。
 そして第4聯つまり尾聯(7・8句)で一気に自分の心情を述べる。
 前半の叙景と最後の叙情の部分を重ね合わせて、全体の意味を読み取っていけばいいのです。
 絶句は、律詩の後半4句分だと思えばいいですね。
 最高の説明と思ったのだが、伝わったかな。漢詩にしてみょうか。
  
  横 浜 黄 昏 宿 舎 房
  接 吻 残 香 煙 草 烟
  哀 歌 口 笛 女 之 涙
  彼 人 已 去 不 復 還

 お、なんか、それっぽいが韻は踏めなかった。

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「如」の用法

2010年01月08日 | 国語のお勉強(漢文)
 「如」には、「ごとし」「しく」「もし」などいろいろな読み方があり、つまりいろいろな意味があるとされるが、根本の意味は一つである(と断言しようとし、念のため『字統』も繙いて確認した)。
 「~にしたがう」、「~にみちびかれる」という原義から「~のようだ」となった語だ。
 英語の第二文型「S・V・C」の「V」と考えればいいと思う。

 「不動・如・山」(動かざること山のごとし)は、「不動」=「山」になる。

 「~に如かず」の「不如」は、この否定文。
 「百聞・不如・一見」は「百聞」と「一見」は「=ではない」ということを表している。
 イコールではなく一見の方がいいよね、という気持ちなので、「如(し)かず」と訓読したもので、本質はSVCのVだ。

 「如(も)し~」も実は同じだ。
 たとえば、「不入虎穴、不得虎子(虎穴に入らずんば、虎子を得ず)」という複文は、前後の関係から「~ならば」とつなげて解釈する。
 条件→結論の構造である。
 英語の「no~、no~」と同じで、「no music no life」を「音楽がなければ人生はない」と訳すようなもの。
 「音楽のない人生なんて考えられない」くらいには訳したいけど。
 文頭に「如」がある場合、省略されているAがBと同じである「ならば」、結果としてこう言えるとつながっていく文なので、「如(も)し~ば、」とよんでいくことにしたのだ。

 昔の人はえらいので、いかに訓読すれば伝わりやすいかをひたすら考えてくだすった。
 その結果ひとつの文字に複数の訓読みができることにもなった。
 それを、「なんで読み方がいくつもあるんだよ、おぼえられねえよ」と文句を言うのはあまりに頭が悪すぎる。
 本質は何だろう、それはどういうこと? という頭の使い方をしてみるのが大事ではないかな。
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漢文の読み方

2009年12月31日 | 国語のお勉強(漢文)
 余裕をもって漢文を読むためには、文章はなぜ書かれるのかという根本を確認しておくといい。
 もちろん句法や重要単語のマスターは前提として。
 受身やら反語やらの説明はどの本にも書いてあるけど、漢文とは何が書かれた文章なのかという根本をきちんと説明してくれているのは、代ゼミの宮下先生ぐらいしか寡聞にして知らない。
 漢文の評論では「政治、文学、知識人としての生き方」がその内容のほとんどを占める。
 考えてみればあたりまえで、漢文を書いているのは古代中国の知識人であり、厳しい科挙の試験に合格した特殊な人々である。
 ものを書くこと自体が特別な行為だから、「なんとかいう女優がいい」とか不毛なことは書かない。
 筆記具だってまじ貴重品だ。
 「昨日、どこそこのラーメン屋に入ったら予想以上においしかった」という文章を書くはずがない。
 しかし「どこそのラーメンはおいしかった。思わず作り方を聞いたら、ごくあたりまえのやり方だった。」とは書くかもしれない。
 そして「ああ、あたりまえのことをあたりまえにするということを今の人々は忘れている」とか「思うに、今の為政者には、この姿勢がかけているのではないか」と述べる。
 パターンは決まっているのだ。
 文章はなぜ書かれるのか。
 何らかのことがらを言いたい、伝えたい、主張したいからだ。
 「どこそこのラーメンはおいしい」とは、「どこそこのラーメンがおししいことに気づいてほしい」「なぜ気づかないのだ」「気づく自分はえらいだろう」の意味だ。
 結果として、なんらかのことがらを「批判」することになる。
 学問とは批判であると、宇佐美寛先生もおっしゃっている。
 現代文の評論と同じだ。
 漢文でありがたいのは、さあここから言いたいことだよと示してくれる言葉がある。
 「嗚呼(ああ)」とか「夫(そ)れ」とか「今」とか「之に由りて此を見れば」とか。
 前半が具体例、体験談、たとえ話であり、最後に「今、○○というものは…」と本題に入っていく。
 なるほど今の政治を批判しているのか、なるほど今の知識人の生き方を批判しているのね、と理解すればいい。
 書かれた文章そのものの「文脈」を意識できると、再度その文章の部分にもどったとき、わかってしまうことがある。
 これも現代文とまったく同じだ。

 あと句法を学ぶ際には、極力言語の文法を意識して読むべきだ。
 たとえば使役の構文は「~をして~せしむ」と形を丸暗記するのは大事だが、文法的に構造をとらえたとき、英語の使役の構文とまったく同じ構造であることに気づくはず。
 この「所」は関係代名詞「What」と同じだな、なんて気づけると、すうっと読めてくる。

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「以」の用法

2009年12月19日 | 国語のお勉強(漢文)
 頻出の文字だが、意外と整理されないままになっている文字。
 3年生は確認してください。
 昨日預かった3年の添削問題を見たら、ほりうち君はじめあまり訳せてなかったようなので。

1 「以」は前置詞。
  「与~(=with)」「為~(=for)」と仲間。
2 漢文では、前置詞句はVの前に置かれる(「於」は例外)。
   与彩登山。 … 彩「と」山に登る。
   為恵梨香作餃子。 … 恵梨香の「為に」餃子を作る。
3 「以」はbyのイメージ。
   以参考書学漢文。 … 参考書を「以て」漢文を学ぶ。
4 「~を以てVす」が基本形だが、評論文では倒置法が頻出する。
   学漢文以参考書。 … 漢文を学ぶに参考書を以てす。
   こっちの方が英語的でわかりやすいかもしれない。
5 訳し方は倒置の場合も同じで「~で~する」。
6 「以之V」の「之」が省略され「以V」となっている時(返り点がつかない場合)は、訳さなくてもいい。

 まとめると、
 「~を以てVす」「Vするに~を以てす」はともに、
 「~を・~で・~によって … する」と訳す。
 返り点のない「以」は訳さなくていい。どうしても訳したかったら「そして」かな。

 

  
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況んや松井をや

2009年12月09日 | 国語のお勉強(漢文)
 試験前、ある生徒さんのノートがすごくきれいにまとめられていて、きれいにまとめてあるなあと感嘆の声をもらしたものの、一番書いてほしいことが書かれてなくて、ただちに全員に確認し、書いてもらった。
 漢文「隗より始めよ」での話だ。
 「況んや~をや」の解説をした。
 「Aすら且つ~、況やBをや」という、専門用語で「抑揚形」と言われる表現だ。
 黒板に当然この句法をまず書く。
 そして例文をあげて読めますかと問うた。
 ここで写させて、自分で訓点をつけてみなさいとするべきだった。
 「新庄且活躍、況松井乎」という例文を使った。
 これこそ、ノートしないといけないのだ。
 教科書にも参考書にも書いてないことなのだから。
 公式だけ写せばいいのなら、プリントして配った方が早い。
 大事なのは具体例だ。
 
 ちなみに今使っている問題集には、
「Aすら且つB、況んやCをや」と説明されている。
 すぐれた格闘家は、すっと対峙した瞬間に相手の技量を見抜く。
 ステージに入場してきた雰囲気でバンドの力量がわかるのと同じで。
 このページをみたとき、問題集を作っている方のおおよその技量が垣間見えた。
 次元をそろえて、または意図的にかえて、言葉をつかえるかどうかが、説明の基礎である。
 AとBとが△で、aとbとは□なんだよ、って整理してあげることを説明とよぶ。
 抑揚形は、AもBもx(エックス)なんだけど、Bの方がよりxだよね、と言わねばならない。
 代ゼミの宮下先生は「Aすら且つ~、況んやA’をや」と言うくらいだ。
 これだと差が少なすぎる気がして、A、Bを使っているが、その後にCはもってこれない。 
 「新庄すら且つ野茂、況や松井をや」になってしまうから(なんとなく通じそうだけど)。
 
 わかっているかどうかは、どれだけ具体化できるかだ。
 これはわが師、宇佐美寛先生にお教えいただいた。

 楽譜も、いかに具体化していけるかなのだろう。
 目の前にある音符の羅列はかなり抽象度が高い。
 数学に近い。
 音符を読み、フレーズを理解し、表現記号の意味をつかみ、自分でビジュアル化しという基礎作業をまずやる。
 うちの部は、ここでまずつまづく。
 さらに、そこから具体的な映像が浮かび上がるくらいになったなら、音楽が生まれてくる。
 
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