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酒類】 ウィスキー強国、日本~どうして日本のウィスキーは強いのか

2008-05-20 22:51:44 | Weblog
日本のウィスキー2銘柄がイギリスで開かれた世界ウィスキー品評会で最優秀賞を受けた。世界ウィ
スキー品評会は2007年製造されたウィスキーを審査する大会で、公式名称は'World Whisky Award'だ。

賞を受けた日本のウィスキーはシングルモルト部門のニッカ「余市(ヨイチ)1987」とブレンデッド部門
のサントリー「響(ヒビキ)30年」だ。サントリーは日本ウィスキー業界のトップでニッカはその後を
追うライバルだ。

日本のウィスキーの先駆者は竹鶴政孝と鳥井信治郎だ。竹鶴は1919年、日本人で初めてイギリスにウ
ィスキー留学した。日本の清酒を作る家に生まれ、東洋人だと冷遇を受けながらも、ウィスキー
製法を学んで、イギリス女性と結婚までし、日本に帰って来た彼の個人史はそのまま日本ウィスキー
の創始期の歴史になった。

鳥居はサントリーの創業者だ。竹鶴はサントリーでウィスキーを製造中の1934年に独立してウィスキ
ー会社を設立した。今はアサヒに取りこまれたが、それがすなわちニッカだ。今回、賞を受けたニッ
カの「余市1987」にも竹鶴の精神が認められる。竹鶴はスコットランドのウィスキー工場をそのまま
再現するために、日本の北端である北海道にウィスキー工場を建てた。海が近く美しい山に囲まれた
質のよい地下水が出る場所だ。竹鶴はここで1919年にスコットランドで見たやり方通り、ウィスキー
を蒸溜し始めた。その伝統は今につながっている。例えばニッカではスコットランドでもほとんど見
られない、石炭燃料を使った伝統的な蒸溜方法をとっている。ニッカウィスキーはスコットランドの
ウィスキーよりもっと伝統的なやり方に固執して、今日の成功をもたらしたのだ。

韓国は1980年代初め、国家の輸入代替品目としてウィスキー製造を三つの醸造会社ジンロ、斗山、白
花に指示したことがあった。斗山と白花が合併して2ケ所に狭められたが、独自のウィスキー完製品を
作り出すことができなかった。88オリンピックを経て1990年代初盤、酒類の全面開放が行われて、国
産ウィスキーの独自の歩みは終末を告げた。

現在、大陸間、国家間でワイン戦争が行われ、ウィスキー戦争も火が付いている。ところが、韓国は
100余年前の日清戦争の時のように、50余年前の南北戦争の時のように、ワイン強大国とウィスキー強
大国に領土を渡したまま、爆弾酒をやりとりする代理戦を行っているだけだ。

ソース:(韓国語)[Why]日本ウィスキーはどうして強いか
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/05/16/2008051600921.html

ウイスキー強国なんて表現を初めて聞いたと思ったらソースは韓国だったか・・・。上等なものを作っているのだろうが、周囲は焼酎ばっかだぜ最近。ビールも発泡酒だし・・・。