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】「外国出身力士の上位独占に違和感、愛着もわかず」 横審委員長・石橋義夫氏

2006-05-05 09:08:26 | Weblog
外国出身力士の大関昇進が続いている。夏場所は25歳で充実期を迎えた朝青龍を頂点に、
史上最多13人が幕内にひしめき、外国人隆盛だ。その競技者としての実力は高く評価したい。
ハングリー精神や、日本文化に溶け込もうとするひたむきさも素晴らしいと思う。

しかし、結びが近づくにつれ、対戦が外国出身力士で占められるのは、相撲を「国技」とする日本人としては寂しい。
その数は、もう現状が限度だろう。外国出身力士が番付上位を独占する姿を愉快には見られず、愛着もわかなくなる。

わが国では、相撲は千年の昔から外国の伝統文化と交わることもなく、
神事としての伝統と、競技としてのルールや制度を確立した。
だからあくまで日本人が役の中心にいないと違和感を感じてしまう。
空前の人気を呼んだ「曙対若乃花・貴乃花」は最もいい例だ。
曙(米国出身)は、「若・貴」の引き立て役だったからこそ、大相撲があれだけ盛り上がった。
朝青龍独走では、人気回復は厳しい。ここ数場所は栃東に綱取りの可能性があるから、客足が戻ったのではないか。

大相撲は単なるスポーツではない。そもそも五穀豊穣(ほうじょう)を願う祭事であり、
それは初日前日の「土俵祭」に象徴される。立行司が祭主となり、土俵上で祝詞を読み上げ、
土俵に献酒をし、収穫物としての米やコンブなどの鎮め物を埋めて無事を祈願する。
本場所では、力士が四股(しこ)で土の中の邪気を追い払い、塩をまいて清める所作が神聖なのだ。
勝った負けただけを執り行うのであれば国技としての存在価値はない。

相撲道は勝ち負けだけではない、社会常識やしきたりも師匠を中心とした部屋で教え込む。
師匠は父、弟子は子供である。子は親を敬い、親は子に社会で一生生活できるだけの所作を身に着けさせる。
朝青龍の所作が、いまだに何かと問題になるが、「品格」が最も問われている。
「品格」には社会的な模範の役割も求められる。親方から、きちっと指導されているのか疑問を抱かせるから、騒ぎになるのだ。

日本人横綱誕生が急がれる。外国出身者に勝る先導者がひとり出れば、後が続く。
なぜなら、日本人横綱は、日本人の強さを象徴する手本になるからだ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/battle/archive/news/2006/05/04/20060504ddm003070036000c.html


人気、実力、いずれもいまや外国人抜きに語れない大相撲を、いまさら神事だ風格だ言っても始まらない気が・・・。当然、しきたりであり、文化である部分は固守しなければならないだろうが、実態におうじて変革も必要でないの?