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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

ニコニコカメラ

2011-05-21 00:20:31 | 自閉症

自閉症児である我が娘は、他人と視線を合わせることが苦手でした。

名前を呼ばれた時に呼んだそのヒトを見る、ということができなかったんです。これは「聞こえているくせにワザと無視する」という陰湿な行動ではなく、自閉症児の悲しい特徴なんです。

カメラを向けても同様で、ハーイこっち見てーこっちこっちー、などと明るい声を出して誘っても無駄。注目したことなどありませんでした。ですから幼い頃の娘の写真は偶然の産物以外、すべてそっぽを向いたものばかりです。

行動療法を行うようになって、ようやく他人と視線を交わすことができるようになりました。おかげで3歳以降の写真にはカメラに眼を向けたものが多くなります。ただ、そのほとんどが表情に乏しく、特に笑顔が極端に少ないです。

で、パパ・カメラマンとしては笑顔をカメラに収めたくなります。何とかして娘の笑顔を引き出そうと躍起になる。

カメラを構えた私をボーっと見ている娘の顔に少しでも変化があると慌てて、おお!いいねいいねっカワイイよ!などと褒めながらシャッターを切る。でも撮れた写真を見ると娘は笑顔を作っているわけではなく、単に顔をゆがめただけだったりするんです。それでも父親が褒めるものだから「これでいいのだ」と思い込んだ娘は、カメラを向けると積極的に顔をゆがめて褒めてもらおうとするようになってしまいました。歯をむき出して、しかし眼は笑っておらず眉間にシワ。眼には敵意が感じられないので「怒っているわけではない」というのはわかるんですが、やっぱりこの表情は不自然です。記念撮影しても、他のみんなの笑顔の中で独りだけしかめっ面の娘。

んもー、ちがうんだけどなー。ま、しょうがないか・・・。

幸いにも13歳頃から笑顔の割合が増えてきました。こちらが何を求めているのか、だんだんとわかるようになってきたみたいです。最近の撮影時には可愛いスマイルを見せてくれるようになりました(相変わらずの親バカですが)。

もちろんそれで良いんだけど、しかし昔のしかめっ面もけっこう楽しかったよな、と時々懐かしく思い出すパパ・カメラ。

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マーキュリー・ライジング

2011-04-08 02:51:01 | 自閉症

知的障害者(自閉症)の役が登場する映画にはやはり興味があり、割と積極的に見ています。

現在までに見た映画で特に強く共感できたものは「マーキュリー・ライジング」。

ブルース・ウィリスが主演する1998年に作られたサスペンス映画で、自閉症児(少年)がストーリーの要(かなめ)になっています。

 マーキュリー・ライジング

注目すべきは映画の冒頭シーン。

主人公の少年が、勤めから帰宅する父親を夜遅くまで寝ずに待っています。

落ち着いた照明の子供部屋。すでにパジャマに着替えた少年は、独り静かにジグソー・パズルに取り組んでいます。

 

少年は父が恋しくてその帰宅を待っているわけではありません。父に抱かれて眠ることが習慣となっているため、今夜もその就寝パターンに固執しているだけなのです(そのパターンでなければ眠りにつくことが出来ないのですから、固執、というのは適当な言葉ではないかもしれません)。

父親の腕の中でしか安眠しないとは、親からすれば、はっきり言って不便でメンドクサイ子です。

ですが、自閉症児の親はそんな我が子を疎ましく思ったりしません。普段あまり濃密なコミュニケーションを交わせない相手が自分を必要としているんですから、父親としてはかなり嬉しいシチュエーションではないかと、私は想像します。

 

劇中、ようやく帰宅した父親は、案の定、負担を感じさせることなく、むしろ使命感に嬉々とした様子で真っ直ぐに子供部屋に向かいます。早速横抱きにした息子にやさしく低い声で子守唄など歌いかけ、すでにいつもの就寝時間を過ぎていた少年は安心して眠りに就くのでした。

我が子の自閉症という障害を受け入れて静かに生活を営む家族の姿がよく描けており、感心するほどリアルな演出でありました。

 

この後、幸せな親子の平和な夜はハリウッドお得意のスリルとバイオレンスによって無残にも破壊され、ブルース・ウィリスが登場して更に派手なアクションを見せるという、お馴染みの展開になります。

というわけで、その後の解説は無し。

 

 

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逆さバイバイ

2011-03-27 16:37:46 | 自閉症

主に「さよなら」を意味する「バイバイ」は相手に向けた手のひらを左右に振るジェスチャーです。

自閉症児の多くはちょっと変わった「バイバイ」をするそうです。

バイバイと手を振る相手の手のひらが自分に向けられているのを真似して、自分の手のひらも自分に向けて、即ち相手には手の甲を向けて、手を振るんだそうです。

「逆さバイバイ」と呼ばれる行動で、ある自閉症者サポート組織のキャラクターにもなっています。

 

我が愛娘も自閉症者。やはりちょっと変わったバイバイをします。

彼女の場合は手のひらを相手に向けてくれますが、手は振らず、なぜか人差し指だけを数回、付け根からピコピコと折り曲げるんです。

とても横着な別れの挨拶ではありますが、ま、いいや。

手のひらを相手に向けてやってるので、とりあえずはバイバイっぽいし。

 

先日、ふざけて娘に「ガチョーン!」をして見せました。ご存知、故・谷啓の一発ギャグです。

そしたら娘も真似をしてくれましたが、・・・自分に向けてやってました。逆さガチョン。

バイバイは理解できても、ガチョンはちょっと難しい。

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You're still Sweet Sixteen

2011-02-13 17:39:04 | 自閉症
最近の日本では小学生でもダイエット(痩身の意味の)を意識しているそうですが、我が家の愛娘・16歳は「食べる量に気をつけてスリムな体形を保とう」なんて絶対考えません。
オシャレ心が皆無ですし、それに食べることが大好きなんです。
毎朝起こす時なんかすごく簡単です。たったひと言「ゴハンだよ」と言うだけでスイッチが入ってガバ!と飛び起き、食卓にダッシュ。
その食欲があまりにアカラサマで、思わず笑ってしまいます。

何でも食べる元気な子ですが、特に芋類が好きなイモ姉ちゃんです。で、消化が進むと当然ながら放屁します。ところかまわぬブー姉ちゃん。
自宅での放屁は別に問題はないのですが、外出時、特に周りに他人がいるときにやられると、ちょっと慌ててしまう。本人はニコニコ顔ですが、一緒にいる私は周囲に対して作り笑顔で取り繕ったりなんかして。
で、両親が咎めないので、他人がいるところでも「放屁してもいいのだ」と理解してしまっている娘。だから屁こき放題。
だからと言って「他人がいるところではオナラしちゃ駄目だよ」などという教育を試みると、「他人がいるところでは」という条件部分を理解しきれずに一途にオナラを出さずに我慢する方向に行ってしまうと思われ、そうなると健康面で問題が生じるので、止めません。

どうせコクなら笑ってコケ! 
そうすりゃ周りも笑って許してくれるかも知れない。

と、我々両親は開き直っています。
たまに自分でコイた屁も娘のせいにしてないかって?
いや、それはないっスよ、さすがに。落語じゃないんですから。
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You're My Sweet Sixteen

2011-02-10 00:28:21 | 自閉症
我が愛娘はお年頃。16歳の女の子です。
普通でしたらオシャレにも気を使い、どんどんきれいになってゆく頃でありましょう。
しかし我が家の16歳は自分を良く見せよう、なんて気持ちはほとんどありません。思うがままに生きる「巨大幼児」。

オシャレする気持ちがないので、お気に入りの服もありません。毎日、親が選んだ服を文句一つ言わずに身に付けてくれます。
で、基本的にパンツ・ルックばかりです。
スカート姿が見てみたくて着させたこともありましたが、全然似合わない。やはりスカート着用には必要な姿勢というか、それなりの着こなし方というか、そういうものがあるのだと思います。それはつまり、どうすればその服が似合って見えるかという工夫であり、女らしさを培う一種の訓練でもありましょう。
そういう訓練をしていないウチの娘は、スカート着用時にも男らしく(?)外股でズンガズンガと歩く。
こやつにスカートなんて金輪際、絶対に、似合わない。ちぇっ。

「ヒトは女に生まれるのではない。女になるのだ」と言ったのはボーヴォワールですが、なるほど、と実感している父親であります(ちょっと意味が違うかもしれないけど)。
コメント (2)
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