Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

メディアは日本を戦争に導いた

2013-11-19 10:41:08 | 日記

<そして、メディアは日本を戦争に導いた>田中龍作ジャーナル  2013年11月18日

 「背筋が寒くなると同時にマスコミに怒り」。歴史に詳しい2人の作家(半藤一利、保阪正康両氏)が対談した『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社刊)を読み進めるうちに、こうした思いがこみ上げてきた。

 同著は半藤氏が自民党の改憲草案に愕然とするところから始まる―
 表現の自由を定めた憲法21条の1項は原行憲法と何ら変わりない。だが「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする第2項が新設されている。
 半藤氏はこれを報じた新聞をビリビリと引き裂いてしまった、という。その怒りを次のように説明する―

 「公益」「公の秩序」とはいくらでも広げて解釈が可能である。要するに「権力者」の利益と同義であり、それに反するものは「認められない」。すなわち罰せられる、弾圧されることは明らかだ。昭和史が証明している。
 改元から昭和20年8月15日までの昭和史において、言論と出版の自由がいかにして奪われてきたことか。それを知れば、権力を掌握するものがその権力を安泰にし強固にするために拡大解釈がいくらでも可能な条項を織り込んだ法を作り、それによって民草からさまざまな自由を奪ってきたことがイヤというほどよくわかる。権力者はいつの時代にも同じ手口を使うものなのである。

 改憲草案の9条2項は「国防軍創設」を明言し、集団的自衛権の行使を可能にする。不戦の誓いである憲法9条を戦争ができる条文に変えているのが、改憲草案の真髄だ。安倍政権の真骨頂でもある。

 11日、TVキャスターたちが「秘密保護法反対」の記者会見を開いた。筆者が「遅きに失したのではないか?」と質問すると、岸井成格氏(TBSに出演/毎日新聞特別編集委員)は「こんな法案がまさか通るとは思っていなかった」と説明した。
 ベテラン政治記者の岸井氏が、自民党の改憲草案を読んでいないはずはない。安倍晋三首相のタカ派的性格を知らぬはずはない。

半藤氏と保阪氏はメディアの戦争責任を厳しく追及する。軍部の検閲で筆を曲げられたと捉えられているが、そうではない。新聞は売上部数を伸ばすために戦争に協力したのである。
 日露戦争(1904年~)の際、「戦争反対」の新聞は部数をドンドン減らしたが、「戦争賛成」の新聞は部数をガンガン伸ばした。日露戦争開戦前と終戦後を比較すると次のようになる―
『大阪朝日新聞』11万部 → 30万部、
『東京朝日新聞』7万3,000部 → 20万部、
『大阪毎日新聞』9万2,000部 → 27万部、
『報知新聞』  8万3,000部 → 30万部
『都新聞』   4万5,000部 → 9万5,000部
 いずれも2倍、3倍の伸びだ。半藤氏は「ジャーナリズムは日露戦争で、戦争が売り上げを伸ばすことを学んだ」「“戦争は商売になる”と新聞が学んだことをしっかりと覚えておかねばならない」と指摘している。

 半藤氏はとりわけ朝日新聞に厳しい。満州事変が起きた昭和6年当時に触れ「朝日新聞は70年社史で“新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた”とお書きになっているが、違いますね。商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ」と。
 『大阪朝日』は満州事変直後までは反戦で頑張っていたが、不買運動の前に白旗をあげた。役員会議で編集局長が「軍部を絶対批判せず、極力これを支持すべきこと」と発言した。発言は憲兵調書に残っている。会社の誰かが憲兵に会議の内容を渡した、ということだ。

 「民主主義のために新聞・テレビが戦っている」などと ゆめゆめ 思ってはいけない。ブッシュ政権のイラク侵攻(2001年)を小泉首相が支持すると、日本のマスコミはこぞって戦争賛成に回った。

 国民に消費税増税を押し付けながら、自らには軽減税率の適用を求める。これがマスコミの実態だ。彼らは部数を伸ばし視聴率を上げるためなら、国民を戦争に導くことも厭わない。

(以上引用)


<参考1>

<改めて言う!特定秘密保護法案をめぐる「危ない空気」とは?> 田原総一郎ブログ 2013年11月18日

11月11日、僕は鳥越俊太郎さん、岸井成格さん、田勢康弘さんら、テレビキャスターの仲間たちと記者会見を開いた。特定秘密保護法案への反対を表明したのだ。10月25日号のメルマガでも特定秘密保護法案について一度書いたのだが、改めてその危険性を訴えたい。
正直、僕はこんなアブナい法案は、通らないのではないかと思っていた。ところが野党の反対もほとんどない。このままいけば、可決することになってしまうだろう。だが、僕が何より怖いと思っていることがある。重苦しい空気が、日本中に蔓延し始めているということだ。
今回、記者会見を開くに当たり、僕たちは多くのジャーナリストに声をかけた。ところが、10人以上から、「まったく同意見だし、加わりたいのだが、自分の名前を出すことは勘弁してくれ」という返事がきたのだ。
誰もが自由に発言し議論を戦わせ、そのうえで物事を決めていく。これが民主主義の根幹であろう。ところが、特定秘密保護法案への反対表明が、怖くてできないというメディアの人間が、僕の周りだけでも、これだけいるのだ
実は僕たちは、2002年にもいわゆる「メディア規制三法」への反対声明を出している。やはり仲間たちに声をかけた。そのときは、名前を出せないと言う者はいなかった。ところが、今回はまったく雰囲気が違うのだ。いったい、この「空気」は何なのか。
もうひとつ、怖ろしいと感じることがある。僕たちの記者会見を、毎日新聞、東京新聞、そして朝日新聞が記事にしている。だが、読売新聞、日経新聞、産経新聞は報じていないのだ。
それぞれの新聞が、どういう立場をとるかは自由だ。そもそもメディアが中立的立場をとるのは無理だ、と僕は思っている。だが、どのような立場にせよ、メディアを名乗るならば、賛成と反対双方を取材して、十分に議論を戦わせるという姿勢が、最低限必要なのではないか。原発の問題にも言えることだが、反対の意見をまったく報じようとしない。
このようなメディアの姿勢が、重苦しい空気を生み出し、日本中に蔓延させているのだと僕は思う。特定秘密保護法案が通れば、この重苦しさが、さらに増すのは間違いないだろう。
この法案の問題点は、以前にも述べた。まず対象となる「防衛」「外交」「スパイ活動」「テロ」の4分野が、きわめてあいまいなことだ。そして、秘密指定の期間の30年も、その時点での内閣が承認すれば、自動延長できるというのも問題だ。永久に「特定秘密」とされる可能性もあるのだ。
だが何よりも問題なのは、「特定秘密」の妥当性を誰もチェックできないということだ。「特定秘密」を指定するのは行政機関だが、その判断をチェックする機能を持つ組織がない。アメリカにも同様の法律がある。最高刑も死刑と重い。一方、秘密の指定についてのチェック機関として、独立した委員会が2つ存在している。当然、日本もチェック機能を持つ組織を作るべきなのだ。
特定秘密保護法案には、いくつも危うい問題点がある。だが、これを指摘する報道はなかなか見られない。恣意的なのか、忘れられたのかわからない。なぜこのような大事な点が抜け落ちた法案になってしまったのか。今こそ徹底した議論が必要だ。声を大にして訴えなければならないと僕は思っている。


<<参考2>

<遅きに失した TVキャスターたちの「秘密保護法反対」> 田中龍作ジャーナル 2013年11月11日

お茶の間でもおなじみのTVキャスターたちが「特定秘密保護法案」に反対する記者会見をきょう都内で開いた。B層に世論形成力を持つTVキャスターたちだが、今となっては遅すぎではないだろうか。
 記者会見を開いたのは鳥越俊太郎(テレビ朝日系に出演)、田勢康弘(テレビ東京系に出演)、金平茂紀(TBS)、田原総一朗(テレビ朝日系)、岸井成格(TBS系に出演)、川村晃司(テレビ朝日)、大谷昭宏(テレビ朝日系に出演)、青木理(テレビ朝日系に出演)の8氏。これに2氏を加えた10氏が「秘密保護法案反対」を呼びかけた。
 呼びかけ人に加わりたいのだが、局の事情で加わることができないキャスターも相当数いるそうだ。
 記者会見には、日本テレビ(系出演者を含む)、フジテレビ(系出演者を含む)、NHKのキャスターは顔を見せなかった。「なるほど」の不参加だ。
 テレビがバッシングする山本太郎議員は9月頃から「秘密保護法」の危険性を訴えて全国行脚していた。時代に敏感であらねばならないTVキャスターたちが同法に「反対」の声をあげたのは山本議員に遅れること2ヵ月だ。それも審議入りしてから。何とも締まらない話だ。フンドシのヒモが締まらないのは笑って済まされるが、秘密保護法への対応の遅れはシャレにもならない。
 「テレビ局がこの期に及んで」の反発もある。新聞社、テレビ局の幹部はこぞって安倍晋三首相と会食している。国民の多くは「マスコミと安倍政権が何か取引をしているのではないか?」と疑っているはずだ。
 そんなテレビ局の顔である彼らが、安倍政権が最重要法案と意気込む「秘密保護法」に異を唱えても、「ホントに反対しているんだろうか?」と眉にツバをつけたくなる。
筆者は以上をかいつまんで次のように質問した。「遅きに失したのではないか?」「メディア自身が襟を正すべきではないか?」と。8氏皆に回答を求めたのだが、彼らの口は重かった。特に安倍首相との会食については。
 岸井氏は「こんなズサンな法律が通るはずはないと思っていた」と出遅れの理由を説明した。
 「(秘密保護法を)使わせないようにすることが大事」と口元を引き締めるのは大谷氏だ。
 「メディア不信を利用して(安倍政権は秘密保護法案を)仕掛けてきている。“アンタたち(マスコミ)が悪い”などと言ってる場合じゃない」。自らもTBS幹部の金平氏は開き直った。
 対照的なのは田勢氏だった。「政権とメディアの距離感がおかしくなっている。NYタイムズは“大統領の(単独)インタビューなんてそんな下品なものできるか!”という気風がある。こんな文化を日本も作らなくてはならない」。
 消費税などでは政権の尻馬に乗りながら、自分たちの手足がしばられる危険性がある時だけ反対の声をあげる。マスコミの身勝手な姿がここにあった。





こんなにも新しい生

2013-11-16 14:13:49 | 日記

★すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、その震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、保留され、庇護されていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。

★ こんな風に言えばあるいは説明がつくかも知れない。ある真新しい自由が、古臭い秩序を打ち破り、死んだ皮膚を貫いて道を切り開く。そして父も祖父もなかなか消し止められないのだ、この眼の輝き、こめかみのヴォルテージ、静脈に脈打つ血の快活を。

★ おそらく認めねばならないのは、革命あるいは解放というものの――漠たる――目的は、美の発見、もしくは再発見にあるということだ。美、即ち、この語によるほかは触れることも名づけることもできないもの。いや、それよりも、盛んに笑う傲岸不遜という意味を、美という言葉に与えよう。


<ジャン・ジュネ“シャティーラの四時間”(インスクリプト2010)>




漂泊と帰郷;“真理への郷愁”

2013-11-14 15:41:12 | 日記

★ 「故郷」とは、その親しく安らかな顔とは別に、先の犀星の詩にもあるように、絶対に帰りたくない、別の顔を持っている。そこに秘められているのは自分の暗い過去だけではない。そこでは公然と、先祖崇拝と、因習の権威と共同体の束縛が規範として君臨しているだけではない。定住ということ自体が土地所有に、所有者と非所有者の差別に、さらには他所から来た者の排除と差別に結びつく。もしその所有権が国家レベルにまで拡大されれば、領土の拡張や防衛は、住民に犠牲的な奉仕を要求するだろう。

★ たとえば、局面は変わるが、「シオニズム」からイスラエル国家の建設をめぐる、いわゆるパレスチナ紛争を見てみよう。本来、迫害からのアジールを求めた「帰郷運動」だったシオニズムが、固有の領土を占有したイスラエル国家の建設を強引に推し進める時、他方、自分たちの郷土を追われたパレスチナ人たちが郷土の奪還をはかって、インティファーダに走る時、両者は連鎖反応となって、止まるところを知らない。ユダヤ教対イスラム教という宗教的衝突は、おそらく表面的な対立でしかないだろう。軍事力によることはもちろん、政治的なかけ引き、妥協による解決も、根本的な解決にはなりえないだろう。おそらく、土地所有と結びついた「故郷主義」が、「善悪の彼岸」に、優先して主張される所では、報復の連鎖が反復する物語の主題なのであろう。

★ だが、オデュッセウスの漂泊と帰郷の物語だけで、人類史をカバーするわけにはいかない。レヴィナスは、オデュッセウスに代えて、故郷の地を離れ、予め息子にも帰郷することを禁じたアブラハムの出立を対置し、故郷に帰ろうともしない「離散」ユダヤ人の覚悟を表わした。その意味で彼は、ハイデガーに対しても、シオニズムに対しても、その「故郷主義」を、共通のものとして非難していることになる。

★ 故郷とは、アドルノにとって少なくとも哲学的には、重要な意味を持つものではない。しかし、強いてそれを特定しようとすれば、それは空間よりは時間の中に、フロイトの考え方、本来の自然としての「幼年時代」、つまり先に『キルケゴール論』の末尾で編まれた「イノセントなエロス」の想起のうちにあったと言えるだろうか。

★ ディアスポラの人にとって「美しい仮象」である帰郷への夢が、実在のレベルで現実化され、土地所有(領土要求)と「法の力」(合理的暴力)の独占体としての国家単位の政治目標となる時、「故郷をめぐる闘争」は、その国家が社会主義であれ民主主義であれ、あるいはシオニズムであれ、民族主義であれ、果てしない泥沼の中で循環することになろう。

★ おそらく、「故郷主義」が「善悪の彼岸」に優先して言いたてられるところでは、カントが期待したような「永遠の平和」は、永遠に訪れないだろう。故郷概念を脱神話化して、言語的にも、それを聖化する卑俗な俗語のレベルから救い出す時に、「哲学とは真理への郷愁である」という、先に引いたノヴァーリスの言葉は、はじめてその真率な光を放つことになろう。

<徳永恂『現代思想の断層』(岩波新書2009)>





“それが手はじめであります”

2013-11-13 12:21:38 | 日記

★ マキャヴェリはどういう時代に生きた人だとか、彼にどんな本があって、いま読んでいるのはそのどの本のどんな部分だということにはいっさい触れずに、フォルトゥナとヴィルトゥというワク組を軸にして断片、断片を拾って読んでいますので、少々心細い気がする方があるかもしれません。だが私は意識的にそうしているのでありまして、その理由は、本の読み方の問題として、あとでだんだんと話してゆくつもりです。

★ さしあたって音楽を聞く場合、音楽の歴史だとか、作曲家の生涯、あるいは曲の解説といったようなものを読むことも必要ではありますけれども、まず音楽そのものを聞くことが肝心で、それを抜きに解説を読みますと、それだけで音楽を聞いた気になっちゃう。(……)解説よりもまず音楽を聞くこと。それも、だれのなんという曲か知らんけれども、ここのところが私は好きだという形で聞くこと。それが手はじめであります。

★ 同じようなことが社会科学の本を読む場合にも、ある程度あてはまるんじゃないか。
まず断片、断片を身につまされる形で知る、そこから始めるべきであります。もっとも、それだけじゃ困るのですが、それについては、あとでまた。

★ 社会科学が正確に理解されるといった場合、「正確さ」には二通りの意味があって、その二つが結びつかねばならないということを始めに申し上げました。あるいは学問的な「正確さ」と、手ごたえの「確かさ」という言葉を使っておけば良かったかも知れません。自分で考えてゆくために本を読むという場合、少なくとも、さしあたって断片が、直接自分にどう突きささってくるかが問題であります。

<内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書1971)>





20世紀思想史と“コンステラチオン”

2013-11-12 14:53:50 | 日記

★ 今はっきり言えることは、筆者が一貫して向き合ってきたのは、20世紀における思想史の時間軸に沿ったプロセスではなく、一つの「布置状況」(コンステラチオン)の問題性だった、ということである。「コンステラチオン」(Konstellation)とは、ベンヤミンによって占星術の用語から発掘され、マンハイムによって知識社会学的に歪曲されはしたが、アドルノに受け継がれて展開深化された方法的な視点である。日本語に訳すとすれば、状況とか布置状況とか星位とか訳すほかないようだが、これはたんに複数の要因が関連し合っている客観的状況をさすのではない。

★ コンステラチオンが独自の方法的視点を示す術語でありうるのは、それがたんなる客観状勢ではなく、第一に、それが主観と客観との相互作用として捉えられる弁証法的過程の断面として主観的契機と切り離すことができず、第二に過去と現在との相互浸透という形で、瞬間のイメージの裡に、両者が同時に透視される、という所にある。

★ ちょうど北斗七星などの布置のうちに、それぞれの星の何億光年という距離の落差が一つの平面として投影されるように、20世紀の思想史のその時々の断面のうちには、太古以来の主体性の原史が、人間の生と死が、栄光と悲惨に充ちた過去と空白の未来とが、同時に投影されていると言えよう。

★ この本で取り上げられている思想の諸断面は、それが個々の思想家に個体化され、あるいは何十年代という時期に分節されてはいても、じつはこういう一つなる布置状況(コンステラチオン)へのその時々での集中と応答を表わしている。この布置状況が続くかぎり、またそれを超える地平の彼方を先走って不当に覗くことが許されないかぎり、それら個々の応答が古びるということはありえない。

<徳永恂『社会哲学の復権』(講談社学術文庫1996)学術文庫版まえがき>



★ 過去がその光を現在に投射するのでも、また現在が過去にその光を投げかけるのでもない。そうではなく形象の中でこそ、かつてあったものはこの今と閃光のごとく一瞬に出会い、ひとつの状況(コンステラツィオーン)を作り上げるのである。言い換えれば、形象は静止状態の弁証法である。なぜならば、現在が過去に対して持つ関係は、純粋に時間的・連続的なものあるが、かつてあったものがこの今に対して持つ関係は弁証法的だからである。それは時間的な性質のものではなく、形象的な性質のものである。弁証法的な形象のみが真に歴史的な――ということはアルカイックではない――形象なのである。解読された形象、すなわち認識が可能となるこの今における形象は、すべての解読の根底にある、批判的・危機的で、危険な瞬間の刻印を最高度に帯びているのだ。

★ 知的機敏さと弁証法的唯物論の「方法」とのあいだの関係を打ち立てねばならない。事実に則した振る舞いの最高の形式のひとつである知的機敏さに、つねに弁証法的プロセスがあることを証明しうるだけでは十分ではない。それ以上に決定的なことは、弁証法的に考える人間は歴史を危機の状況(コンステラツィオーン)としてしか見ることができないということである。彼は、この状況の展開を思考によって追いながら、いつもその向きをそらそうとして跳躍を準備している。

<ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』第3巻(岩波現代文庫2003)>






“どちらともいえない”ヒトへ

2013-11-12 11:32:11 | 日記

昨夜、たまたま以下に引用する“ニュース”をテレビで見た。

ぼくが驚いたのは、その最後にある《「特定秘密保護法案」について、政府が、安全保障などの情報を外国と共有するために必要だとしているのに対し、国民の『知る権利』が侵害される可能性があるという指摘も出ていますが、法案が必要かどうか聞いたところ、「必要だ」が25%、「必要でない」が16%、「どちらともいえない」が48%でした。》という部分。

いったいぜんたいこの“どちらともいえない”というのは、どういういう意味(判断)なんでしょうか?

A:「特定秘密保護法案」がなんであるかが、“わからない”という意味でしょうか?
B:「特定秘密保護法案」には、良い面と悪い面がある(と思える)ので、“どちらともいえない”のでしょうか。

もしAであるなら、「特定秘密保護法案」についてもっと知るように努力することは、いくらでもできるはず。
もしBであるなら、自分が“判断を保留する”ことが、いかなる結果を招くかを“内省”する必要がある。

“情報”と“意見”は、あふれているじゃありませんか。
“あなた”は、その情報を受け取り、他者とその多数の情報について話し合い、さらに自分の問題としてそれを吟味し、さらに自分の“感覚”を信じて、判断すべきではないんですか?

ぼくは、「特定秘密保護法案」“だけ”について言っているのではありません。

そうでなければ、“あなた”は、永久に(死ぬまで)、時流に流されるだけで終る;


<NHK世調安倍内閣支持60%> NHKニュース11月11日 19時26分

NHKが行った世論調査によりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は60%、「支持しない」と答えた人は25%でした。
NHKは、今月8日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。
調査の対象となったのは、1641人で、63%に当たる1027人から回答を得ました。
それによりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は先月より2ポイント上がって60%でした。
一方、「支持しない」と答えた人は、1ポイント下がって25%でした。
支持する理由では、「他の内閣よりよさそうだから」が35%、「実行力があるから」と「政策に期待が持てるから」が20%だったのに対し、支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が43%、「人柄が信頼できないから」が16%、「支持する政党の内閣でないから」が12%などとなっています。
次に、6つの政策課題を挙げて、国が今、最も力を入れて取り組むべきだと思うことを聞いたところ、「原発への対応」と「景気対策」が21%、「社会保障制度の見直し」が18%、「東日本大震災からの復興」が14%、「財政再建」が10%、「外交・安全保障」が8%でした。
安倍内閣の経済政策を評価するか尋ねたところ、「大いに評価する」が9%、「ある程度評価する」が55%、「あまり評価しない」が24%、「まったく評価しない」が8%でした。
一方、景気が回復していると感じるかどうかについては、「感じる」が14%、「感じない」が47%、「どちらともいえない」が36%でした。
原子力発電を巡って、国の原子力規制委員会が安全性を確認した原発の運転再開を進めるという政府の方針に賛成かどうか聞いたところ、「賛成」が19%、「反対」が44%、「どちらともいえない」が33%でした。
自民・公明両党が、原発事故の放射性物質の除染や汚染水対策などに必要な資金を、国が負担できるようにすることを提言したことについて、国がこれに沿って対応すべきだと思うか尋ねたところ、「思う」が63%、「思わない」が6%、「どちらともいえない」が27%でした。
政府が今の国会で成立を目指している「特定秘密保護法案」の内容を知っているかどうか聞いたところ、「よく知っている」が3%、「ある程度知っている」が33%だったのに対し、「あまり知らない」が43%、「まったく知らない」が18%で、「知っている」と答えた人は、先月より10ポイント以上増えました。
また、「特定秘密保護法案」について、政府が、安全保障などの情報を外国と共有するために必要だとしているのに対し、国民の『知る権利』が侵害される可能性があるという指摘も出ていますが、法案が必要かどうか聞いたところ、「必要だ」が25%、「必要でない」が16%、「どちらともいえない」が48%でした


<参考1>

<「特定秘密保護法案」は報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法であり、撤回、または大幅修正を勧告します。>

日本外国特派員協会は現在日本の国会で審議中の「特定秘密保護法案」に深い懸念を持っています。我々が特に懸念を抱いているのは、記者を標的にして起訴と懲役刑の対象にしかねない同法案の条文び与党議員の一部がそれに順ずる発言です。
開かれた社会においては、政府と政治家の活動に関する秘密を明らかにして、国民に知らせることが調査報道の真髄であります。
調査報道は犯罪行為ではなく、むしろ民主主義の抑制と均衡のシステムに不可欠な役割を果たしています。
本法案の条文によれば、報道の自由はもはや憲法に規定されている権利ではなく、政府高官が「充分な配慮を示すべき」案件に過ぎなくなっていることを示唆しているようにとらえても無理はないのです。
その上、「特定秘密保護法案」は政府の政策に関する取材でも「不適切な方法」を用いてはならない、とジャーナリストに対する脅し文句も含まれています。これは、報道メディアに対する直接的な威嚇の如しであり、個別のケースにおいて許せないほどに拡大解釈ができるようになっています。このような曖昧な文面は事実上、政府・官僚は存分にジャーナリストを起訴することができるよう、お墨付きを与えることになります。
日本外国特派員協会の会員は日本国籍も外国籍も含まれています。しかし、1945年に設立された由緒ある当協会は常に報道の自由と情報の自由な交換が、日本と諸外国との友好関係や相互理解を維持増進するための、不可欠な手段と考えてまいりました。
その観点から、国会の方々へ「特定秘密保護法案」を全面的に撤回するか、または将来の日本国の民主主義と報道活動への脅威を無くすよう大幅な改訂を勧告いたします。
ルーシー・バーミンガム日本外国特派員協会々長 平成25年11月11日

(レイバーネット)


<参考2>

<秘密保護法案を問う 歴史研究> 毎日新聞社説  2013年11月12日 02時31分

◇検証の手立てを失う
特定秘密保護法案は、国民の共通の財産であるべき公文書の保管、公開を著しく阻害する恐れがある。これでは、政府は後世の歴史的審判を逃れてしまいかねない。
歴史の検証に欠落ができてしまうのは、すべての国民にとっての損失だ。私たちは、政治や社会の有りようを将来の歴史的審判にゆだねなければならない。それでこそ、人類は歴史から教訓を学びとり、未来を思い描くこともできるのだ。
歴史学の6団体の代表がこのほど、特定秘密保護法案に反対する声明を出した。同時代史学会代表の吉田裕(ゆたか)・一橋大大学院教授は、公文書にアクセスしにくくなるうえ、廃棄される危険を指摘する。
また、「オーラル・ヒストリー」(政治家や官僚に直接に話を聞き、記録する手法)もやりにくくなると懸念する。聞き取りの対象者は慎重になり、研究者も萎縮しかねない。
近年盛んになった「オーラル・ヒストリー」は文書史料では得にくい歴史的真実を浮き彫りにする成果を収めている。たとえば、「聞き書 野中広務回顧録」(御厨貴(みくりやたかし)、牧原出(まきはらいづる)編・岩波書店)もその一つだろう。歴代内閣を裏で支えた元自民党幹事長の証言は、新しい事実も交えて、生々しく政治状況を描き出している。こうした貴重な記録を残せないのでは、大きな損失だ。
一方、民主党政権によって、日米密約に関する外交文書がなくなってしまった問題が調査された。不自然な欠落があることが外務省の有識者委員会で報告された。そのうえ、元外務省条約局長は国会で、核持ち込みなどの関連文書の一部が破棄された可能性を指摘した。
こんなことを繰り返すと、歴史研究が偏ったものになってしまう。
アメリカや英国では国家秘密も一定期間を過ぎれば公開される原則がある。日本で公文書が公開されないと、歴史家は外国の史料を中心にして、日本の外交を検証するしかない。それでは見方が一方的になりかねない。歴史とは多角的に光をあてることで、全体像が見えてくるものだ。
こういった懸念を払拭(ふっしょく)するには、特定秘密も一定年数を経ると公開する原則を定めることや、秘密指定の妥当性について第三者機関がチェックする仕組みが必要だ。
歴史研究が妨げられることは単に専門家たちの問題ではない。研究の積み重ねが、やがて教科書にも生かされ、国民全体に共有されていく。現代の専門家が困ることは、未来の国民が困ることにつながる。




戦争国家への道;あなたは、ほんとうに戦争をしたいか?

2013-11-11 10:47:31 | 日記

<イラク派兵の実態と「特定秘密保護法」> 弁護士川口創のブログ 2013/11/10

2003年、イラク戦争はアメリカによる一方的な攻撃で始まった。日本は世界に先駆けてアメリを支持し、イラク特措法を作り、2004年から本格的に自衛隊をイラクに派兵した。
国は、イラク派兵の実態について、「人道支援」という宣伝をするばかりで、その実態を明らかにするように求める情報公開請求に対しては、「墨塗り」の書面を出しつづけ、イラク派兵の実態を国民に隠蔽し、欺き続けた。

その中で、我々イラク派兵差し止め訴訟弁護団は、独自の情報収集をした。また、中日新聞・東京新聞など、一部のジャーナリストが精力的にイラクでの航空自衛隊の活動の実態を取材をし、報道を続けた。そういった積み重ねの上で、2006年7月に陸上自衛隊が撤退したと同時にこっそりと始まった、航空自衛隊によるバグダッドへの輸送活動の実態が、武装米兵の輸送であることが分かった。

そして、バグダッドが当時、激しい戦闘地域であり、その最前線に武装した米兵を多数送り込むことが、米軍との「武力行使一体化」にあたる、として、2008年4月の名古屋高裁は憲法9条1項違反の判決をおこなった。

仮に、「特定秘密保護法」ができていれば、我々の情報収集も、また、中日新聞・東京新聞の取材活動も、処罰の対象となりかねなかったのではないだろうか。イラク派兵の実態は隠蔽されたままで、当然違憲判決なども出ることがなかったであろう。

2008年4月に違憲判決があり、当初、政府はこの判決を軽視する発言を繰り返していたが、2008年の年末には、イラクから自衛隊を完全撤退させた。
憲法9条が力を発揮したと言って良い。

名古屋高裁が憲法9条違反の判決を示したのは、原告側がイラクでの自衛隊の活動を詳細に証拠として提出したからである。その証拠は、我々原告弁護団がイラク隣国ヨルダンへの調査を行うなどによって独自に入手したものもあれば、中日新聞・東京新聞の優れた記者達が地道な取材活動によって入手したものもある。

こうした情報は、「外交・防衛」に当たるため、特定秘密に指定され、入手できなくなる。そうであれば、憲法違反の事実が海外で積み重ねられたとしても、情報入手ができない以上、憲法9条を活かす訴訟自体が不可能となり、憲法9条は空文化してしまう。

さらに、違憲判決から1年あまり経った2009年10月、国はそれまでほぼ全面的に墨塗りに形でしか「開示」してこなかった航空自衛隊の活動実績について、全面的に開示をしてきた。
その「全面開示情報」から、航空自衛隊の輸送活動が、人道支援でも何でもなく、武装した米兵の輸送が多数に上っていたことが明らかとなった。
仮に特定秘密保護法があり、「特定秘密」に指定されていたとすれば、こうした情報が開示されることはなかったであろう。

安倍政権は、来年には、国家安全保障基本法まで制定を狙っている。
国家安全保障基本法は、集団的自衛権のみならず、海外での武力行使を全面的に解禁していくことにつながる法案であり、憲法9条を完全に空文化させしまう法案である。同法案では国民に対する「防衛協力努力義務」も課され、この基本法の下で作られて行くであろう様々な法律によって、戦争に反対すること自体が処罰対象となりかねない。

国家安全保障基本法の中には、秘密保護法制の制定と、日本版NSCの創設自体が明記されており、この国家安全保障基本法と、特定秘密保護法と、日本版NSC法とは、一体となって、日本を軍事国家に作り上げる法体系の基本として機能していくことが予定されている。

国家安全保障基本法は、まさに「平和憲法破壊基本法」である。
明文改憲手続きを経ることなく、憲法9条に規範を根こそぎ否定し、軍事中心の新たな国家体制を作り上げるのが、国家安全保障基本法であり、その大事な骨格となるのが、特定秘密保護法である。
このようなやり方が認められては、もはや我が国は立憲主義国家とは言えない。
しかし、現実には、内閣法制局長官のクビをすげ替え、集団的自衛権を容認する人物を「長官」として送り込んだ。

内閣法制局を握った安倍内閣は、一見「敵なし」である。
国家安全保障基本法も、来年、制定に向けて大きく動くであろう。
特定秘密保護法は、戦争国家への大きな第一歩である。

特定秘密保護法が出来れば、自衛隊が海外に派兵されても、もはやその活動実態について調査することは不可能になり、活動実態についての情報公開について国は応ずることもないだろう。

海外で自衛隊が憲法9条違反の行為をしていたとしても、その実態を私達が直接情報収集をしていくことは極めて困難になり、憲法9条違反の活動は国民に隠さてしまうだろう。 そして、国家安全保障基本法の下、9条違反の事実が次々積み重ねられ、その「事実」に合う形で「法律」が次々作られ、憲法9条は、明文改憲手続きを経ることなく、あってもなくても良い規定になってしまう。

特定秘密保護法は、単に「知る権利」云々、という問題にとどまらない。私達が今直面しているのは、「平和憲法」の危機であると同時に、「立憲主義」の危機である。

立憲主義を破壊する一連の「手口」に対して、大きく連帯していくべき時である
幸い、広汎な連帯を行う大きな素地が出来つつある。一見敵なしの安倍政権であるが、私たちも決して無力ではない。全力で戦争国家への「手口」を止めていこう





バイ・バイ・アベノミクス

2013-11-08 11:46:25 | 日記

<アベノミクスで資産が増えたのは「投資した人」だけ? 「金融資産ゼロ」の人が過去最多 格差広がる > The Huffington Post 2013年11月08日

アベノミクスで金融資産が増えた人は「投資を行っている人」だけだった--。
日銀などでつくる金融広報中央委員会が11月7日に発表した調査によると、金融資産を持つ世帯では、前年と比べて金融資産が「増えた」世帯が増加していることがわかった。2人以上の世帯では25.6%(前回19.2%)となり全体の4分の1が、単身世帯でも44.6%(前回34.7%)と半数近くの人が、資産が増えたと回答していた。
金融資産を保有している世帯の金融資産保有額は、2人以上の世帯では平均1,645万円(中央値900万円)、単身世帯では平均1,274万円(中央値500万円)となり、前回と比べて大きく増やしている。

■金融資産 増加理由は「株式などの評価額アップ」
金融資産が「増えた」理由としては、「株式、債券価格の上昇により、これらの評価額が増加したから」とした人が2人以上の世帯、単身世帯ともに大きく増加した。一方、「定例的な収入が増加したから」をあげた人は減少した。
保有資産を金融商品別構成比では、預貯金の占める割合は2人以上の世帯・単身世帯ともに縮小している一方、株式や投資信託などの「有価証券」の割合が大きく増えている。アベノミクスの影響で株価などの上昇に伴い、これらの有価証券の評価額が上がったことで、資産が増加したとみられる。

■金融資産がゼロの人が過去最多に
金融資産を増やしている世帯がいる一方、金融資産がゼロという世帯も増えている。金融資産を「保有していない」とする世帯は、全体の31.0%(前回26.0%)となり、調査項目として公表を始めた1963年以降で最多であったことがわかった。
年齢別に見ると、30代では30.2%、40代では32.6%となったほか、ほぼすべての年代において、金融資産を保有していない人の割合が前年より増えていた。
単身世帯でも2人以上の世帯と同様、金融資産を保有していない人の割合が広がっている。「金融資産を保有していない」と回答した人は全体で37.2%と、前回(33.8%)に比べて増加した。年代別では、30代は35.8%、40代は37.1%と、単身世帯のほうが、金融資産がない人の割合が多くなっている。

■持つ家庭と、持たざる家庭の格差 
金融資産を保有する世帯は金融資産の保有額を伸ばしている反面、金融資産を持たない家庭も増え、「持つ家」と「持たざる家」の二極化が広がっていることが浮き彫りとなった。

ニュースの教科書が配信する記事では、日銀が発表する資金循環統計を受けて、株式などのリスク資産を持つ家庭のみがアベノミクスの恩恵を受ける構図だと分析している。
《 整理すると、家計の金融資産は増加しているものの、その多くは株式評価額の増加によるものであり、所得の増加ではない。また、日銀から供給された資金は、金融機関に滞留し、市中に十分に出回っている状況ではない、といったところになるだろうか。今のところは、株式などのリスク資産を保有できる層のみがアベノミクスの恩恵を受けている構図といえるだろう。 》
(ニュースの教科書「【アベノミクス】家計金融資産増加の実情とは?」より。 2013/09/22 10:31)

今回の調査では、金融資産が「減った」とした理由として、「定例的な収入が減ったので金融資産を取り崩したから」とする人が最も多かった。安倍政権では、アベノミクスで物価の上昇目標を定めているが、収入が増えない状況で物価が上がれば、貯蓄が出来る人の割合はますます減るのではないかとも考えられる。

株式投資などを行う人にとっては「バイ マイ アベノミクス(Buy my Abenomics)」かもしれないが、そうでない人にとっては、給料も貯蓄も増えないならば「バイ バイ アベノミクス(Bye bye Abenomics)」と言われてしまう状況にもなりそうだ。




秘密保護法の審議はじまる

2013-11-08 11:36:43 | 日記

<秘密保護法案の質疑要旨> 時事ドットコム(2013/11/07-23:01)

7日の衆院本会議で行われた特定秘密保護法案の質疑要旨は次の通り。

城内実氏(自民) 法案の今国会成立が望ましい。

安倍晋三首相 情報漏えいに関する脅威が高まっている状況や、外国との情報共有は情報が各国で保全されていることを前提に行われることに鑑みると、秘密保全に関する法制整備は喫緊の課題だ。

城内氏 国民の「知る権利」や「取材の自由」の観点から、さまざまな懸念が指摘されている。

首相 知る権利は憲法第21条が保護する表現の自由と結び付いたものとして、十分尊重されるべきものと考える。

城内氏 特定秘密を取り扱う者への適性評価は必要かつ最小限にとどめなければならない。

森雅子内閣府特命担当相 評価対象者が特定秘密の取り扱い業務を行った場合に漏らす恐れがないことを確認するための、必要かつ最低限の事項に限っている。

渡辺周氏(民主) 特定秘密の指定の恣意(しい)性を排除する仕組みはあるか。

首相 外部の有識者の意見を反映させた基準に基づいて行うなど、恣意的な指定が行われることがないよう重層的な仕組みを設けている。

丸山穂高氏(維新) 自衛官による中国潜水艦情報漏出や、沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の映像流出は特定秘密に当たるか。

首相 中国潜水艦の動向に係る情報漏えい事件は防衛秘密に該当する情報が含まれ、特定秘密に該当すると考えられるが、中国漁船(衝突事件の映像)は特定秘密に該当しないと考える。

大口善徳氏(公明) 特定秘密の件数の見通しは。

首相 2012年末現在の特定管理秘密文書などの総数は約42万件、このうち防衛秘密文書は約3万7000件だ。特定秘密の対象文書の件数は特定管理秘密より少なくなる。

井出庸生氏(みんな) 森担当相は内部告発や公益通報者保護法の重要性を認めている。通報者は守られるか。

首相 違法行為を告発する行為が処罰対象となることはない。

穀田恵二氏(共産) 環太平洋連携協定(TPP)や原発に関する情報も秘密指定できるのでは。

首相 TPPや原発の事故に関する情報は特定秘密の指定対象とはならない。


<特定秘密保護法案 議員の良識で廃案へ> 東京新聞社説 2013年11月8日

 特定秘密保護法案が衆院で審議入りした。国家が国民の思想の領域まで踏み込む恐れがある。国会議員は今こそ良識を発揮して、廃案にしてほしい。
 潜水艦の潜水可能な深度、テロ情報収集のための情報源、公電に使われる暗号…。自民党はホームページで、秘密保護法案により漏えいを禁じる特定秘密の具体例を挙げている。
 国家が秘密にしたい事例として、納得する人も多いだろう。だが、秘密に該当しない情報さえ、恣意(しい)的に封殺しうるのが、この法案である。行政機関の「長」が「秘密」というワッペンを貼れば、国民から秘匿できるのだ。

◆35センチの壁も「防衛秘」
 特定秘密の指定の際に、有識者が統一基準を示すというが、あくまで基準にすぎず、個別の情報を調べるわけではない。国会や司法のチェック機能も働かない。これは致命的な欠陥だ。
 特定秘密は防衛省や外務省、警察庁などが扱い、約四十万件が指定されるとみられる。だが、秘密とするには、実質的に秘密に値する「実質秘」でなければならない。最高裁判例が示している。
 この膨大な秘密の山は、本当に「実質秘」だけで築かれているだろうか。ある情報開示訴訟で国側が敗訴したケースが、その欺瞞(ぎまん)性を象徴している。
 海上自衛隊が那覇基地の建物を「防衛秘」としたことに、最高裁が二〇〇一年、秘匿の必要性を認めなかった。国側は「爆撃機の攻撃力を計算して、耐えうる壁の厚さを設計した」などと、もっともらしい主張をしていた。だが、壁の厚さは、たったの三十五センチだった-。
 要するに行政機関は、隠したいものは何でも隠すことができる。いったん「特定秘密」に指定されてしまうと、半永久的に秘匿されうる。問題点は明らかだ。

◆崖に立つ報道の自由
 法案には防衛や外交の分野のみならず、「特定有害活動」「テロ活動」も加わっている。
 特定有害活動はスパイ活動を指すが、この項目には「その他の活動」という言葉もさりげなく挿入している。テロは人を殺傷したり、施設を破壊する行為だが、条文を点検すると、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」する活動も含まれると解される。
 主義主張を強要する活動が「テロ」とするなら、思想の領域まで踏み込む発想だ。原発をテロ対象とすれば、反原発を訴える市民活動も含まれてしまう。
 秘密を漏らした側にも、聞いた側にも最高十年の懲役刑が科される重罰規定がある。とくに「特定秘密を保有する者の管理を害する行為」を処罰する点は問題が大きい。管理の侵害とは何か、全く判然としていないからだ。
 しかも、既遂や未遂はむろん、共謀、教唆、扇動も罰せられる。これは秘密に接近しようとする行為に対する事前処罰であろう。刑法の共謀は犯罪の実行行為を必要とするが、この法案はその前段階である「話し合い」を共謀、「呼び掛け」を扇動とみなしうる。
 刑罰は強い拘束力をもつため、あらかじめ罪となる行為を明示せねばならない。だが、この法案では処罰範囲が、どこまで広がるかわからない。近代刑法の原則から逸脱する懸念が強い。
 報道の自由について「出版又(また)は報道の業務に従事する者」と限定しているのも、大いに疑問だ。ネット配信する市民ジャーナリストらを排除している。かつ「著しく不当な方法」による取材は、取り締まりの対象だ。
 不当かどうかの判断は、捜査当局が行う。ここにも恣意性が働く。裁判で無罪となるまで、記者らは長期間、被告人の立場に置かれてしまう。強い危惧を覚える。
 ドイツではむしろ「報道の自由強化法」が昨年にできた。秘密文書に基づいた雑誌報道に対し、編集部などが家宅捜索を受けた。これを憲法裁判所が違法としたからだ。今やジャーナリストは漏えい罪の対象外である。
 民主党は情報公開法の改正案を出しているが、秘密保護法案は情報へのアクセスを拒絶する性質を持つ。「国家機密」が情報公開制度で表に出るはずがない。

◆憲法原理を踏み越える
 何より深刻なのは国会議員さえ処罰し、言論を封じ込めることだ。特定秘密については、国政調査権も及ばない。行政権のみが強くなってしまう。
 重要な安全保障政策について、議論が不可能になる国会とはいったい何だろう。議員こそ危機感を持ち、与野党を問わず、反対に立つべきだ。
 三権分立の原理が働かないうえ、平和主義や基本的人権も侵害されうる。憲法原理を踏み越えた法案である。


<秘密保護法案を問う・審議入り 重ねて廃案を求める> 毎日新聞社説  2013年11月08日

 特定秘密保護法案が7日、衆院で審議入りした。安倍晋三首相は本会議で、情報漏えいの脅威が高まる中、国家安全保障会議(日本版NSC)を効率的に運営するためには、秘密保全体制の整備が不可欠だとして、法案の意義を繰り返し強調した。

 だが、この法案は、憲法の基本原理である国民主権や基本的人権を侵害する恐れがある。憲法で国権の最高機関と位置づけられた国会が、「特定秘密」の指定・更新を一手に行う行政をチェックできない。訴追された国民が適正な刑事手続きを受けられない可能性も残る。憲法で保障された「表現の自由」に支えられる国民の「知る権利」も損なわれる。

 7日の審議でも根本的な法案への疑問に明快な答弁はなかった。法案には反対だ。重ねて廃案を求める。

 国の安全保障上欠かせない情報はあり、日米同盟に基づく高度な機密は保全すべきだろう。そのために、2001年に自衛隊法が改正され、防衛秘密の漏えいに対し最高懲役5年が科せられた。また、米国から供与された装備品情報の漏えいは最高懲役10年だ。防衛秘密が現行法の下で基本的に守られている中で、新たな立法の必要性はないと考える。

 もちろん、防衛以外にも秘密とすべき情報はあるだろう。だが、この法案では、防衛のほか、外交、スパイ防止、テロ防止の各事項について、行政の裁量で際限なく特定秘密が指定できる。さらに、その漏えいだけでなく、取得行為にも厳罰を科す。あまりにも乱暴な規定だ。

 行政に不都合な情報が特定秘密に指定される恐れはないのか。安倍首相は、別表での細かい規定や、指定の基準を作る際に有識者に意見を聞くことを挙げ「重層的な仕組みになっている」と述べたが、全く不十分だ。国会を含む第三者が個々の指定の妥当性をチェックする仕組みは法案にない。民主党は情報公開法の改正で、裁判所にその役割を担わせる考えだが、実効性が伴わない可能性が大きい。

 7日の審議で、森雅子担当相は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)などの通商交渉や原発事故対応などの情報は、特定秘密の対象にならないと答弁した。ただし、原発でも警備の実施状況は、特定秘密に該当すると述べた。行政任せの根本が変わらなければ線引きは意味がない。

 法案概要が公表されたのは9月である。今から議論を始めてこの国会で成立を図ろうとすること自体、土台無理な話だ。まずは徹底審議で問題点を明らかにしてほしい。


<特定秘密保護法について> 内田樹ブログ2013.11.08

衆院で特定秘密保護法案の審議が始まった。
すでに多くの法律家が指摘しているように、この法案は国民主権と基本的人権を侵害する恐れがある。
行政が特定秘密の指定を専管すれば、憲法上国権の最高機関であるはずの国会議員の国政調査権も空洞化する。
国民にしても「秘密保護法違反」の罪で訴追された場合、自分が何をしたのかを明かされぬままに逮捕され、量刑の適否について議論の材料が示されないまま判決を下され、殺人罪に近い刑期投獄されるリスクを負うことになる。

前にも繰り返し書いてきたとおり、自民党の改憲ロードマップは今年の春、ホワイトハウスからの「東アジアに緊張関係をつくってはならない」というきびしい指示によって事実上放棄された。
でも、安倍政権は改憲の実質をなんとかして救いたいと考えた。
そして、思いついた窮余の一策が解釈改憲による集団的自衛件の行使と、この特定秘密保護法案なのである。

解釈改憲は文言をいじらないで、事実上改憲して、アメリカの海外での軍事行動に参加する道を開くことである。
憲法をいじらないで、内閣法制局の憲法解釈に任せるなら、実際に海外派兵要請がアメリカから来て、その適否の判断が喫緊の外交課題になったときに「ぐずぐず議論している余裕なんかない、待ったなしだ」というお得意のフレーズを連打して、無理押しすることができると踏んだのであろう。
とりあえず、それまでは「アメリカと一緒に海外で軍事行動をするぞ」というのは政権担当者の心の中の「私念」に過ぎない。
成文化されない「心の中で思っていること」である限り、中国や韓国もこれをエビデンスベーストでは批判することができない。

特定秘密保護法案は放棄された自民党改憲案21条の「甦り」であることがわかる。
改憲草案21条はこうであった。
「出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
特定秘密保護法は「公益及び公の秩序」をより具体的に「防衛、外交、テロ防止、スパイ防止」と政府が指定した情報のことに限定した。
現実にはこれで十分だと判断したのであろう。

例えば、私の今書いているこの文章でも、それが防衛政策や外交政策の決定過程についての政権内部での秘密に言及したものであり、「重大な国防上の秘密を漏洩し、外敵を利することで結果的にテロに加担している」という判断はできないことはない(……)

私とて大人であるから、政府が国益上公開できない秘密情報があることは喜んで認める。だが、秘密漏洩についての法的措置は多くの法律家が指摘するとおり現行法で十分に対応できている。
現に、重大な国防外交上の秘密漏洩事案は過去にいくつかあったが、いずれも現行法によって刑事罰を受けている。この法律がなかったせいで防げなかった秘密漏洩事例があるというのであればそれをまず列挙するのが立法の筋目だろう。
だが、そのような事例はひとつも示されていない。

これまで存在したが罰されずに見逃されてきた事例について、それを処罰する法律を立法するのは筋目が通っている。
けれども、これまで存在しなかった犯罪について、それを処罰する法律の制定が国家的急務であるという話はふつうは通らない。
秘密保護について言うなら、これまで官僚たちが大量の秘密文書を廃棄して、国民の知る権利を妨害してきたことを処罰する法律を制定することがことの順番だろう。
この事例はまさに1945年の敗戦時の膨大な文書廃棄から始まって、開示請求に対して「みつかりません」とか「なくしました」とか「燃やしたようです」というような木で鼻を括ったような対応をしてきた官庁まで無数の事例がある。
これを許さない法律の制定であるなら、私も大歓迎である。
だが、今回の法律のねらいはそこにはない。
逆である。

「行政の失態や誤謬」にかかわる情報開示が特定秘密に指定されれば、行政への批判は事実上不可能になる。
これがきわめて強権的で独裁的な政体に向かう道を開くことであるという判断に異を唱える人はいないだろう。
政府はTPPの交渉や原発事故対応は特定秘密の対象にならないと答弁したが、原発の警備実施状況は特定秘密に該当すると述べた。
開示請求された情報の中に特定秘密に該当するものが断片的にでも含まれていれば、行政はその全部を秘匿するであろう。法律を弾力的に運用すれば、自己利益が高まるなら、政治家も官僚も必ずそうする。これは断言できる。

特定秘密保護法は賢明で有徳な政治家が統治すれば実効的に機能するが、愚鈍で邪悪な政治家が統治すれば悪用される法律である。
そういう法律は制定すべきではない。
それは現在の政治家や官僚が例外なく愚鈍で邪悪であるということを意味するのではない。
そのような人々が政治の実権を握ったときに被害を最少のものにするべく備えをしておくのが民主制の基本ルールだからである。
別に私がそう言っているのではない。
アメリカの民主制を観察したトクヴィルがそう言っている。
だが、その「民主制の基本ルール」を現在の安倍自民党政府はご存じないようである。
「民主国家」の統治者が民主制の基本ルールを知らないと場合、彼らが「賢明で有徳である」のか、それとも「愚鈍で邪悪である」のか、その蓋然性の計算は中学生にもできる。
(以下略)

(以上引用)





私事と歴史的瞬間

2013-11-07 23:09:51 | 日記

★ 辺見庸ブログ“私事片々” (2013/11/07)

・ まだ雨がふっている。雨があがったらエベレストに行こう。けふは特別の日だ。肌膚(きふ)の粟を生ずるを覚えなければならない日だ。まさに慴然とすべき日である。マジ、そうおもふ。このところずっと毎日が「特別の日」だ。新聞とテレビと、可視空間のすみずみまではりめぐらされた大小あらゆる種類のメディアは、「特別の歴史」という観念を総がかりで消しつぶしにかかってくる。けふもけふとて、幼児虐待、いじめ自殺、死体遺棄、育児放棄、食品偽装、あなたにおすすめの商品、「オバマ大統領とツィ―トしませんか」、「痔」切らずに直る!、口臭・加齢臭消えたあ!、1週間で10キロやせたあ!、競馬・競輪・競艇・パチンコ・宝くじ、1%富裕層への道、UPGRADE TO PREMIUM!  No more commercials!・・・のジョーホーであふれかえり、「特別の歴史」は手もなくかき消される。ハンナ・アーレントの母マルタが、幼いハンナにむかって叫んだという「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」という「悟性の声」は、いま耳を澄ましてもどこにもない。日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案の修正案が、6日の衆議院特別委員会で、与党と民主党などの賛成多数で可決され、けふ、衆議院を通過した。特定秘密保護法案もけふの衆院本会議で審議入りした。沖縄・宮古島に、陸上自衛隊の88式地対艦誘導弾がはじめて上陸した。陸海空自衛隊による戦争演習のいっかんで、射程百数十kmの88式地対艦誘導弾は沖縄本島にも展開する。今回の演習は、隊員3万4,000人、艦艇6隻、航空機およそ380機が参加して、離島防衛が主な目的なそうな。「月々スマホ990円特割!」の広告といっしょに「歴史的瞬間」が藻屑のように流されてゆく。(雨があがった。アランはいまエベレスト登攀から無事もどってまいりました! 幼稚園生とその親たちから不審者かテロリストのようにジロジロ見られました。だって、目つきはわるひし、昼日中ホームレスのやうなかっこうをしてビッコひきひき通学路をあるき、自民公明を反動の巨大巣窟、民主党を裏切り者と偽善者と低脳だらけのニセガネ政党となじり、共産党までインチキ呼ばわりするんですもの、アラン、当然じゃありませんこと? あなたこそ正真正銘のフシンシャよ!)20世紀の全体主義は20世紀大衆社会の病理を発生源としたのだとしたら、21世紀現在のこの大激変はなにを発生源とし、なにが未来に予定されているのだろうか。近代以降、みずからを堂々「侵略者」と名のり戦争を発動した国家などない。ニッポン軍国主義、ナチス・ドイツさえもが「祖国防衛」を口実に侵略戦争を展開し、まつろわぬ自国民(ニッポンは当時から大部分のひとびととメディアが権力にまつらふ一方であったが・・・)を徹底的に弾圧したのだった。J-NSCは今後、まちがいなく「戦争」と「監視」と「謀略」の司令塔として拡大、発展するだらう。メディアと人民がそれを支えるであらう。J-NSC構想は第一次安倍政権時代の「チーム安倍ちゃん」による事実上のクーデター計画であった。問題は、これが第一次安倍政権が瓦解したあとも、ニセガネ民主党の菅・野田政権によりしっかり継承され、衆院選で政権交代するよりもまへに、J-NSCの設置がすでにして事実上きまっていたこと。そして、秘密保護法の法制化も陰に陽にすすめられてきた事実だ。自公の反動はおのずと明らかである。しかし、民主党とは、おい、菅よ、辻本よ、千葉景子よ、あなたがたはいったいなんだったのだ。死刑もやります。憲法も破壊します。戦時体制もつくります。自公に反対するふりもします、だったのか。「わたしたちはいまだかつてひとりの人間にもであったことがない。権力亡者の<猿の影>につまずいただけだ」ったか。新旧のファシズムはその内部にニセの<反ファシズム>を包含してきたし、今後もそうであろう。そして、きのふも、けふも、明日も、「歴史的瞬間」がうちつづき、サムライ・ニッポンはいとど勇ましくなっていく。わたしはJ-NSCに反対する

(以上引用)





20世紀の30年戦争;“現代”のはじまり

2013-11-05 15:41:38 | 日記

★ 第一次大戦の勃発直後から、参戦各国の多くで敵国語追放の動きがいっせいにわき起こった。ロンドンでは、民衆がドイツ風の名前をもつ商店をおそって看板を打ち壊し、ドイツやオーストリアでも、英語名の店をやり玉にあげたり、レストランのメニューからフランス語を追放させたりした。ベルリンの有名な喫茶店はたまたまロンドンの繁華街ピカデリーを店名にしていたが、開戦後あわてて「ファーターラント(ドイツ語で祖国)」と改名したし、「サンライト」という石鹸会社は社名こそ変えなかったが、「社員は全員ドイツ人です」という断りの新聞広告を出して「誤解」の払拭に努めた。

★ 店名や商品名にしてこうであれば、敵国人と疑われた人間への監視の目はさらにきびしかった。ドイツではスウェーデン語を英語とまちがえられた観光客がリンチにあったり、敵のスパイと思われて警察に突き出される例が多発した。ミュンヘンにいたドイツ人作家エルンスト・トラーも、かぶっていた帽子にフランスのリヨンの製造工場名が書いてあったことからフランス人と疑われ、群集につけ回されて、通りがかりの警察官に身分証明書を見せてドイツ人であることを確認してもらい危うく難を逃れた、という体験を記している。

★ 開戦後の外国人排斥や敵国語追放は、一時的パニックとして片づけられるかもしれない。だが、戦争を理由に首都や王室の名前までが改められることはそうあることではない。かつてヴィクトリア女王は、王室はナショナルな事柄から距離をおかなくてはならない、と語ったことがあった。実際、ヨーロッパ諸国の王室や高位の貴族は、何らかの形で姻戚関係にあるインターナショナルな存在で、ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世、イギリスのジョージ五世、ロシアのニコライ二世は縁続きであった。しかし、第一次世界大戦とともに、王室もまたナショナルな存在、名称を含めて国民に密着した存在となることを求められたのである。

★ この巻は第一次世界大戦から第二次世界大戦の始まりまでの時期、第一次大戦と両大戦間期の欧米世界をあつかう。この時代を見る視点の一つとして本巻で設定されたのが、こうしたナショナルな凝集力の具体像である国民国家である。国民国家は、ある領域内の住民を統合するため、統一的行政組織のもとに、同一の言語、共通の歴史文化のイメージを創り出して住民に教えこみ、かれらを同質的な公民に「造り替える」装置であり、その起源は18世紀末のフランス革命に始まる。

★ その後の19世紀のなかで、西欧諸国以外の地域では、むしろ住民の同質性を前提にして、あるいは同質性があると仮定して、国民国家をつくるという考えがあらわれてきた。その場合に前提にされた同質性の根拠こそ「民族」にほかならない。言語、文化を共有する集団を民族ととらえてひとくくりにし、ひとつの国家にまとめるべきだと主張されたのである。19世紀のナショナリズム運動は、ほとんどがこうした考えのもとに生まれた。こうして国民国家は西欧以外では民族国家に読み替えられた。だが、ドイツ、イタリアの国民国家をのぞけば、第一次大戦前の欧米世界では、なお伝統的な多民族帝国、広大な植民地帝国が支配的であった。

★ 第一次世界大戦を経てはじめて、民族自決権は広く認められ、「一民族一国家」のスローガンのもとに多民族帝国は新興民族国家群に解体された。ヨーロッパ地域だけでなく、アジアやアフリカでも、国民国家をめざす民族独立運動は本格的に胎動を開始した。史上はじめて、少なくとも原理的には対等な国民国家同士が共存する時代が開幕した。

★ とはいえ、こうした国民国家相互の関係をどう調整するか、国民国家内部の国民統合をどのような仕組みで達成し、近代化の基盤をどう構築していくかについて、参照すべき「マニュアル」は存在しなかった。いや、正確に言えば、マニュアルはなかったわけではないが、新しい状況には役に立たなかった。(……)西欧諸国の自由主義的、19世紀的モデルは、西欧以外の国民国家にとってもはや適合的なモデルではなかった。敗戦国や新興国独立国は近代国家の枠組みが不備なまま、国民国家を短期間で実現しようとしたからである。しかも大戦の経験は、めざす国民国家を総力戦に耐える、自己完結的な国家にしなければならないという考えを強めた。

★ 第一次世界大戦が終って古い列強体制は否定されたが、新しい国際政治・経済協力体制は脆弱で、それすら大恐慌によってまったくの混沌状態に陥った。各国民国家は生き残りをはかるために、一国単位でそれぞれの方向を模索しなければならなかった。しかもこの模索自体が国家間の競争に拍車をかけ、国際的な不安定をさらに増幅させ、時代にあらたな緊張と紛争を引き起こした。その意味で第一次世界大戦の始まりから第二次世界大戦の終わりまでの30年間は、移行期特有の構造的危機をはらんだ20世紀の「30年戦争」期と性格づけられる時代になった。(……)最初の30年戦争が近世から近代への転換を印したように、20世紀の30年戦争は近代から現代への転換を画した

<木村・柴・長沼『世界大戦と現代文化の開幕』はじめに(中央公論社・世界の歴史26―1997)>





女の美しさ

2013-11-03 13:34:50 | 日記

★ 女の美しさ。はじめは理解できず、困惑させられ、不安にさせられてしまう美しさ。その美しさはあまりに奇蹟的だし、だれもみなひとしく美しいので、まるで、まやかしのように思えてしまう。どうしてこんなことがあり得るのか。腹いっぱいに食べることなんかほとんどなく、現代栄養学の基本的な成分には、おおむね事欠いている民族がここにいる。肉も、牛乳も、野菜も、果物もない。ただ来る日も来る日も、今年も来年も、苦い緑色のおおばこばかり食べている。ときたま臍猪の肉をわずか、それにイグアナとおうむ。米ととうもろこし。これほど均斉がとれ、これほど強く、ねばり強い肉体が、こういう食物だけでつくりだされたのだろうか。

★ インディオの女の美しさは光り輝いている。美しさは、内面から来るのではなく、肉体のあらゆる深みからやって来る。それは、果実の肌の美しさが、果肉全体で照らされ、樹木全体のあらゆる肉で照らしだされているのと同様である。インディオの美しさは目だたないし、目だつことを求めてもいない。それは侮蔑でもなければ、挑発でもない。それはいかなる醜さにも自分を較べようとしないし、変貌することなく、理想化されることもない。インディオの美しさは、ただ、勝ち誇って、生々としてそこにある。

★ 彼女らは、自然それ自体を明示している。鳥や花や葉や昆虫のように。女たちの姿と地上の他の生命あるものの形とのあいだには、裂け目もないし、分裂もない。彼女らは、壊したり、支配するためではなく、呼吸し、食べ、飲み、胎内の生命を育て、愛し、殖やすためにそこにいる。

★ だから、美は見せ物であることをやめる。美とは活動であり、運動であり、欲望だ。美は、未知の世界を掩っている無機質の表面をたえ間なくうち砕き、そこに通路を開いて、扉と住居をつくりだす。

★ 美は奇蹟でもなければ、偶然の結果でもない。インディオの女の美しさは、自由の結果である。道徳や宗教の禁制を恐れることなく、あるがままであるという自由。自分の肉体と精神のために、労働と交合と分娩を選ぶ自由。愛さなくなった男から逃れ、気に入った男を求める自由。堕胎用の煎じ薬を飲む自由。子供が欲しくなければ、分娩の際に毒殺してしまう自由。気に入った家に住み、欲するものを所有し、憎むものを拒む自由。肉体の自由と裸身の自由。自分の顔を手入れする自由。競争相手もなく、自分自身の姿態以外には、他の何物とも競うことがないという自由。不品行の自由と分別の自由。

★ 手は活動する。扇や、笊や、籠を編むために、ナワラ織の繊維が織りなす模様を、手は心得ている。肉体の内部にあり、樹々の葉や、鹿の皮や、蛇や魚のうろこの上にも記されている模様を手は知っている。

★ 目は見、他の何ごとも行わない。目は神秘を解明することなど望んでいない。目だって、やはり果実や花々に似たものなのだ。目は外観という遮蔽物をいくつもいくつもつらぬいてきたにちがいない。なにものももはや目をだますことはない。インディオの女たちの目は、黒い入江のようだ。青銅色の顔のなかで静かにきらめきつつ、見つめている。目は、《魂》にいたる扉として見開かれることなど決してない。今や、魂は無益なものとなり、目は自分を表現するために魂など必要としていないのだ!

★ わたしたちの目の残忍さと貪欲。記録するための仮借ない機械、レンズ、コンタクトレンズ、世界を自分の箱の中に閉じ込めるために絶え間なく撮影するカメラの砲列!シャッターつきの目だ!苦悩と快楽と恐怖を探し求める目だ!しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。<見つめている目>。

<ル・クレジオ『悪魔祓い』(岩波文庫2010)>





言葉の流星群2013-秋から冬へ

2013-11-02 11:46:48 | 日記

★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>

★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。<ル・クレジオ:“春”>

★ 雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気の立つ雨だった。<レイ・ブラッドベリ:“長雨”>

★ 今もおなじだけれど、二十数年前のその頃も、毎日、夕方になると、飲まずにいられなかった。<開高健:“黄昏の力”>

★ 一夏のあいだ、雲の彫刻師たちはヴァーミリオン・サンズからやってくると、ラグーン・ウエストへのハイウェイの横にならび立つ白いパゴダにも似た珊瑚塔の上を、彩られたグライダーで飛びまわった。<J.G.バラード:『ヴァーミリオン・サンズ』>

★ 喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、長い時間だった。人けの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている庭の中央で、指先にしばし、大きな複眼と透き徹った四枚の翅を載せていた。<平出隆:『猫の客』>

★ 港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。<ウィリアム・ギブスン:『ニューロマンサー』>

★ 平野には豊に作物が実っていた。果樹園がたくさんあり、平野の向こうの山々は褐色で裸だった。山では戦闘が行われていた。夜になると砲火の閃くのが見えた。暗闇のなかで、それは夏の稲妻のようだった。けれども夜は涼しく、嵐がくる気配はなかった。<ヘミングウェイ:『武器よさらば』>

★ 午前一時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。<辺見庸:『ハノイ挽歌』>

★ 二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や常御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見かけた。大きな建物だから寒かろうと覚悟して行ったが、冬暖かい青空で、光に恵まれた昼となった。<大仏次郎:『天皇の世紀』>

★ どんより鉛色に曇った空の下、山あいから列車が抜け出てくる。女の声「あんなに表日本は晴れていたのに、山を抜けたら一ぺんに鉛色の空になっている」<早坂暁:『夢千代日記』>

★ 多摩川河畔(昼)リモコン飛行機がとんでいる。スーパー“昭和48年8月”<山田太一:『岸辺のアルバム』>

★ 万治三年七月十八日。幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守の一族伊達兵部少輔、同じく宿老の大条兵庫、茂庭周防、片倉小十郎、原田甲斐。そして、伊達家の親族に当たる立花飛騨守ら六人が、老中酒井雅楽頭の邸へ出頭した。<山本周五郎:『樅ノ木は残った』>

★ よだかは、実にみにくい鳥です。<宮沢賢治:“よだかの星”>

★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。<ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”>

★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。<ギュンター・グラス:『ブリキの太鼓』>

★ かれの作り出そうとしている計画の残虐な性質にもかかわらず、トライラックスの<フェイス・ダンサー>サイテイルの考えは何度となく悲しみにあふれた同情へともどっていった。<フランク・ハーバート:『砂漠の救世主・DUNE第2部』>

★ ランボーを理解するために、ランボーを読もうではないか。そして彼の声を、まじりこんできたかくも多くの他の声たちから、分離しようと望もうではないか。<イヴ・ボヌフォア:『彼自身によるランボー』>

★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。三十年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。<矢作俊彦:『ららら科学の子』>

★ 「きみはだれだ? きみはどこへ行くのか? きみはなにを探しているのか? きみはだれを愛しているのか? きみはなにが欲しいのか? きみはなにを待っているのか? きみはなにを感じているのか? きみにわたしが見えるか? きみにわたしの声が聞こえるか?」(ミシェル・ビュトール『心変わり』)

★ 昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えている所を、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後ろを向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで目尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分は不図この女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは縁談の極まった(きまった)二三日後である。(夏目漱石:“文鳥”)

★ 虚構の経済は崩壊したといわれるけれども、虚構の言説は未だ崩壊していない。だからこの種子は逆風の中に播かれる。アクチュアルなもの、リアルなもの、実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に、青青とした思考の芽を点火することだけを願って、わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい。<真木悠介:『自我の起源』あとがき>

★ 日本を統ぐ(すめらぐ)には空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。<中上健次:『紀州』 終章“闇の国家”>

★ 1848年。王政の瓦壊によって、ブルジョワジーは自分を守ってくれた「覆い」を奪い去られる。一挙に、<詩>は、その伝統的な二つのテーマ、すなわち<人間>と<神>とを失う。<J.P.サルトル:“マラルメの現実参加”>

★ 現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。こうした関係のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』序文)

★ そこでは、汗の一滴一滴、筋肉の屈伸の一つ一つ、喘ぐ息の一息一息が、或る歴史の象徴となる。私の肉体が、その歴史に固有の運動を再生すれば、私の思考はその歴史の意味を捉えるのである。私は、より密度の高い理解に浸されているのを感じる。その理解の内奥で、歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解かり合えるようになった言葉を語るのである。<クロード・レヴィ=ストロース:『悲しき熱帯』>

★ 哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能なのかを知ろうとするという企てに哲学が存するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。<ミシェル・フーコー:『快楽の活用』>

★人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。<ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>

★ でも脳出血後に歩行が不自由になったいま、もう飛行機を使って他の大陸まで飛び歩くことは不可能だろう。そう考えると、私にとってこの文庫の収録作品は繰り返しのない貴重な体験ということになる―そう思うと、世界の広さ、その荒涼たる美しさが耐え難いほど懐かしい。それはいまや女体へのつらい懐かしさに似ている。<日野啓三『遥かなるものの呼ぶ声』)あとがき>

★ ユダヤ人は古代の神殿の祭壇で動物を犠牲に捧げ、キリストは十字架に死に、城壁上の流血はその後もたえ間なくつづいた。エルサレムは世界のいかなる都市とも似ず、流血の呪いの中を生きてきたのである。それでも古代ヘブル語のエルシャライムは、「平和の都」を意味するのだが。またその最初の住民はオリーヴ山に斜面に住みつき、爾来オリーヴの小枝は和合の世界的象徴となった。歴代の預言者たちは人間のための神の平和を、ここでいくどとなく宣言し、この地を都と定めたユダヤの王ダヴィデはエルサレムを敬って祈願した。「エルサレムの平和のために祈れ」。<D.ラピエール&L.コリンズ:『おおエルサレム!』>

★ 赤ん坊の揺り籠は深淵の上で揺れているのだ。<ナボコフ:『記憶よ、語れ』>

★ 愛と死。この二つの言葉はそのどちらかが書きつけられるとたちまちつながってしまう。シャティーラへ行って、私ははじめて、愛の猥褻と死の猥褻を思い知った。愛する体も死んだ体ももはや何も隠そうとしない。さまざまな体位、身のよじれ、仕草、合図、沈黙までがいずれの世界のものでもある。<ジャン・ジュネ:“シャティーラの四時間”>

★ ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。<サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』―80/9/1 ホームステッド・ヴァレー、カリフォルニア>

★ だが、あらゆる部族の名前がある。砂一色の砂漠を歩き、そこに光と信仰と色を見た信心深い遊牧民がいる。拾われた石や金属や骨片が拾い主に愛され、祈りの中で永遠となるように、女はいまこの国の大いなる栄光に溶け込み、その一部となる。私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>

★ 空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。<マルグリット・デュラス:『愛人(ラマン)』>

★ ぼくの死はぼくを裸にしてしまい、ぼくはぼろ切れ一つさえも身にまとっていることはできまい。ぼくがやって来たように手ぶらで、ぼくは帰ってゆくのだ、手ぶらで。(ル・クレジオ :“沈黙”―『物質的恍惚』)

★ “クレメンタイン、いい名前だな”(ジョン・フォード:「荒野の決闘」エンディング)

★ だが飛行機がふたたび雲から出て揺れもなくなると、2万7千フィートのここで鳴っているのはたくさんのベルだ。たしかにベルだ。ベン・ハンスコムが眠るとそれはあのベルになる。そして眠りにおちると、過去と現在を隔てていた壁がすっかり消えて、彼は深い井戸に落ちていくように年月を逆に転がっていく―ウェルズの『時の旅人』かもしれない、片手に折れた鉄棒を持ち、モーロックの地の底へどんどん落ちていく、そして暗闇のトンネルでは、タイム・マシンがかたかたと音をたてている。1981、1977、1969。そしてとつぜん彼はここに、1958年の6月にいる。輝く夏の光があたり一面にあふれ、ベン・ハンスコムの閉じているまぶたの下の瞳孔は、夢を見る脳髄の命令で収縮する。その目は、イリノイ西部の上空に広がる闇ではなく、27年前のメイン州デリーの、6月のある日の明るい陽の光を見ている。
たくさんのベルの音。
あのベルの音。
学校。
学校が。
学校が

終わった!
<スティーヴン・キング『IT 第2部』>

★ 希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている。<ベンヤミン:“ゲーテの『親和力』”>

★ 魔女1 この次3人、いつまた会おうか?かみなり、稲妻、雨の中でか?<シェクスピア:『マクベス』>







ハーイ 先生 疑問があります

2013-11-01 17:19:42 | 日記

☆ 茂木健一郎ツィート引用;

 連続ツイート第1081回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。今日は、昨日のニュースを見て、思ったこと。
kenichiromogi 2013-11-01 06:55:54

(1)山本太郎議員が、園遊会にて、天皇陛下に手紙を手渡したこと、さまざまな議論を呼んでいる。当然、批判も多い。山本太郎という方は、良かれ悪しかれ、このような方なのだろう。それを支持する人もいる。今朝は、少し角度を変えて、このことによって照射されたことを考えてみたい。kenichiromogi 2013-11-01 06:57:23

(2)日本の皇室は、世界最古の「王室」である。何年続いているか、何代目であるかということについては歴史的議論があるにせよ、いずれにせよ世界の中でもっとも伝統のあることは間違いない。そのことは、世界的にも尊敬を集めており、イギリス王室での「序列」も最高位であると聞く。kenichiromogi 2013-11-01 06:59:14

(3)なぜ、日本の皇室は、これほど長く続いてきたのか。本質的なポイントは、皇室が、その時々の政治状況から「距離」を置いてきたことにあると思う。もちろん、個々の事象を見ればいろいろあるが、大枠としては、時代によって変わる課題、論争から離れて、中立を保ってきた。kenichiromogi 2013-11-01 07:00:32

(4)源頼朝が鎌倉幕府を開けば、彼を「征夷大将軍」として追認する。徳川家康に対してもそう。つまり、実質的に権力を握る者に対して、お墨付きを与える立場ではあるが、権力そのものを争う立場には立たない。だからこそ、日本の皇室は尊敬され、代々続いてきた。kenichiromogi 2013-11-01 07:02:15

(5)現行憲法下では、天皇は「象徴」であり、政治には関わらないとされる。この状況は、現行憲法の制定によって生まれた新しい事態ではなく、むしろ、綿々と続く皇室の本質は、そのような「中立性」にこそある。だからこそ、そのような「中立性」を大切にして、今後も続けていくのがいいと私は思う。kenichiromogi 2013-11-01 07:03:59

(6)山本太郎議員の今回の行為は、天皇陛下の以上のような「中立的」存在という歴史的な文脈からすれば、外れている。しかし、考えてみると、過去、歴史の中において、天皇に対してある特定の思いを届けようとした人は、いくらでもいたと思う。その度に、皇室は対処してきたはずである。kenichiromogi 2013-11-01 07:05:20

(7)むしろ、山本太郎議員の存在意義は、歴史的な文脈だとか、慣習だとか、そのようなことを知らないかのごとく振る舞う点にあるのであって、それに対する批判は当然あるだろうけれども、今回の行為は、かえって、皇室の本質とは何かを考えるきっかけを与えているようにも思う。kenichiromogi 2013-11-01 07:06:31

今日は、特例なので、(7)で終わりにします。以上、連続ツイート第1081回「日本の皇室は、なぜ永く続いてきたのか」でした。
kenichiromogi 2013-11-01 07:07:21

(以上引用)


◆ 疑問点

① 《日本の皇室は、世界最古の「王室」である》というのは、いかなる根拠によるのかな?

② 日本の皇室が、《その時々の政治状況から「距離」を置いてきた》とか、《時代によって変わる課題、論争から離れて、中立を保ってきた》というのも、いかなる歴史的事実のことをいっているのか?

③ 《実質的に権力を握る者に対して、お墨付きを与える立場ではあるが、権力そのものを争う立場には立たない》などという“日本史”をいったい茂木健一郎はどこで勉強したのか?(笑)

④ 《象徴である》ということと、《中立である》ということは、(論理的に)同じことだろうか?

⑤ さらに、現行憲法での“象徴規定”と、それまでの“日本史”での天皇の“本質”とは同じものであろうか?(茂木氏は“同じ”と言っているようだ)

⑥ 《皇室は対処してきたはずである》とは? どのように対処してきたのか!(ぼくは知らない)

⑦ 《今回の行為は、かえって、皇室の本質とは何かを考えるきっかけを与えているようにも思う》ということについても、以下の疑問がある;

A:今回の山本太郎議員の行為が、《皇室の本質とは何かを考えるきっかけになる》などと言えるのだろうか? 《きっかけになる》のだろうか?
B:もし《きっかけになる》にしても、それは“きっかけ”であって、“結論を言う(考える前に!)”ことではないはずだ。ところが、ここで、茂木氏は結論を言っちゃっているではないか=つまり天皇は”中立だから(だったから)よい、という歴史的に実証されているとは思えない結論を、である。

影響力ある“有名人”が、ネット上で、たいして考えたこともないことを書き散らすのはまずいのではないでしょうか。