Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“ジョバンニはどこでも降りない”

2013-11-20 16:29:39 | 日記

★ どんなナショナリズムも、愛をエゴイズムに転回する装置である。
家族という共同体の愛/エゴイズムは、あらゆるナショナリズムの原素態である。

★ 賢治の時代の日本社会で、たとえば直接に類的なものに、あるいは直接に超類的な存在の方向に生きようとする人間は、家族の中で「自分勝手」「エゴイスト」とみなされていた。人間の歴史の中のどの社会でも、共同体をこえるものの方向に生きようとする人間は、共同体から、(つまり家族や、職場や、国家や、党派や宗派から)「自分勝手」「エゴイスト」とみなされることになる。共同体のエゴイズムが、共同体を超えようとするものをエゴイズムと名づけるのである。

★ 家族という共同体のナショナリズムから、コスモポリタン(宇宙市民)として亡命しぬくということに、賢治の禁欲の思想としての眼目はあった。

★ 性は、<自我>を裂開する力だけれども、また限定する力でもある。
賢治が<禁欲>という戦略をとおして斥けたのは、性の回路の張りわたす、共同体の「愛」という名の排他の力だ。

★ 死はわたしたちを、「宗教」と名のつくものであってもなくても、その死の時に信じていたもののところで永劫に立ち停まらせる。プリオシン海岸を発掘する背の高い学者は、生きている者の世界の「科学」のパラダイムやエピステーメーがどう変わろうと、彼の信ずる科学の証明を永劫に発掘しつづける。鳥捕りの人の、主義といわず思想といわずただ行われる生活の信仰もそうだ。

★ それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんとうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上におりてくる

★ ひとつの宗教を信じることは、いつか旅のどかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでも行ける切符」だ

★ 賢治が「性」の仕掛けるものをつきぬけてゆこうとしたことと少し似たような仕方で、ジョバンニは「宗教」の仕掛けるものを走りぬけてゆく。

<真木悠介『自我の起源 愛とエゴイズムの動物社会学』“補論2”(岩波現代文庫2008)>





政治はウザい

2013-11-20 15:35:20 | 日記

<社会全体が「政治に無関心な若者」を育ててきた> (幻冬舎plus 特集 生き方3.0 國分功一郎×麻木久仁子スペシャル対談)

國分 「政治がウザい」と思われているという点で言うと、僕たちの運動も、イメージづくりはよかったのかもしれないけど、なぜもうちょっと運動が広がらなかったのかなとは思うんです。意外にも学生の参加が少なかった。小平には大学がたくさんあるのに。 

麻木 そうかもねえ。うちの大学生の娘もすごく冷めてるもの。 

國分 でしょう?政治運動を見る学生の目って、街で見慣れない人と居合わせた子どもが、親から「シーッ!目を合わせちゃいけません!」って言われるときの目なんですよ。政治というと、無条件に新興宗教みたいなものだと思ってる。僕も大学で教えている身として、ちょっとショックでした。ただ最近は関心を持ってくれる学生が増えました。むしろ投票後に学生の関心が高まった。

麻木 いまごろショックを受けるなんて、大学の先生としては呑気過ぎない?(笑)

國分 すみません(笑)

麻木 今の学生さんが政治に関心を持たないのは、やっぱり、かつての学生運動の反動が大きいのかな。私よりちょっと上の世代の人たちが盛んに学生運動をして挫折した後、社会全体で政治的なものを忌避する空気をつくってきた。 
もちろん、当時の一部の過激な人たちの活動は明らかに大衆の心からかけ離れていて、あれが政治ですって言われたら、「政治には関わりたくない」「関わらないほうがいい」と思うのはわかる。でも世の中っていうのはゼロか百かじゃないわけで、「あれは失敗だったから、すべての政治的な活動に若者を近づけるな」っていうのは、間違ってたんだよね。 
みんな「なぜ政治に関心を持たないんだ」って若い人たちを非難するけど、学生たちに政治とか大学の自治っていうものを考えさせないようにし、関心を持ったら損するような世の中にしたのは大人だからね。社会全体が、日本人を長い時間かけて骨抜きに……って、私、なんか過激なこと言ってる(笑)。

國分 でも、本当に大学生なんかは「時間をかけて骨抜き」にされた感じですよ。いまは各地の大学で、学外活動というか、講義を受ける以外の活動がどんどん制限されてきている。部室をキャンパスから排除するとか、学生会館を夜十時で閉めちゃうとか。

麻木 そうそう、うちの娘は先生の後輩で早稲田なんだけど、部室が集まっている学生会館は十時に消灯。

國分 看板やチラシなんかも、ものすごく厳しいみたいですよ。いま早稲田へ行くと、大隈銅像の周りに何もないんです。昔は大隈さんの姿も見えないほど、立て看でいっぱいだったのに。

麻木 そう、それに入学式ではサークルの勧誘禁止で、チラシをまいちゃいけないの。勧誘してもいい日は別に決まってるんだって。たしかにキャンパスは”キレイ“でした。

國分 そういうことをしておいて、学生に「最近の若者は元気がない」と言ってもね。

麻木 大学だけじゃなくて、統治する側というのは、人々を飼い慣らそうとするものでしょう。それはもういつの時代も、どこの国でも同じ。 
しかも日本では、飼い慣らそうとしていること自体を、若者に気づかせないようにしてきた。だからいきなり若者に「目覚めよ」と言ったって、それは無理。この現状から、みんなが立ち上がる、本当の意味での政治の季節が来るのは、かなり難しいと思います。 
3・11以降、参加人数の多いデモや集会があったりして、新しい市民運動の時代が来たって言う人がいるでしょ。私は正直言って、ほんとかなって思ってる。政治的な発言をするということは、さっきも言ったみたいに、党派性を帯びることとイコールなのに、それをないことにして、「党派性のない、全く安全なデモですよ」って言われてもね。政治に関わるリスクをないことにしている運動は、「政治」なんだろうか。

麻木 私がこの本を読んでいいなと思ったのは、「ネット時代の陰」的なものを感じなかったこと。もちろん運動の告知とかにはネットをフルに利用してたわけだけど、根本では、地域のコミュニティの人たちと直接会って話してる感じがとても伝わってきた。

國分 それはすごく嬉しいです。いろいろな人と実際に言葉を交わした経験は本当に貴重で、たとえば僕は運動の目的として、道路建設で失われる雑木林のことばっかり言ってたんです。でもあるとき、自分の家を守るために運動している方の言葉を聞いて、ハッと気づいた。「あ、俺、この人のことを考えてなかった」って。それはツイッターで意見をもらうのとは、やっぱり違うんですよね。そうやって、実際に面と向かって話をした方々の一言一言が心の中に重く堆積していったことは、外に向けて語るための言葉を紡いでいくにあたって大きな支えになりました。

(以上引用;ダイジェスト)

*”この本”=國分功一郎『来るべき民主主義』(幻冬舎新書2013)





今日のニュース;亀田、サッカー、秘密保護法、ディストピア

2013-11-20 09:56:52 | 日記

★ けふエベレストに2度のぼった。山頂にシダレヤナギとヤマモミジの小枝が3本落ちていた。特定秘密保護法案をめぐり、自民、公明が日本維新の会と「修正協議」をした。いかなる「修正」がほどこされようとも、わたくしは特定秘密保護法案をみとめない。これをとおす国会の「議会制民主主義」とマスメディアの存在価値を、根本から、はげしく疑う。わたくしは特定秘密保護法案を絶対に受けいれない。問え。10年後、いや5年後の未来図、活画図を、いまたれが描きえているのか?議会とメディアと民衆は、ひたすらディストピアにむかって集団行進をしている。(辺見庸ブログ“私事片々” 2013/11/19