★ 今はっきり言えることは、筆者が一貫して向き合ってきたのは、20世紀における思想史の時間軸に沿ったプロセスではなく、一つの「布置状況」(コンステラチオン)の問題性だった、ということである。「コンステラチオン」(Konstellation)とは、ベンヤミンによって占星術の用語から発掘され、マンハイムによって知識社会学的に歪曲されはしたが、アドルノに受け継がれて展開深化された方法的な視点である。日本語に訳すとすれば、状況とか布置状況とか星位とか訳すほかないようだが、これはたんに複数の要因が関連し合っている客観的状況をさすのではない。
★ コンステラチオンが独自の方法的視点を示す術語でありうるのは、それがたんなる客観状勢ではなく、第一に、それが主観と客観との相互作用として捉えられる弁証法的過程の断面として主観的契機と切り離すことができず、第二に過去と現在との相互浸透という形で、瞬間のイメージの裡に、両者が同時に透視される、という所にある。
★ ちょうど北斗七星などの布置のうちに、それぞれの星の何億光年という距離の落差が一つの平面として投影されるように、20世紀の思想史のその時々の断面のうちには、太古以来の主体性の原史が、人間の生と死が、栄光と悲惨に充ちた過去と空白の未来とが、同時に投影されていると言えよう。
★ この本で取り上げられている思想の諸断面は、それが個々の思想家に個体化され、あるいは何十年代という時期に分節されてはいても、じつはこういう一つなる布置状況(コンステラチオン)へのその時々での集中と応答を表わしている。この布置状況が続くかぎり、またそれを超える地平の彼方を先走って不当に覗くことが許されないかぎり、それら個々の応答が古びるということはありえない。
<徳永恂『社会哲学の復権』(講談社学術文庫1996)学術文庫版まえがき>
★ 過去がその光を現在に投射するのでも、また現在が過去にその光を投げかけるのでもない。そうではなく形象の中でこそ、かつてあったものはこの今と閃光のごとく一瞬に出会い、ひとつの状況(コンステラツィオーン)を作り上げるのである。言い換えれば、形象は静止状態の弁証法である。なぜならば、現在が過去に対して持つ関係は、純粋に時間的・連続的なものあるが、かつてあったものがこの今に対して持つ関係は弁証法的だからである。それは時間的な性質のものではなく、形象的な性質のものである。弁証法的な形象のみが真に歴史的な――ということはアルカイックではない――形象なのである。解読された形象、すなわち認識が可能となるこの今における形象は、すべての解読の根底にある、批判的・危機的で、危険な瞬間の刻印を最高度に帯びているのだ。
★ 知的機敏さと弁証法的唯物論の「方法」とのあいだの関係を打ち立てねばならない。事実に則した振る舞いの最高の形式のひとつである知的機敏さに、つねに弁証法的プロセスがあることを証明しうるだけでは十分ではない。それ以上に決定的なことは、弁証法的に考える人間は歴史を危機の状況(コンステラツィオーン)としてしか見ることができないということである。彼は、この状況の展開を思考によって追いながら、いつもその向きをそらそうとして跳躍を準備している。
<ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』第3巻(岩波現代文庫2003)>