Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

アウトサイド

2012-02-27 17:20:31 | 日記


★ だからわたしはさまざまな理由で新聞に記事を書いたのである。第一の理由はおそらく実際に自分の部屋から外に出ることであった。そのころわたしは一日に八時間、著作に没頭していた。本を執筆しているときには、けっして新聞記事は書かなかった。外部が気になったのは暇なとき、あいているときであった。執筆中には新聞を読んでさえいなかったと思う。それは生活のなかに含まれておらず、わたしはなにが起こっているか知らなかった。記事を書くことは外に出ることであり、わたしの最初のシネマであった。

★ ほかにもまだ理由があった。わたしは金欠状態だった。『ヴォーグ』誌の記事はすべて食いぶちのためである。

★ なぜわたしが新聞記事を書いたか、また現に書いているか、さらなる別の理由と言えば、わたしをフランスやアルジェリアのレジスタンスのほうへ駆りたてたようなあらがいがたい衝動のせいである。反=政府、反=軍国主義、反=選挙、その他のレジスタンス。その衝動は、あなたと同じく、みなと同じく、どんな次元のものであれ、一国民全体か一個人かを問わず、たえがたい不正をこうむっていることを告発する誘惑のほうへわたしを駆りたてた。

★ さらに、愛が狂気になり、慎重さを棄てて、途方にくれているとき、その愛のほうへ、また裁判の愚劣さと社会とがあえて判断を下すとき――愛について、その性質について、あたかも雷雨や火を判断するかのように――わたしを犯罪、不名誉、卑劣のほうへ駆りたてたのだ。念頭にあるのは、例えば、わたしが書いた最初の記事で、ぜひこの本の巻頭に置きたい「花を売るアルジェリア青年」である。同じく、「知恵おくれの男と少女の純愛」や、1958年に18歳で斬首刑になった社会福祉施設出身の子供たちについての「ごみ箱とまな板」。また、14年の懲役から出所し、わたしの友人になった、ジョルジュ・フィゴンとのすべての対談。それにとりわけ「愛人が男の妻を殺すとき」などである。

★ わたしはかなりの記事を忘れている。著作ではそういうことがない。本のほうは忘れたりしない。自分の人生についてもかなり忘れている。少女時代と、日常生活のノルマ以外ですることができたアヴァンテュールをのぞいて。日々の生活については、もうほとんどなにも覚えていない。少女時代をのぞいて。

★ もちろん、これらのテクストを出版しようと考えたのはわたしではない。そんなことは考えてもみなかった。(・・・・・・)それもいいじゃない?とわたしは考えた。なぜ急に遠慮深くなるのか?と。もし昨日のものではなく今日書かれるものしか出版されないとしたら、作家たちは存在しないだろう。もし昨日のものではなく今日の対象しか好まれないとしたら、現在の不毛しか、現在という欺瞞しかないだろう。

★ もうひとつ指摘しておきたい。わたしはかなりまちがえている。そして、わたしはまちがえる権利を要求する。

★ わたしはこの書き物にみずからは判断を下さず、再読さえしなかった。(・・・・・・)もうこれはわたしには関係がない。

<マルグリット・デュラス『アウトサイド』‘はじめに’1980年11月6日(晶文社1999)>






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