Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

グリーンアクティブ

2012-02-15 11:33:13 | 日記


以下のブログを書くのは、シンドイことである。
どうしても、まずこれを言っておく。


“グリーンアクティブ”という“ネットワーク”が形成された。

ここに、三つの“情報”を掲げ、ぼくの印象を最後に書く。

① それを報道する記事(朝日新聞を掲げるが、朝日新聞である必要はない)
② グリーンアクティブの活動方針
③ 発起人宮台真司のアッピール文;


① 朝日新聞記事 2012年2月13日23時23分
<中沢新一さんら、「緑」の政治ネット設立 脱原発で連携>

 人類学者の中沢新一さんが、「脱原発」などを掲げた“緑”の政治運動体「グリーンアクティブ」を旗揚げし、13日、東京都内で記者会見した。欧州の「緑の党」を参考にしつつ、政党ではなくネットワークという形をとる。
 自然や環境、地域に根ざした暮らしを大事にする姿勢を「緑」で表現した。「3・11の後、日本人の間にわき上がった緑の意識を、社会を変えていく力にしていきたい」という。
 発起人には代表の中沢さんのほか、社会学者の宮台真司さん、コピーライターのマエキタミヤコさんら、賛同人には思想家の内田樹さんらが名を連ねた。
 脱原発や環太平洋経済連携協定(TPP)反対などの政策に共鳴する人々と、緩やかな連携を目指す。原発に頼らない地域作りや、自然エネルギーへの転換を目指す団体などと「一種の国民戦線」を作っていく。


② グリーンアクティブの活動方針(ネット掲載)

私たちが構想していた「緑の党のようなもの」=グリーンアクティブがいよいよ活動を開始する。アクティブとは「活動家・行動を起こす人々」という意味。これまで政治に参加することなど夢にも思わなかった普通の人々が立ちあがり、日本中で独自の草の根運動を展開する。「党」というよりはゆるやかに繋がった大きなネットワークである。
東日本大震災以降の日本は未曾有の危機に直面しているが、グリーンアクティブの当面の課題としては、原発から代替エネルギーへの転換・環太平洋連携協定(TPP)反対・消費税増税反対・疲弊した地域社会の再生などの方針が共有されている。世界で同時多発的に起こる経済危機により資本主義の未来すら危ぶまれているというのに、いまだに自由貿易を推進すれば無限の成長が可能と頑なに信じる人たちがいる。かと思うと、「右肩あがりの成長は終わったから、これからは山を下りる時代だ」という人たちもいる。
私たちはそのどちらでもない第三の道を提案したい。拡大一辺倒の成長ではなく、今まで思いもよらなかった方向に発展してゆくオルタナティブな道。バランスの取れた成長を生み出し、だれもが必要かつ充分な「中ぐらいの豊かさ」を享受できる社会をめざして、一歩一歩進んでいこう。


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③ 「グリーンアクティブ」に関する宮台真司のアピール
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日本はいまだに民主主義の社会ではない。
民主主義を獲得するには政治文化の以下のような改革が必要だ。

〈任せて文句たれる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ
〈空気に縛られる社会〉 から 〈知識を尊重する社会〉へ


日本は非民主主義的な政治文化を背景に官僚天国になった。
官僚天国を抑止できない政治文化が日本をでたらめにした。

他の先進国に比べて公務員数が少ない日本。
他の先進国のどこより福祉予算が少ない日本。

なのに先進国のどこより政府の借金が多い日本。
この不思議な事態をいったい何がもたらしているのか。

他国で常識的な「政策的市場」を形成せず、未だ「補助金行政」を頼るからだ。
言い換えれば国会の審議対象とならない「特別会計」のムダ遣いがあるからだ。

これを変えるには「補助金行政」から「政策的市場」への転換が必要だ。
コスト動機の働かない「補助金行政」をやめるための転換を分り易い言葉で言う。

〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉から〈儲けるために善いことをする社会〉へ

これが実現すれば単なる「べき論」は要らなくなる。
淘汰による選別が、自動的に働くようになるからである。

〈任せて文句垂れる〉作法が支配する地域や企業が淘汰されるからだ。
〈空気に縛られる〉作法が支配する地域や企業が淘汰されるからだ。

「政策的市場」が機能する〈儲けるために善いことをする社会〉。
政治と行政はそのためのルールメイカーとルール管理者になる。

だがこのルールメイキングはしっかりチェックされないと不公正なものになる。
既得権益者が自らに有利なルールを、ロビイングや利益誘導で実現するからだ。

そのためには、議会が既得権益者の手打ちの場所であってはならない。
そこで欧州で編み出されたのが、住民投票とワークショップの組み合わせである。

住民投票は、巷間語られるような世論調査による政治的決定ではない。
一年後なら一年後の投票に向けたワークショップ反復による民度上昇が目標だ。

ワークショップでは「本当のこと」を明らかにするために様々な手法が取られる。
例えば「科学の民主化」を中核とする方法(コンセンサス会議)が重要になる。

これは官僚お手盛りの有識者会議の如き「専門家による決定」を許さない工夫だ。
専門家の独占知識を市民の共有財産とした上、専門家を廃し市民が決める制度だ。

グリーンアクティブは専門家的知識を市民の共有財産とするプラットフォームだ。
このプラットフォームの上で各市民や各団体が「何が事実か」を共有するのだ。

その意味でこれは狭い価値を共有する政治党派(パーティ)とは全く異なる。
そうでなく、事実を共有した上で各自が価値を発信して合意形成を試みるのだ。

グリーンアクティブは「グリーン」に関心を寄せる者や集団が誰でも参加できる。
「グリーン」について「何が本当のことか」を共有したい者たちの集まりである。

これに参加した上で「グリーン」が本当に守るべき価値なのかを判断してもらう。 
あるいは「グリーン」のためには何が一番大切かという価値を発信してもらう。

こうした民度上昇によって、議会は単なる手打ちの場所であり続けられなくなる。
社会は〈引き受けて考える〉市民による〈知識を尊重する〉知識社会に変化する。

日本が知識社会に生まれ変われば、「グリーン」に限らず日本社会は合理性を取り戻す。
官界や財界の既得権益のせいで「一億総ゆでがえる」状態となるのを抑止できるだろう。

(以上引用)



上記引用が長くなったので、ぼくの印象は簡潔にする(笑)

ここで述べられている“グリーンアクティブ”の“基本主張”および“活動方針”には、反対することはない。

だれがこれに反対するのか!(爆)


ぼくが“ひっかかった”のは、ただ一点である。

宮台真司アッピールにある以下の文;

《〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉から〈儲けるために善いことをする社会〉へ 》

〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉が、くだらない社会であることは、“言うまでもない”。

問題は、〈儲けるために善いことをする社会〉である。

ぼくの感想、終わり。




という具合に、このブログを終わらせられたら、カッコよいのである。

しかし、ぼくは“おじさん”もしくは“タダのじじい”なので、説明する。

この文章が、立岩真也の<思想>のように、以下のようであればよかった;

《善い分配を共有する社会》



そうでなければ、この“日本”が、この“世界”が、どうして<グリーン>でありうるだろう?




* このブログを書く(貼り付けとか)あいだ、ぼくの横で鳴っていたのは、

  アルヴォ・ペルト”Tabura rasa”です。