“3.11”から1年が経過しようとしている。
この間、なにが起こったか。
世間の人びとがどう思っているか、ぼくは知らないので、自分の感想のみを述べる(それしか述べようがないではないか!)
うまい言葉がみつからないのだが、ぼくには、この日本の現状が“冗談”にしか見えなくなった。
とくに“ニュース”である。
もちろん、どんな“冗談的現実”であっても、消費税が上れば、ぼくの生活は(さらに)困窮する。
まさにぼくの老後生活の基盤は、ますます不安なものになる。
だから、(まさに)、すべては、冗談ではなく、“リアル”である。
にもかかわらず、自分の生活が、不安定になればなるほど、“世の中”で起こることや、日本の復興やらを言う人びとが、冗談のように見える。
それで、だんだん、悪夢にさらされる(実際に悪い夢を見てしまう)日々の中で、“現実とカンケーない”本を読むことに執着する。
いったい、“ドゥルーズ”とか“ベンヤミン”の本が、ぼくの<生活>にとって、どんな“リアル”でありうるのか?
たとえば、ベンヤミンというひとが書いた言葉は、けっしてスラスラ読めたり、ただちに共感をもたらすものではない。
ぼくの日々の悩みに、ただちに応える(解答をあたえる)ものであるはずがない。
けれども、ときどき、ベンヤミンの言葉を読みたくなるのは、なぜか。
ぼくの状況と、ベンヤミンが生きた状況を、ストレートに比較するなどというなら、笑える。
まったくちがう、のである。
時代がちがい、国がちがう、彼の背後の=生きた歴史と、彼の教養、彼の趣味が(ぼくとは)ちがう、彼が旅した風景がちがう。
にもかかわらず、彼の生きた時代というのが、現在ぼくが生きている時代と、“似ている”ということも、あるのではないか。
ベンヤミンが生きたドイツの状況とは、第一次大戦前から第二次大戦にいたる時期、両大戦間期からヒットラーが覇権を取る時期であった。
すさまじいインフレーションのなかで“一方通行路”は書かれた。
現在の日本がデフレであるから、関係ないなどということではないのだ。
貧しい人々は、いつの時代にも、どこにでもいる。
そこから、思考するひとびともいる。
たとえば、以下のように;
★ 「貧しきことは恥ならず」(ドイツのことわざ)。まったくその通り。だが世間は、貧者を恥じ入らせる。そうしておきながら、このちっぽけな金言で貧者を慰めるのだ。この金言は、かつては通用しえたが、いまではとっくに凋落の日が来ている金言のひとつである。その点、あの残酷な「働かざる者食うべからず」という金言と何ら変わるところがない。働く者を養ってくれる労働があったときには、この者にとって恥とはならない貧しさもあった。この貧しさが、不作その他の巡りあわせのせいで、その人の身にふりかかった場合はそうだった。しかしながら現在の生活苦は、何百万もの人びとが生まれながらに落ちこむもの、貧窮してゆく何十万もの人びとが巻きこまれるものなのに、彼らを恥じ入らせるのだ。
★ 汚辱と悲惨が、見えざる手の業(わざ)として、壁のごとく、そうした人びとのまわりに高く積みあげられてゆく。個人は、己に関してなら多くのことに耐え忍ぶことができるけれども、しかし妻が彼の耐え忍ぶ姿を目にし、また彼女自身も我慢を重ねるならば、正当な恥を感じるものである。そのように個人は、自分ひとりで耐え忍ぶかぎりは、多くのことに耐え忍んでよいし、隠しておけるかぎりは、すべてのことに耐え忍んでよい。だが、貧しさが巨大な影のように、自分の属する民族と自分の家のうえに被いかぶさってくるなら、そうした貧しさと決して講和を結んではならないのだ。
★ そのときにはおのれの五感を、それらに与えられるあらゆる屈辱に対してつねに目覚めさせ、そして自分の苦しみが、もはや怨恨の急な下り坂ではなく、反逆の上り小道を切り開くことになるまで、五感を厳しく鍛えなければならない。しかし、この点で何も期待するわけにはいかないのが現状なのだ――すべての恐ろしいかぎりの運命、暗いかぎりの運命が日々、いや刻々、ジャーナリズムによって議論され、ありとあらゆるまやかしの原因とまやかしの結果のかたちで説明されるため、誰ひとり、己の生を虜にしている暗い諸力を認識することができない、という状況が続くあいだは。
<ヴァルター・ベンヤミン“一方通行路”―『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅(ちくま学芸文庫1997)』>