Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ジャーナリズムは“貧者”の味方ではない

2012-02-18 15:25:07 | 日記


“3.11”から1年が経過しようとしている。

この間、なにが起こったか。
世間の人びとがどう思っているか、ぼくは知らないので、自分の感想のみを述べる(それしか述べようがないではないか!)

うまい言葉がみつからないのだが、ぼくには、この日本の現状が“冗談”にしか見えなくなった。
とくに“ニュース”である。

もちろん、どんな“冗談的現実”であっても、消費税が上れば、ぼくの生活は(さらに)困窮する。
まさにぼくの老後生活の基盤は、ますます不安なものになる。

だから、(まさに)、すべては、冗談ではなく、“リアル”である。
にもかかわらず、自分の生活が、不安定になればなるほど、“世の中”で起こることや、日本の復興やらを言う人びとが、冗談のように見える。

それで、だんだん、悪夢にさらされる(実際に悪い夢を見てしまう)日々の中で、“現実とカンケーない”本を読むことに執着する。

いったい、“ドゥルーズ”とか“ベンヤミン”の本が、ぼくの<生活>にとって、どんな“リアル”でありうるのか?

たとえば、ベンヤミンというひとが書いた言葉は、けっしてスラスラ読めたり、ただちに共感をもたらすものではない。
ぼくの日々の悩みに、ただちに応える(解答をあたえる)ものであるはずがない。

けれども、ときどき、ベンヤミンの言葉を読みたくなるのは、なぜか。
ぼくの状況と、ベンヤミンが生きた状況を、ストレートに比較するなどというなら、笑える。

まったくちがう、のである。
時代がちがい、国がちがう、彼の背後の=生きた歴史と、彼の教養、彼の趣味が(ぼくとは)ちがう、彼が旅した風景がちがう。

にもかかわらず、彼の生きた時代というのが、現在ぼくが生きている時代と、“似ている”ということも、あるのではないか。

ベンヤミンが生きたドイツの状況とは、第一次大戦前から第二次大戦にいたる時期、両大戦間期からヒットラーが覇権を取る時期であった。
すさまじいインフレーションのなかで“一方通行路”は書かれた。

現在の日本がデフレであるから、関係ないなどということではないのだ。
貧しい人々は、いつの時代にも、どこにでもいる。
そこから、思考するひとびともいる。
たとえば、以下のように;

★ 「貧しきことは恥ならず」(ドイツのことわざ)。まったくその通り。だが世間は、貧者を恥じ入らせる。そうしておきながら、このちっぽけな金言で貧者を慰めるのだ。この金言は、かつては通用しえたが、いまではとっくに凋落の日が来ている金言のひとつである。その点、あの残酷な「働かざる者食うべからず」という金言と何ら変わるところがない。働く者を養ってくれる労働があったときには、この者にとって恥とはならない貧しさもあった。この貧しさが、不作その他の巡りあわせのせいで、その人の身にふりかかった場合はそうだった。しかしながら現在の生活苦は、何百万もの人びとが生まれながらに落ちこむもの、貧窮してゆく何十万もの人びとが巻きこまれるものなのに、彼らを恥じ入らせるのだ。

★ 汚辱と悲惨が、見えざる手の業(わざ)として、壁のごとく、そうした人びとのまわりに高く積みあげられてゆく。個人は、己に関してなら多くのことに耐え忍ぶことができるけれども、しかし妻が彼の耐え忍ぶ姿を目にし、また彼女自身も我慢を重ねるならば、正当な恥を感じるものである。そのように個人は、自分ひとりで耐え忍ぶかぎりは、多くのことに耐え忍んでよいし、隠しておけるかぎりは、すべてのことに耐え忍んでよい。だが、貧しさが巨大な影のように、自分の属する民族と自分の家のうえに被いかぶさってくるなら、そうした貧しさと決して講和を結んではならないのだ。

★ そのときにはおのれの五感を、それらに与えられるあらゆる屈辱に対してつねに目覚めさせ、そして自分の苦しみが、もはや怨恨の急な下り坂ではなく、反逆の上り小道を切り開くことになるまで、五感を厳しく鍛えなければならない。しかし、この点で何も期待するわけにはいかないのが現状なのだ――すべての恐ろしいかぎりの運命、暗いかぎりの運命が日々、いや刻々、ジャーナリズムによって議論され、ありとあらゆるまやかしの原因とまやかしの結果のかたちで説明されるため、誰ひとり、己の生を虜にしている暗い諸力を認識することができない、という状況が続くあいだは。

<ヴァルター・ベンヤミン“一方通行路”―『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅(ちくま学芸文庫1997)』>






“リゾーム”と“アレンジメント”

2012-02-18 02:24:26 | 日記


下記ブログにつづいて、もう一冊の新刊紹介;宇野邦一『ドゥルーズ 群れと結晶』

正直言って、ぼくは“ドゥルーズ”の著書を、昔、“エピステーメ”臨時増刊号として出た“リゾーム”以外一冊も読み終わったことがない。

『千のプラトー』は、翻訳単行本を一回売り払って(さっぱり“読めない”のに苛立って)、河出文庫3冊を買いなおした次第である。

その文庫も、ときどき取り出して、ちらちら眺めているだけだ。

たしかに、“リゾーム”が出た当時、ぼくがそれを読んだのは、なにか新しいものに惹かれた“だけ”だった、ともいえる。

それから30年以上が経過した、現在。

“リゾーム”も“ドゥルーズ+ガタリ”も、なんら新しくはない。

“だからこの時”、ぼくはふたたび“リゾーム”に復帰する。

もちろん、それを読むのは、宇野邦一のように、ドゥルーズに直接教わった人たちとは、異なったスタンスにおいてである。

また当然、いまぼくがドゥルーズを、ガタリを読んだとて、“理解が可能になった”り、“理解が深まったり”するわけでもないだろう。

だから、誰もがドゥルーズを読む“べき”だなどと主張したいのではない。

ただひとつぼくが経験的に(一般的に)言えることがあるとすれば、“ただちに理解できる(と思う)本だけを読んでいてはだめだ”ということだけである。
それは“自己循環”におちいる可能性がある。

この宇野邦一の本も読み始めたばかりなので、“序 世界史とリゾーム”から若干引用する;

★ とりわけフェリックス・ガタリとの出会いによって、群の交響として思考する彼の方法は、圧倒的に拡張され、振幅を広げることになった。「二人それぞれが数人だったのだから、それだけでもう多数になっていた」と『千のプラトー』の冒頭に書かれたとおりのことが起きたのだ。

★ ドゥルーズ(とガタリ)を読むことは、確かに、ある思考の群に、群の思考に出会うことでありながら、それはひとりひとりが単独であり特異であることと矛盾しなかった。ドゥルーズを通じて、私はまさに何人もの人物に出会い、出会いなおしたが、彼らは少しも同じところがないのに、どこか似ていたのだ。たとえばアルトーとマルクス、ランボーとカント、カフカとスピノザ、ゾラとルクレチウス、ベケットとディケンズ、ヘンリー・ジェイムズとライプニッツ、等々が共棲し、知られざる対話を始める。

★ こうしてまさにひとつの哲学そのものが、果てしない「アレンジメント」として、「言表行為の集団的編成」として実践されることになった。私にとって、ドゥルーズに出会うことは、そのような得体の知れない巨大な哲学的群に、哲学の果てしないリゾームに遭遇することだった。


★ それにしても、思想的連想ゲームのようなことを続けていればすむわけではない。確かに「リゾーム」は、東洋に多くの原型と養分を見出した。そしてリゾームそのものが、決して解放や自由や革命を意味するわけではない。リゾームに固有の専制と、樹木的な専制とどちらが耐えがたいか、決してわからないのだ。ドゥルーズ=ガタリは、リゾームの、そして樹木の<両義性>にたえず警戒をうながしていた。リゾームが両義的であるならば、天皇制でさえも両義的なリゾームである、と確かにいうことができる。しかしただ両義性といってしまうことは、いかにもあいまいだ。そもそもリゾームは、ある切実な動機に基づいて発見されたひとつの思考のモデルであり、<天皇制>は歴史的な記憶と制度の中で構成された複雑な現実なのだ。リゾーム(あるいは「器官なき身体」)の簡略な理解を、「天皇制」に適用しうるかのように語った日本の論者たちは、リゾームに対しても天皇制に対しても思考を停止していたというしかない。

<宇野邦一『ドゥルーズ 群れと結晶』(河出ブックス2012)>







ゴダール映画史

2012-02-18 01:06:55 | 日記


むかしの本が文庫本になるのは、めずらしいことじゃない。

でも、昨日(いやもう一昨日)、書店のちくま学芸文庫新刊で、『ゴダール映画史』が出ているのをみて、ちょっとびっくりしたな。

この本は、1982年筑摩書房から『ゴダール映画史Ⅰ・Ⅱ』として翻訳出版された本が、文庫本1冊になったもの。
この(翻訳)オリジナルを、ぼくは買っても、読んでもいなかった。

それで、文庫としては高いけれど買った。
この“映画史”は、モントリオールで数人の人に語られた連続講義(講話)だという。
当時ゴダールは50歳くらいだが、映画づくりキャリアは20年以上に達していた。

まだ読み始めたばかりだが、ここでは、過去の映画の“名作”とゴダールの“自作”についてが語られているようだ。

解説で青山真治監督は、この本(ゴダールの語り)は、映画作家が過去の作品を“盗む”ことの参考に(おおいに)なると述べている。

映画をつくるわけではない、ただの読者にとって、この本から“学べる”(盗める)ことはなんだろうか?
ぼくたちは(映画を見る“だけ”のぼくたちは)、実作者が過去の作品と自作を“見る”見方からなにを受け取ることができるか?

ぼくたち(ぼくと、ぼく以外の人々)は、日々、見たり、読んだり、聴いたりしているわけであるが、それは、“ほんとうに” 見たり、読んだり、聴いたりしていることであろうか。

そういう“疑問”は、べつに、“ゴダール”という名の人の話を聴くから、もたらされるわけではない。

このところ、“ぼく自身”につのる疑問である。

たしかに現在、あまりにも見るもの、読むもの、聴くことが多いのである。
ぼくが仕事で(いいかげんに)関与しているケア業界でも、“傾聴”ということが言われている。

しかしこの“傾聴”というものものしい言葉は、なにを意味するか。

ああ、(まさに)、この“問題”は、他人事ではないのである。

いったい“ぼく”は、これまでの人生で、なにを聴き、見、読んできたのか。
ということである。
そして、現在の日々、いったいなにを、聴き、見、読んでいるのか、ということである。
(あるいは、なにを“触って”いるのか、でもよい)

もちろん、どんなに些細なことであっても、みずから発することもある。
なぜか、一日に一言も言葉を発せ(し)ない日はなく、仕事がらみでなにかを書いたり、このブログさえ書いたり、たまたまのコメントに返信さえしている。
(そして“お前は自滅している”などというありがたいお言葉も頂戴するのだ;笑)

しかし、結局、ぼくにとって重要なのは、自分が発することではなく、自分が受け取ることである。

見なければ、聴かなければ、読まなければ、ぼくには、なにひとつ発することはない。


『ゴダール映画史』のほんの最初から、引用する;

★ 私はセルジュと一緒にここに来てみて、われわれがここでこれから、一種の仕事をしようとしていると予告されているのを知ったのですが、私の方でも、人々が――それがどんなものかをよく知らないまま――編集(モンタージュ)と呼び、映画づくりの主要な側面のひとつとされているものについてのいくつかのテーマを用意してきました。でもこの編集という側面は、ある意味では、あまりおおっぴらにすべきものじゃありません。なぜなら、これはきわめて強力ななにかだからです。事物と事物の間に関係をうち立て、それによって人々に、事物を、状況をはっきりと見させるなにかだからです。

★ 私が言いたいのは・・・・・・妻を寝取られた男は、妻とその相手の男が一緒にいるところを見たことがなければ、つまり、妻の写真と相手の男の写真を手に入れ、それらを並べて見たりしたことがなければ、あるいはまた、相手の男の写真を見たあと、鏡で自分自身を見たりしたことがなければ、その浮気についてはなにも見なかったことになります。つねに二度見る[それによって二つのものの間の関係をうち立てる]必要があるのです・・・・・・ これこそ ・・・・・・ただ単に[二つの映像を]結びつけるということこそ、私が編集と呼ぶものです。またそれを通してこそ、映像とそれにともなわれた音の、あるいは、音とそれにともなわれた映像の驚くべき力が引き出されるのです。

<ジャン=リュック・ゴダール『映画史(全)』(ちくま学芸文庫2012)>