★ 『万葉集』や『源氏物語』がわが国の各時代を通じて精神的に高く評価されてきたと考えるなら、それは間違いだろう。それらは基本的に子女または、いわゆる文弱の徒の慰みの対象だった。各時代を通じて玉座に坐りつづけていたのは海彼から来た人間の詩および文章、漢詩文だった。この事情に変化が起きるのは明治開国によってだ。欧米勢力への屈服による開国によって、人間の詩は千数百年座りつづけた玉座を追われる。
★ しかし人間の詩を追って神の歌が玉座に復したわけではない。新しい玉座の主は欧米文化とともに入ってきた人間の小説だ。むろん欧米文化にも人間の詩はあったし、その移入の試みもあった。いわゆる新体詩だが、これが玉座に座るには受け入れる言語=和語脈があまりにもひ弱すぎた。結局、新体詩は短歌や俳句とひとくくりに詩歌ということになり、流浪漂泊の新しい仲間になったにすぎなかった。新しい玉座の主は人間の小説だった。
★ それから百年、人間の小説はいまなお玉座に坐り続けている。しかし、人間の小説はほんとうにこの国に定着したのだろうか。かつて千数百年間、玉座に座りつづけた人間の詩がついにこの国に定着せず、流浪漂泊どころか消滅してしまったに等しいように、ひょっとして人間の小説もこの国についに定着しないのかもしれない。
★ 日本語の古典を、文学史を、虚心に読みなおして、日本語文学の本流が流浪漂泊にあったことを自覚し、詩歌においては間違っても玉座に復しようなどとは考えないこと、小説においてはみずから玉座を下りること。表現者としては文学という名の帝王の代作者となり、できるかぎり無名性を目指すこと。ことは日本文学に限るまい。流浪漂泊と無名性とは文学の、そして人間の最も理想的なありようではあるまいか。
<高橋睦郎『読みなおし日本文学史』”おわりに”(岩波新書1998)>
★ しかし、交通空間は都市と同義ではない。都市がある定住をもつのに対して、交通空間は目に見えないからだ。交通空間を考察するのにふさわしいのは、海と砂漠である。
★マルクスは『資本論』のなかでこういっている。中世において、ユダヤ人のような商業民族は、エピクロスがいう神々が世界の孔のなかに住んでいるように、共同体の間の孔のなかにいる、と。しかし、このメタファーはつぎのように逆転できるだろう。共同体の方が、海あるいは砂漠のような交通空間のなかに浮かぶ島にすぎない、と。共同体が拡大し、他の共同体との交通がはじまったというのは虚偽であり、それ自体各共同体の起源神話である。
★ 共同体が成立すると同に、システムの内部と外部の分割が生じ、境界が生じる。それ以前の交通空間、つまり内も外もないような空間は、このとき、「外部」、いいかえれば、諸共同体の「間」にあるとみなされる。しかし、事実上、いかなる共同体も、完全に自閉的ではありえない。ミシェル・セールの比喩を借りていえば、共同体(個体)は、いわば液体のなかに浮かんでおり、液体に浸透されている。
<柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』(講談社学術文庫1999)>
★ 前世紀の後半、環境や資源の危機にも促され、この社会を疑う人たちが現われた。ただその疑いを現実に着地させることが難しかった。
★ 生活欄で「がんばりすぎない」ことが言われ、同じ新聞の政治経済欄に「新世紀を生き抜く戦略」がある。それを矛盾と感じる気力も失せるほど社会を語る言葉は無力だろうか。いま考えるに値することは、単なる人生訓としてでなく、そう無理せずぼちぼちやっていける社会を実現する道筋を考えることだ。足し算でなく引き算、掛け算でなく割り算することである。もちろんそれは、人々が新しいことに挑戦することをまったく否定しない。むしろ、純粋におもしろいものに人々が向かえる条件なのである。
★ 繰り返すが、この社会は危機ではないし、将来は格別明るくもないが暗くはない。未来・危機・目標を言い立てる人には気をつけた方がよい。
<立岩真也“つよくなくてもやっていける”朝日新聞2001-01 ―『自由の平等』(岩波書店2004)>
★ 社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。
<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』の序章“世界の別の顔”>