Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

瓦礫の中から言葉を わたくしの<死者>へ

2012-02-06 15:39:08 | 日記


時々書店に行っているのに辺見庸の新刊に気づかなかった(最近、“新書”コーナーを見る気がしなくなっていた)

菅啓次郎のブログで、彼が読売新聞でこの本の書評をしたのを知り、この辺見庸の新刊新書の存在を知り(この本の元となったテレビ番組も見損なった)、検索してこの書評を読んだ、これを貼り付ける。

明日、仕事の帰りに書店で購入する;



<震災伝える魂の叫び>

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』 辺見庸著 (NHK出版新書)
評・管啓次郎(詩人・比較文学者・明治大教授)

 3月11日が近づいている。やがて1年。この間、日本語は、大震災の経験を深める言葉を発してきただろうか。

 われわれが生きるこの言語、この社会は、新しい言葉に立つ新しい社会のあり方を、本気で探ろうとしているのか。

 宮城県石巻出身のこの作家=詩人の新著は、魂の叫びだ。ただ既存の社会と集団を維持し大切なことを何ひとつ語らせずにすませようとする自堕落な言語に、辺見庸は徹底的な否をつきつける。「大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊したのです」。あまりに多くが失われ、多くの人が亡くなった。彼にとっては故郷が破壊され、心に直接つながる多くの死者が生じた。

 だが沈黙にしずんではならない。破壊の瓦礫の中から、言葉を立ち上がらせなくてはならない。巨大な悲劇が残していった痕跡を人間が共有すべき経験として深化させ、変わるべきものの変化へのきっかけとするには、言葉がみずからを乗り越えるようにして、新たな局面を探るしかない。生きられた「個」の経験が、沈黙とのぎりぎりの界面から言葉を発すること。そしてすでに発話の力を奪われた人々のためには、代わって想像力が失われた言葉を拾い、思い出し、伝える努力をするべきだろう。

 だから本書は、詩と小説の言葉に対する「立ち上がれ」という呼びかけでもある。たとえば原発メルトダウンをめぐるマスメディアの報道言語にも、またたくまに辺りにたちこめて感情の同調や言説の同期を強要する日本社会の暗黙の言語にも、著者は激しく苛立つ。

 その対極にあるのは「個」のヴィジョンに立つ言葉だ。原民喜、川端康成、堀田善衛ら先行者と対話するようにして、著者は生きた言葉を探る。生命を希求する者たちの連帯を探る。その探求の試みにちがいない著者自身の詩作品は震災直前に始まり、震災後いっそう強度を増し、本書にもそのいくつかが収録されている。

(2012年2月6日 読売新聞)